■「ウソつき内閣」の汚名覚悟で交渉?

シンガポールで開かれていたTPP交渉の閣僚会合は、事実上の決裂に終わってしまった。

交渉を取材した全国紙の経済部記者が言う。

「共同声明のどこにも『合意』の二文字はなし。次回の会合日程や合意の目標時期すら盛り込むことができませんでした。交渉は暗礁に乗り上げた格好です」

交渉不調の原因となったのは、日米両国のいがみ合いだ。

「コメや牛・豚肉など、聖域5分野の関税維持を主張する日本と、例外なき関税撤廃を要求するアメリカの主張が平行線をたどり、まったく歩み寄る気配がない。2月22日の協議初日は甘利(あまり)明TPP担当大臣とフロマン米通商部代表が怒鳴り合い、まるでケンカのようでした。24日の再会談も甘利大臣はフロマン代表との握手を拒否し、なんの協議もできないまま30分ほどで終わったと聞いています」(前出・経済部記者)

実は今回、安倍政権は“ウソつき”呼ばわりされることを承知で、交渉をまとめようとしていたフシがある。

そのサインが交渉出発前の2月18日、19日に飛び出た甘利大臣と石破(いしば)茂自民党幹事長の発言だ。

「これまで聖域5分野の関税維持について、『1センチたりとも譲らない』と繰り返していた甘利大臣が突然、『(5分野の)扱いがひとつ残らず微動だにしないというのでは交渉にならない』と、アメリカに対する譲歩の用意があるかのような発言をしたのです。

その直後、今度は石破幹事長が『(アメリカからの)輸入実績がないものなどについては、まったく(関税撤廃の)余地がないということではない』と、甘利大臣に連携するかのようなコメントを出した。

聖域5分野の関税を守れなければ、交渉から離脱するというのが安倍政権の公約です。ふたりの発言を聞いた多くの記者が『安倍首相は公約破りを覚悟の上で、TPP交渉をまとめる気なのでは?』と受け止めました」(前出・経済部記者)

ささやかれる首相の“4月決断説”

ところが、結果はまとまるどころか、交渉は物別れに。TPP交渉に詳しい立教大学経済学部長の郭洋春(カクヤンチユン)教授が苦言を呈する。

「見通しが甘すぎました。オバマ政権も国内の自動車産業から関税を維持すべしと強いプレッシャーを受けるなど、弱みがある。そのため、聖域5分野586品目のうち、輸入実績のない約200品目に加え、牛・豚の関税を大幅に引き下げるなどの追加妥協を示せば、残りの品目についてはアメリカも関税を認めてくれるはずと、政府は期待したのでしょう。

“甘利、石破発言”はその期待を事前にアメリカに伝えるサインでした。ところが、フロマン代表は日本の譲歩カードにそっぽを向いてしまった。聖域5分野の関税撤廃というカードを日本側が切り出さないかぎり、アメリカはテコでも動かない。今回の閣僚会合で安倍首相はそう思い知らされたはずです」

この事態にある自民党関係者が焦る。

「今回の決裂でTPP交渉の長期化は避けられない。10年以上も合意できず、交渉が漂流しているWTO(世界貿易機関)交渉の二の舞いになりはしないかと心配しています。安倍政権はTPPをアベノミクス第3の矢である『成長戦略』の柱と位置づけている。そのTPPが不調では、アベノミクスの先行きに赤信号が灯りかねません」

■ささやかれる首相の“4月決断説”

4月から消費税が8%になる。景気が腰折れして内閣支持率が下がるという事態を避けるためにも、なんとしてでもTPP交渉をまとめたい。それが安倍政権の本音だろう。そんな政権の事情もあってか、自民党内にはこんな噂が飛び交っている。

「安倍首相が政治決断をするかもしれない」

どういうことか? 前出の郭教授がこう代弁する。

「4月末にオバマ大統領が国賓待遇で日本を訪問します。それが年内にTPP交渉をまとめる最後のチャンスとなる。このとき、安倍首相が官邸主導で、聖域5分野の関税撤廃を政治決断する可能性はゼロではないと私は考えています」

しかし、衆参の農林水産委員会は昨年4月に「重要5分野は関税撤廃の例外とする」という国会決議をした。いくら安倍首相とはいえ、これを無視して政治決断できるものではない。

落としどころは?

自民党TPP対策委員会幹事のひとり、中村裕之(ひろゆき)衆院議員(北海道4区)もこうクギを刺す。

「今回のシンガポールでの閣僚会合同様、これからも安倍政権は衆参農水委員会での国会決議、そして国民との約束である公約をきっちりと守り抜いてくれると信じています。なんといっても国会の決議は重い。その決議を軽んじるようなことを政府の独自判断でやれるはずもありません」

しかし、経済評論家の須田慎一郎氏はこう首を振る。

「アメリカに妥協し、聖域5分野のうち、2、3分野しか守れなかったというのでは、国民からも自民党内のTPP慎重派からも叩かれてしまう。そこで、実際には聖域5分野586品目の関税をほぼゼロにしながらも、いくつかの品目の関税を維持して、外形だけ聖域5分野を守るというサギめいた手法を安倍首相がとることは十分に考えられます」

前出の郭教授もうなずく。

「落としどころはアメリカの要求どおりに関税を下げつつ、しかし、TPP慎重派には公約や国会決議を守ったと言い訳できる形しかない。5分野で1品目ずつ関税を維持すれば、形としては聖域5分野を守ったことになる。

その場合、安倍首相は『TPPで日本は成長軌道に乗る。1、2年後には必ず景気はよくなる。それまで見ていてほしい!』と強弁するのでは?秘密保護法案の審議など、最近の安倍首相の開き直りぶりを見ていると、そんなゴーマンなやり方で一点突破を試みたとしてもおかしくありません」

前出の須田氏によれば、自民党内にはすでに安倍首相の政治決断を見越したような動きも出ているという。須田氏が続ける。

「TPP反対議員に、『聖域5分野を守れる自信が本当にあるのか?』と率直に尋ねると、少なくない議員が首を横に振る。彼らもアメリカの強硬姿勢を見て、守りきれないとうすうす気づいているんです。

そうした議員たちの関心はすでに次のフェーズに向かっている。それは補助金です。関税撤廃を容認する代わりに、農業振興や農産物の輸出ファンドの設立など、さまざまな名目で政府から補助金を引き出そうと、虎視眈々(こしたんたん)と狙っているんです」

日米のGDPを合わせると、TPP参加12ヵ国の総GDPの9割にもなる。その日米が一致点を見いだせず、交渉を長引かせている。そのため、ほかの参加国からは「交渉の期限を設ける意味はもはやない」(マレーシア)など、日米両国への不満が噴出している。

聖域5分野の関税交渉で大幅な譲歩をすれば、「公約破り」「国会決議軽視」との政権批判は免れない。かといって譲歩しなければ、成長戦略を描けず、アベノミクスが挫折しかねない。進むも地獄、退ひくも地獄。さあ安倍首相、どうする?

(取材・文/小畑果仁)