ソーラン節を踊って義援金活動をしました。みんな日本人の旅友です!

セニョール&セニョリータ! GWは忙しく遊びましたかー? 私も元気いっぱいで南米を満喫してまーす!……と言いたいところですが、実はイースター島のテント生活でノドをやられ、咳喘息(せきぜんそく)になってしまいました。

しかもイースターから戻ったチリの首都・サンティアゴは大気汚染が有名。そのためか咳はさらに悪化し、涙と鼻水が止まらずオエーっとなったり、夜間は咳込んで眠れないほど。何もできずに宿で寝込み、宿代だけが増えていくというバックパッカーにはつらすぎる状態に……。

次の目的地は標高も高く乾燥したチリの砂漠地帯。そこからさらに標高の高いウユニを目指す予定。こんな体調のまま行ったら、マジで死ぬ可能性だってあるかも。

いつもは海外医薬品は強すぎるから避けているけど、さすがに今回は頼らざるをえない。私は焦りながらスペイン語を調べ薬局に向かうと、覚えてきた呪文のようなフレーズを唱えた。

「キエロパララトスポルファボール!」

すると、出てきたのは求めていた咳喘息の薬ではなく咳止めシロップ。うーん。

「キエロ(下さい)、パラ(ための)、ラトス(咳)、ポルファボール(プリーズ)」なので、「咳のためのやつを下さい!」みたいなカタコトなんだけどw。

それから、日本人でもさらにチビッコの私には、海外薬品は強すぎるのでいつも子供用でお願いしている。……えっと、子供用ってなんていうんだろう?

「ピケーノ、ビエン? ヨ、ピケーニョ。(小さい、良い? 私、小さい)」

ジェスチャーを交えながら必死に説明。薬局のおじさんに「何歳用がいいの?」と聞かれ、私の身長152cmは海外では12-14歳くらいの洋服サイズなので、それにちょっと大人ということを足して、「15歳くらい!」と答える。

それでもおじさんが差し出すのは同じ咳止めシロップ。追加で「アスマ!(喘息)」と言ってみても変わりナシ。さすがにそれ以上説明する自信もなく、シロップで妥協することにした。薬局のおじさん&おばさんも一生懸命聞いてくれてたけど、どこまでわかってくれたかはナゾ。シロップはチェリーの味でおいしかったけど。

やっぱり言葉が通じない土地での体調不良は不安でいっぱいだ。もし違う薬を飲んでしまったらシャレにならないよ。

余談だけど、スペイン語で「判断する」は「ブスガール」、乗物のバスのことも「ブス」と言う。言語の違いにおもしろさと戸惑いを感じる。

大都会・サンティアゴ。このヨーロッパ風の美しい建物は郵便局!

大火事のあった世界遺産・パルパライソへ

いちおう薬を飲んで安心した私。弱った体にチリ名物の魚介で栄養補給しようと、市場へ出かけた。アルゼンチンでは肉まみれだったから(大好きだけど)、そろそろ魚が食べたい!と体が叫んでいたところ。

それにしても市場の魚はキロ売りなので、なかなか気軽には買えない。でも、市場にはレストランもあって、スペイン語ばかりのチリでも、ここだけは「ウニ! ウニ! ヤスイ!」と日本語で話しかけてくる。そして「オイスターオイシイ!」と、とってもおいしいホタテのアヒージョが出てくるので要注意 笑。

定番のセビーチェはそこそこおいしい刺身カルパッチョかな。マリスコス(魚介)スープは貝の出汁がよく出てて肝臓が元気100倍! 肝心のウニは、一皿でウニ5個分の痛風盛りですが、うっすらした色と味。日本のそれとは違いまーす。

サンティアゴの魚市場。南北に長い海沿いの国・チリは魚介の宝庫!

「ウニオイシー」と話しかけてくるのは、おなかの大きいヒゲのパパ

これぞ色の薄めのウニ痛風盛り。咳喘息のせいでちょっとヤツれてる私…

■パルパライソのためにソーラン節を踊ろう!

市場でチリの海の幸を満喫した私。でもやっぱり咳は止まらないので、療養もかねてサンティアゴから近いリゾート地・ビーニャと港町・パルパライソに行くことにした。

実はその少し前に、世界遺産の街・パルパライソでは大火事が発生していた。日本でもニュースになったようだけど、私を含め旅人たちは衝撃を受け、行くのを止めようか迷った。報道では2千戸が焼け12人も死者が出たという。美しい世界遺産の街はどんな状況なのだろう?

パルパライソを実際に訪れてみると、観光の中心である旧市街は無事だったようで、火事の形跡は見当たらなかった。とりあえずホッとした。

この街は急な坂道や石段が特徴で、そこにカラフルな家々がビッシリと並ぶ。市民の足となっているアセンソールと呼ばれる短いロープウェイで急こう配を上ると、世界遺産の街並みが一望できる。所狭しと並ぶカラフルな家々はまるでジオラマみたいで、ムーチョカワイー!

丘陵に家々が並ぶ街並みは2003年に世界遺産に

街中はカラフルで、どこの壁にも上手なアートが

急角度のロープウェイ。短いけど有料です

日本人の旅友でソーラン節を踊る!

こんな素敵な街のために何かできないかと、私はサンティアゴの宿で知り合った日本人の旅友、桃尻モモちゃんに相談。彼女はすでにサンティアゴでもパルパライソのための義援金活動をしていたのだ。

私たちはモモちゃんを中心に、日本人数人で漁師の民謡・ソーラン節にチャレンジすることを決め、YouTubeで『金八先生』を見ながらソーラン節を即席で練習。私は普段ダンスをやっているとはいえ、全くテイストの違う曲とフリにギクシャクしながら「どっこいしょ~どっこいしょ! ソーラン! ソーラン!」と、治りかけのノドを潰しながら叫んだ。

そして私たちは盛り上がって街まで来たものの、慣れないソーラン節を外国の人前で披露することに実はドキドキ。するとそこに拡声機を持った現地人がいたので、私たちの紹介をしてくれるよう頼んだ。

「日本人のバックパッカーが、バルパライソのために何かできないかと考え、今からパフォーマンスします!」

そのかけ声とともに笛の音が高く響き、私たちは「よぉ~!」と叫んだ!

休日で街に人は少なかったが、人々は初めて見る不思議な動きに足を止め、コインを投げてくれた。若者も多く、1人で6000チリペソをくれた人も(1000チリペソからは紙幣になるのでなんとなくすごい!)

バルパライソ義援金活動の仲間たち。ねじりハチマキがキマってるでしょ?

「バルパライソのためにありがとう!」そう言われるたびにうれしくなった。子供たちには日本の折り紙で折った鶴を渡した。物珍しそうに見ている人、感動して喜ぶ人……みんな真面目な顔で見ている。

この国では自分が気に入ったパフォーマンスにお金を入れるのは普通。電車内でも路上でも。イースター(復活祭)の時期だったので小さな卵型のチョコレートをくれた子供もいて、とってもうれしかった! 3年前の日本の地震を心配してくれる人もいて、チリと日本は遠いけどこうして心が通じ合ったりするんだなと実感。

そして、サンティアゴ、ビーニャ、バルパライソでの活動で合計10万チリペソ(約2万円)を赤十字に寄付することができた!

私ができたことはほんの少しだったけど、充実した日々を過ごしました。協力してくれた旅友たちにも本当に感謝。そして、体調を心配してくれたり応援してくれる日本のみなさん、どうもありがとうございます!

そして咳が止まった! 生きてます!

チリでチリを食べさせられる

服を着たせいで滅んだという、おもしろすぎるパタゴニア先住民裸族ヤマナ族。おみやげ屋で発見。さすがアートな街

【This week’s Blue】バルパライソで少年がサッカーのトレーディングカードで遊んでた。日本の選手は誰が好き?

●旅人マリーシャ平川真梨子。9月8日生まれ。東京出身。レースクイーンやダンサーなどの経験を経て、Sサイズモデルとしてテレビやwebなどで活動中。バックパックを背負う小さな世界旅行者。【http://ameblo.jp/marysha/】Twitter【marysha98】