2011年に「焼き牛丼」で牛丼業界に殴り込み。 昨年夏には約140店舗にまで勢力拡大したが……

あの破竹の勢いはどこへ行ってしまったのか――。

2011年6月、東京・池袋に1号店をオープンした「東京チカラめし」は、吉野家、松屋、すき家の大手3社が市場を牛耳る牛丼業界に「焼き牛丼」という新しいスタイルで参入し、店外に行列ができるほどの人気を博した。

その波に乗り、わずか1年3ヵ月後には100店舗出店を達成。ピーク時の昨年夏には約140店舗にまで増えた。多いときには1ヵ月で15店も出店したというから、そのハイペースぶりがわかる。

だが、その後、急ブレーキがかかった。店舗の閉鎖が相次ぎ、昨年末に100店舗を割り込むと、ついに4月10日、東京チカラめしを運営する三光マーケティングフーズは、88店舗のうち68店舗を売却すると発表した。

この急転直下の背景には、何があったのか。フードアナリストの重盛高雄氏はこう分析する。

「まずオープン当初は、“焼き”という新しい付加価値を提示することができた。当時は東日本大震災直後ということもあり、景気も悪く、値下げ競争が激化するなかでは、価格は多少高くとも、その新しい価値の登場が新鮮に受け止められたのではないでしょうか」

ところが、長続きしなかった。

「店舗数を増やすことに力を入れすぎて、いわゆる通常の店舗オペレーションや、三光マーケティングフーズもサイト上で掲げる飲食業の基本『QSC(クオリティー、サービス、クリーンネス)』がまったく追いつかず、結局、お客のリピートにつながらなかったのです」(重盛氏)

重盛氏が、自らの経験に基づいてこう話す。

「人気絶頂だった当時、都内のある店舗を訪れたのですが、肉を焼く際、店員が素手で肉を鉄板に並べていたり、丼からはみ出した肉を手で戻していたりしました。そして、出てきたのは“つゆだく”ならぬ“あぶらだく”。ご飯まで脂まみれでおいしくない。肉を味わうという感じがまったくありませんでした。当時は私がたまたま入ったその店舗だけのことだと思うようにしていたのですが……」

ブーム終焉が大手3社への追い風に?

“焼き”という新しい付加価値でブームを生んだ

サービス面でも、「いらっしゃいませ!」をしっかりと言ってくれるのは券売機だけで、店員がそろって元気よくという、ほかの外食チェーンでは当たり前の接客も徹底されていなかった。

「ブームですから、いつかは人気が落ち着く時期を迎えるわけですが、店の努力次第で一定の支持を受け続けることは可能です。ですが、今回は最初の話題性だけで、人気を継続する努力が不足していたように思います」(重盛氏)

そこに追い打ちをかけるように、それまで静観していた大手3社が動きだす。

「大手3社が、すぐに焼き系のメニューに飛びつかず、少し様子を見ていたというのはさすがでした。それでいて、焼きメニューを出すときにはキチンとしたものをキッチンで作りましたから、東京チカラめしで脂がギトギトのご飯を食べた人が、やっぱり食べ慣れた牛丼がいいなと戻ったところに、新しい焼き系丼が待っていたと。当初の東京チカラめしの勢いが、最終的に大手3社への追い風になってしまいました」(重盛氏)

今後、東京チカラめしはどうなってしまうのだろうか。

「おそらく、いい形での幕引きを図っているのだと思います。ただし、東京チカラめしが牛丼のチェーンに“焼き”という新しい価値観を提供してくれたということにおいて、その功績は大きいと思います。ですから、今後、仮に10店舗だけになったとしても、しっかりとしたオペレーションで焼き牛丼を作ってくれるなら、私は食べに行きたいですね」(重盛氏)

巻き返しに期待しよう。

(取材・文/頓所直人)