世間から「悪人」と評された被告人の弁護を担当し、数少ない無罪を勝ち取ってきた弘中惇一郎氏が、刑事司法のあり方を問う

「ロス疑惑」や「薬害エイズ事件」「郵便不正事件」。また、国会議員の小沢一郎氏や鈴木宗男氏をターゲットにした、いわゆる「国策捜査」事件など、時代を象徴し世間の注目を集めた刑事事件で被告人の弁護人を務めてきた弘中惇一郎氏。

マスコミが徹底的に叩いた被告人を弁護することで「なぜ社会から敵視される『悪人』を好んで弁護するのか」との批判を受けることもあったという。

しかし、「悪人」とはいったい誰のことなのか。捜査当局のマスコミへの情報リークによって形成された「虚像」ではないのか――。弘中氏は、われわれにこう問いかける。そして、いまの刑事司法が変わらない限り、一般市民がいつ、冤罪(えんざい)被害者にされるかわからないと警鐘を鳴らす。問題だらけの刑事司法の姿はわれわれにとって決して無縁ではない。『無罪請負人 刑事弁護とは何か?』で司法のあり方を問う弘中氏に聞いた。

―「無罪請負人」と呼ばれることに抵抗感を持たれているようですが、その呼ばれ方の裏には、無罪を勝ち取るのがいかに難しいかという日本の刑事司法の現実があるのではないかと思います。

弘中 そうですね。日本の刑事裁判の有罪率は99・9%で、先進国の中でも飛び抜けて高い数字です。いったん起訴したら何がなんでも有罪にもっていくという検察の強い姿勢がこの数字に表れています。無罪判決を受け入れなくてはいけない事件でも、証拠隠しや改竄など違法行為をしてまで有罪を勝ち取ろうとするのが検察のやり方です。

2009年、大阪地検特捜部によって厚労省の村木厚子さんが逮捕・起訴され、その後無罪となった「郵便不正事件」では、検察が描いた事件のストーリーに合わせるために証拠のフロッピーディスクの日付を改竄しました。特捜部の検事3人が逮捕されましたが、これは氷山の一角にすぎません。証拠を改竄までして有罪にしようとする検察の体質は「病気」といってもいいでしょう。

―証人が法廷で検察に不利な証言をしないよう、事前に証言内容をすり合わせることもあるとか。

弘中 今年1月に『朝日新聞』が大きく報じた「証人テスト」ですね。検察の描いた事件のシナリオどおりの証言を無理やり覚えさせ、そのとおりに法廷で証言するよう、証人に圧力をかけるのです。

「悪人」を求める欲求がわれわれの社会にある?

―「国策捜査」のターゲットになった小沢一郎氏や鈴木宗男氏らは、検察のリークを受けたマスコミ報道によって「悪人」のイメージを植えつけられました。

弘中 「悪人」を求める欲求がわれわれの社会にあるのかもしれません。何か問題が起きたり、不安があったりするのは誰か「悪人」のせいで、その人を処罰、あるいは排除することで問題が解決され、安心して生活できると考えたいのでしょう。

国策捜査はそうした世の中の流れをとらえて行なわれると考えられますが、背景には政治闘争があるのだと思います。小泉政権によって進められた、弱肉強食の新自由主義的な改革に反対する「抵抗勢力」の有力者として、鈴木宗男さんが狙われました。また、小沢一郎さんは、従来の対米従属外交からアジア外交に軸足を移そうとしていた。そうした政治の動きに反応する形で国策捜査が展開されたのだろうと考えています。時の政権、既得権益勢力の意向を忖度(そんたく)するのが検察という組織です。

―そもそも特捜検察は必要なのでしょうか。

弘中 独自の情報収集と判断に基づき、時の権力者をチェックする特捜検察的な機能は必要だと思います。ただ、特捜検察が手がけるような事件がいつもあるわけではないですから、「特捜部」という看板を掲げて、常時多くの検事を抱える必要はない。特捜部という看板がある限り、特捜部長は自分の任期中に政治家などが関わった大きな事件を立件できないと焦りを感じるわけです。それが特捜検察の無理な捜査につながっている面は否定できません。

―本来、裁判官がきちんとジャッジすれば検察の暴走を止めることができると思うのですが。

弘中 有罪であることを直接示す証拠がなくても、推認に推認を重ねて有罪に導く裁判官がいます。私が「推認裁判官」と言ったことでその裁判官は気分を害したようですが(笑)。推認というのは、その人が頭の中でいろいろ考えただけの話。裁判官は証拠に基づき、謙虚に判断すればいいのです。

―保釈制度など法律がもっと厳格に運用されればある程度冤罪も防げると思うのですが。

弘中 本来、保釈は被疑者の権利であり、逃亡や証拠隠滅の恐れがない限り認められなければならないはずです。しかし、現実は、容疑を否認していると保釈が認められず、長期勾留される。被疑者はそれを恐れて、やってもいない容疑を認めざるを得なくなり、それが調書になって裁判の有力な証拠になる。法廷でいくら否認に転じても、裁判官は検察官が作成した調書を優先してしまう。法律の規定どおりに行なわれるようになれば、刑事裁判は相当変わってくるはずですが、刑事被告人というのはマイノリティー(少数派)で、大多数の国民には関係のない話ですから、変化を求めて世論を盛り上げるのは簡単なことではないと思います。

刑事弁護の難しさ、醍醐味は?

―一般市民が無実の罪で逮捕されることはあると思いますか。

弘中 その典型的な例が痴漢冤罪(ちかんえんざい)でしょう。満員電車に乗っていれば、誰が、いつ、痴漢の容疑者とされるかわかりません。満員電車なので目撃者はいない。その中で誰の手が触ったかという微妙な事実認定が必要なのですが、痴漢犯罪に対する世論の厳しさに後押しされ、これまで多くの有罪判決が出されてきました。ただ、09年、最高裁第三小法廷が、「被害者の証言しか証拠がない痴漢事件では、特に慎重な判断が求められる」とし、逆転無罪判決を言い渡しました。これで有罪判決が自制されるようになったように感じます。

―そうした裁判所の判断がほかの事件にも広がるといいですね。

弘中 犯罪をした人は断固処罰すべきだから、多少の冤罪者を出しても構わないと考えるのか。あるいは、真犯人が何人か逃げることになっても、無実の人をひとりでも罰することがあってはならないと考える健全さが社会にあるのかだと思います。

―刑事弁護の難しさ、醍醐味(だいごみ)はどこにあるのでしょう。

弘中 う~ん、難しい質問ですね……。民事事件と違って、刑事事件では弁護士の相手は検察官と決まっています。和解はなく、法廷に出された証拠に基づき、最後は判決というジャッジが下る。このようにルールが決まっているのが刑事裁判です。しかも、検察は捜査権限という強制力を使って証拠を集め、関係者を取り調べる。常に先行する検察を追いかけ、論理の矛盾や証拠の誤りを見つける。あるいは検察が見落としていた証拠を発見して、検察の主張をひっくり返す。それが刑事弁護の醍醐味といえば醍醐味でしょうか。ただ、検察が見落とす証拠はそうめったにあるわけではありません。こちらが勝つとしても検察の矛盾を突く「判定勝ち」が多く、「フォール勝ち」するのはなかなか難しいですね。

(取材・文/西島博之 撮影/榊 智朗)

●弘中惇一郎(ひろなか・じゅんいちろう)1945年生まれ、山口県出身。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。70年、弁護士登録。クロロキン薬害事件など多くの薬害事件で、原告側の弁護を担当した。著書に『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』(現代人文社)などがある。法律事務所ヒロナカ代表

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