古賀茂明が南アフリカを改革した 〝人道〞と〝実利〞の大統領、 ネルソン・マンデラを悼む

2013年12月5日、南アフリカの“父”ことネルソン・マンデラ元大統領が、95歳という年齢で激動の人生に幕を下ろした。約23年前、官僚だった古賀茂明氏は、投獄から釈放された直後のマンデラ氏と出会う。

■圧巻だった「マンデラ帰還」の熱

アパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃、ノーベル平和賞受賞、南アフリカ初の黒人大統領就任―。

多くの偉業を成し遂げてきたネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領。

南アフリカ国民が「暗闇を照らした太陽を失った」と嘆き悲しむように、私もまたマンデラ氏の死が惜しまれてならない。

というのも、私自身、若き官僚時代にマンデラ氏に直接会う機会に恵まれ、大きな衝撃を受けたからだ。そのとき感じ、学んだことは今でも私の人生の指針となっている。

私が初めてマンデラ氏と会ったのは、氏が27年間の獄中生活から解放された直後の1990年のことである。

当時、私はヨハネスブルクにある在南アフリカ日本総領事館に領事として赴任していたそんなときにマンデラ氏が釈放され、黒人解放組織のANC(アフリカ民族会議)の指導者として復帰することになったのだ。

ヨハネスブルク市内にソウェトという南アフリカ最大の黒人居住区がある。そのエリアにある巨大なサッカー場でマンデラ氏の歓迎集会があると聞きつけ、私も足を運んでみた。

当時のソウェトは白人居住区とはまったく異なり、開発から取り残され、道路も満足に整備されていない。サッカー場の周辺もバラックや空き地が広がっていた。その道なき道を、何千何万という黒人たちがサッカー場を目指して四方八方から押し寄せてくる。私が乗った車は、群衆の中に埋もれてしまうのではないかと思うほど、その光景はまさに圧巻だった。

サッカー場が歓喜に沸いたのは、マンデラ氏を乗せたヘリコプターがピッチ上に着陸したときだった。マンデラ氏が姿を見せると、数万人の黒人が一斉に足を踏み鳴らし、ダンスを始める。その振動は大地を揺るがし、スタジアムが壊れてしまうのではないかと思わせるほど強烈だった。そのシーンを眺めながら、私は「南アフリカは国民を束ねるカリスマ的リーダーを得た」と実感した。

■マンデラ氏が持っていた「4次元の眼」

しかし、その時点ではマンデラ氏という人物を遠巻きに眺めただけで、その魅力を肌で感じたわけではなかった。

私が初めてマンデラ氏を間近で見たのは、ソウェトでの市民集会の後、南アフリカに駐在する外国の大使を集めて行なったマンデラ氏の会見の席だった。そこでのマンデラ氏のスピーチに私は本当に驚かされた。

マンデラ氏は反アパルトヘイト闘争を指導し、国家反逆罪に問われ、27年間も服役した。当然、釈放後は白人を追い出し、黒人による黒人中心の政権を樹立すると、誰もが予測していた。

ところが、マンデラ氏の口から発せられた言葉はまったく別のものだった。マンデラ氏はいきなり、ベルリンの壁崩壊、そしてソ連の崩壊を例に挙げ、「社会主義は失敗した」と切り出したのだ。

白人による植民地支配から60年代以降に独立したアフリカ諸国のほとんどは、社会主義国家を目指した。南アフリカの周辺にあるモザンビーク、ジンバブエ、アンゴラ、ナミビアもその流れに続いた。

そこには構造的必然がある。植民地では、白人=資本家、黒人=労働者という階級構造になっていた。白人の植民地支配から黒人が独立するということは、すなわち白人資本家を黒人労働者が倒すという図式になる。それは、社会主義革命そのものだ。

南アフリカもその道をたどるのではないか。欧米社会は皆、そう予測した。

しかし、マンデラ氏は開口一番、社会主義を否定してみせた。しかも、「白人をこの国から追い出してはいけない。白人は資本だけでなく、技術ノウハウも持っている。南アフリカを豊かにするには、白人を黒人と平等な市民として処遇し、手を取り合って国づくりをしなければいけない。そのためには私の釈放に尽力した、白人政権のデクラーク大統領こそ重要な存在となる。諸国の外交官諸氏にはデクラーク大統領を応援してほしい」と力説した。

このセリフに各国大使は皆驚いた。マンデラ氏への支持は熱狂的で、氏が望めば白人を駆逐し、黒人独裁も可能だった。しかし、マンデラ氏はそれをしなかった。自分に与えられた権力の行使に極めて抑制的だった。

思うに、マンデラ氏は「4次元の眼」を持っていたのだろう。

服役中は、刑務所の壁の向こうの世界は見えない。それは言ってみれば、2次元の平面的な広がりだ。しかし、マンデラ氏は獄中でも情報収集と世界情勢の分析を欠かさず、まるで衛星から眺めていたかのように社会主義の失敗を俯瞰(ふかん)的=3次元的に理解していた。

そして、黒人の社会主義を武器にした解放闘争は、白人追放を引き換えに国が経済破綻してしまう道であることを歴史から学んでいた。

歴史という時間軸を加えて現在をとらえるという意味で、それは4次元的な思考といえるだろう。

マンデラ氏は白人に報復せず、白人と黒人の多人種共存を実践したことから、「寛容の人」と呼ばれる。

だが、マンデラ氏の真骨頂は寛容ばかりではない。黒人を豊かにするためには、南アフリカ経済を豊かにしなければならない。どうしたらそれができるのか、徹底して考え抜く実利的な面をも併せ持っていた。これは政治家として得がたい資質、洞察力だと私は思う。

それからほどなく私はマンデラ氏と直接話す機会を得た。日本総領事館が主催したパーティにマンデラ氏が突然現れたのだ。

パーティ会場にマンデラ氏は小一時間ほどいたと記憶している。

残念ながら、興奮しすぎていたせいか、そのときの会話の内容がどうしても思い出せない。

握手したときの彼の手は、すごく大きくて分厚かったが、予想外に柔らかかったことははっきり覚えている。そして彼の話は、相手を包み込むような不思議な力を持っていた。内容は覚えていないのに、なぜかそういう感覚だけは思い出せる。

マンデラ氏は私が心から尊敬する政治家だ。日本にもこんなリーダーが現れたら……それは夢のまた夢、なのだろうか。

古賀茂明(こが しげあき)1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元幹部官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して2011年退官。著書『日本中枢の崩壊』(講談社)がベストセラーに。新著は『原発の倫理学』(講談社)。『報道ステーション』(テレビ朝日系)のコメンテーターなどでも活躍

●ネルソン・マンデラ1944年にアフリカ民族会議に入党し、反アパルトヘイトの闘士として活動。64年に国家反逆罪で投獄され、それからの27 年間を牢獄で過ごす。90年に釈放。94年、南アフリカ大統領に就任し、99年に政治家を引退した