90年代にレギュラーの顔となったタモさんの後輩で娘分! 笑いと涙のインタビュー

明石家さんま、ダウンタウン、ウンナンが同時期にレギュラーだった90年代の『笑っていいとも!』黄金期に、元祖バラドルとして8年間もレギュラーを務めた森口博子が肌で感じたタモさんの人柄、番組の偉大さとは……?

■“反省しないこと”が長寿番組の秘訣?

―まず、21歳で『いいとも!』レギュラーに抜擢(ばってき)されたときの気持ちを教えてください!

森口 『いいとも!』のレギュラーといえば、芸能人のステータス! すごくうれしかったです。しかも、タモリさんは中学校の先輩で、特別な存在だったんです。そんなタモリさんが司会をやっている番組に参加させていただけるのには特別な思いがありました。

―じゃあ意気込みは半端ないしプレッシャーとかも?

森口 生放送で、お笑いのベテランの方々に囲まれて「自分も何かお仕事をして帰らなくちゃ!」という思いは強かったです。でもだからといって、あの場で気負っちゃいけないんですよね。出演者同士の何げない会話のキャッチボールの中で生まれてくる面白さが『いいとも!』の魅力ですから。

―うーん、深い! とはいえ、気負わずにいるのも難しそう……。

森口 私も最初の頃は常に「頑張んなきゃ!」って力んでたし「今日はここがダメだった……」と落ち込むことも多くて。それがある日、CM中、タモリさんに「『いいとも!』もそうだし、芸能界を長く続けていく秘訣(ひけつ)ってなんですか?」って聞いたら「反省しないこと!」って。ビックリして「私、反省の毎日ですよ!」と言うと、「どんどん時間は流れていくんだから、いちいち気にしてたらやってけない。その場その場を楽しめばいいんだよ」と話してくださったんです。20代の私にとって、これは衝撃的で! このタモリさんのスタンスが番組の雰囲気をつくってたんでしょうね。

―確かに、独特の“心地よいユルさ”は伝わってました!

森口 あっ、うれしいです! あの雰囲気はタモリさんの人柄もそうだし、『いいとも!』ならではのある“習慣”が大きかったと思います。実は、本番前には必ずレギュラーやスタッフの方々がタモリさんを囲んで談笑する時間があったんです。それがあるかないかで、放送中の会話のキャッチボールの温度が全然違ってくるし、“ファミリー”のような連帯感を持って気負わずに臨むことができたんですよ。ただ、その分タモリさんは楽屋で休憩する時間もなく、毎日本番だけでも大変なエネルギーがいるのに、きっと相当な労力だったと思います。32年間も脱帽です!

何度も泣かされたタモリの優しさ

―裏側ではそんなことが……! 実際、そこではどんな話を?

森口 日常のたわいもないことですよ。でも、そこでみんなが何げなく話したエピソードをタモリさんはきちんと頭にプログラミングしてるんですよ。それで、本番中に「こんなことがあったらしいね」とポッと出演者に話を振って、笑いにつなげてくれるんです。

―なるほど~、それであの自然な笑いが生まれるんですね!

森口 それだけじゃなく、私が出ていた雑誌のインタビューまで読んでくださったりして、しっかり番組でネタにしてくれるんです。その記事では、福岡から上京して堀越学園に通ってたときのことを話してたんですけど、堀越は体育の授業を屋上でやってたんです。地方出身の私には、これがカルチャーショックで! 目の前の副都心の高層ビルを眺めながら体操してたら「私、孤独だな……」ってすっごく寂しくなっちゃったんですね。そんなとき、ふいに副都心が「みんなひとりだよ」って、言ったような気がしたんですよ!

―ふ、副都心が……!?

森口 そう、副都心が(笑)。「東京って、夢を追いかけてきた人が集まってる街だから、みんなひとりなんだよ。大丈夫だよ」って。これで、元気になれたという話を読んでくださってたんです。それである朝、アルタに行くとタモリさんが寄ってきて小声で「みんなひとりだよ」って(笑)。ほかのレギュラー陣にも「こいつ、副都心から話しかけられたらしい」とネタ振りをして、本番でもことあるごとに「みんなひとりだよ、大丈夫だよ」って言うんですよ。お客さんやテレビに向かって「森口、ビルに話しかけられたらしいんだよ」と、オイシイ感じに広げてくださったんですよね(笑)。

■タモリさんには何度も泣かされました

―森口さんはとても涙もろく、『いいとも!』放送中に泣いてしまうことも多かったとか?

森口 もう何度も(笑)。放送終了後のフリートークを増刊号で流すじゃないですか。そのトーク中に号泣しちゃったこともあるんです(笑)。私が紅白に初出場した後の年明けの放送だったんですけど、フリートークが始まるとスタッフがモニターを出して紅白の映像を流してくださって。そしたらタモリさんが「福岡から出てきて歌手になった森口が今日まで頑張りました! よかったな、森口!」なんて言うから、お客さんの前で号泣しちゃって。ああいうときのタモリさんって涙を誘うようなコメントを言うんですよね。

―うう、“愛”を感じます……。

森口 そう! 重くならないようにユーモア交じりに。それと私が体調不良のときも、タモリさんは朝にアルタで私の顔を見た瞬間「あ、今日は大変だな」って声をかけてくれるんですよ。

―ええっ、顔を見ただけで?

森口 ほかの誰も気づいてないのにタモリさんはわかってくれて。まさに理想の上司ですよ!

自慢の大先輩タモリに心から感謝

―そんなタモリさんの下でレギュラーを続けて得たものとは?

森口 「生には“魔物”が住んでる」っていいますけど、生で起こる突発的なことをうまく転がして面白くする快感は『いいとも!』で学びました。今ラジオのレギュラー番組で3時間の公開生放送をやってるんですけど、やっぱり“生”に勝るものはない! 肩の力を抜いた“さりげなさの美学”もタモリさんから教えていただきました。

―では、やっぱり放送終了を知ったときの衝撃は大きかった?

森口 もう信じられなくて。『いいとも!』は終わらないと思ってたから……。まだ続いてほしいという気持ちと、タモリさんにものどかなお昼を過ごしてほしいという気持ちで複雑でした。今も私の中ではまだタモリさんに「お疲れさまでした」とは言えない気持ちです……。

―それだけ『いいとも!』が大きな存在だったと?

森口 そうですね。その後、自分のライブで『ウキウキWATCHING』を歌う機会があって、あらためて歌詞を見直してみたんですけど、めちゃくちゃ深いんですよ! 歌詞を見ながら、泣けちゃいました。毎日12時になると当たり前のように「How do you do?」って言ってくれる番組だったんですよね。いつもそばにあるから気づかないけど、なんて大きいんだろうって……話してると、また泣けてきちゃった(涙)。

―涙ながらのコメント、ありがとうございます……! では最後にお別れのメッセージを!

森口 私たちの“昨日のモヤモヤ”を毎日お昼にリセットしてくれていたタモリさん。レギュラーとしても視聴者としても、幸せな時間に心から感謝です。“楽しみながら人を笑顔に”のタモリさんのスピリッツ、芸能界の高宮中学校の後輩としても受け継いでいきたいと心から思います。タモリさんは自慢の大先輩です! これからもついていかせてください!

(取材・文/short cut[岡本温子、山本絵理]、撮影/五十嵐和博)

●森口博子(もりぐち・ひろこ)福岡県出身。1985年、アニメ『機動戦士Zガンダム』の主題歌『水の星へ愛をこめて』でデビュー。音楽活動と並行し、バラエティ、ラジオ、CM、舞台など幅広く活躍中