今、ネット上で囁かれているウワサのひとつに、このようなものがある。

「世間を騒がせた犯罪者って1982年生まれが多くない?」

なぜこういった声が聞かれるのか? それは、古くは1997年に発生した「神戸連続児童殺傷事件」、2000年「西鉄バスジャック事件」、2008年「秋葉原通り魔事件」、同年「荒川沖駅通り魔事件」、2012年「パソコン遠隔操作事件」、そして2005年に発生し、今月容疑者が逮捕された「栃木小1女児殺害事件」と、人々の記憶に残る犯罪(メディア型犯罪)の犯人(容疑者)が、いずれも1982年生まれであるからだ。

前もって言っておくが、犯罪白書のような統計を見ても、1982年生まれに犯罪者が多いなどという事実は一切ない。あくまで、いずれも人々の記憶に残りやすい犯罪だからこそ発生しているウワサなのだ。

「神戸連続児童殺傷事件」の犯人を題材にした著書『「少年A」14歳の肖像』で知られる、ノンフィクション作家の高山文彦氏(1958年生まれ)が、1982年生まれについて語る。

「少なくとも1982年生まれの犯罪者にとって、思春期のど真ん中で同じ年代の酒鬼薔薇聖斗という存在に出会ってしまったことは、われわれが想像する以上にインパクトが大きいことだったのではないでしょうか。『ひょっとしたら、酒鬼薔薇は自分だったかもしれない』という共感まじりの戦慄を味わった。一部の少年たちには、ある種、ヒロイックな存在として記憶の断層の中に刻まれたのだと思います」

それと前後して、1982年生まれの人は少年期にもうひとつの大きな“出会い”があった。インターネットである。

1995年「Windows95」が発売され、以降、ネットは家庭で急速に普及する。保守系の若手評論家・古谷経衡氏(1982年生まれ)は、当時をこう振り返る。

ネットに過度な幻想を抱いていた世代だった

「僕たち1982年生まれは思春期にインターネットやモバイル端末の進化と普及が起こり、それらを積極的に享受してきました。特にインターネットにみんなものすごく期待を抱いていた。今まで出会ったことがない人ともコミュニケーションが取れて、検索すれば膨大な情報にアクセスできる。『2ちゃんねる』といった掲示板や『mixi』のようなSNSを自分の“居場所”としていた人もいた」

「秋葉原通り魔事件」の加藤智大被告もそのひとりだった。

「加藤は孤独を埋めるためにネットを利用していましたが、ネットの世界でも孤独になってしまった。結局、ネットで人とつながるためには、実生活のコミュニケーション能力が必要だということです。

今の20代前半くらいの若い人たちは、ネットは互いに見知った仲間たちとのコミュニケーションツールでしかないことを最初から認識しています。しかし、1982年生まれの加藤はコミュ力を持ってなくても新しい“居場所”を見つけられると、ネットに過度な幻想を抱いていた。そしてそれはもろくも打ち砕かれたんです」(古谷氏)

思春期にネット普及の黎明期を迎えた世代。そのとき抱いた幻想や、後の失望感は、他の世代では知りようもない。

「僕も加藤と同じ1982年生まれなので、その気持ちはわからなくもありません。彼ほどではなくとも、ネットを通じて似たような体験をした人は決して少なくないと思います」(古谷氏)

たまたま“偶然”、メディア型犯罪に手を染めた者たちの生まれた年が同じだった。もしくは、誰かが都合のいい例だけをピックアップした。結局のところ、彼らの深層心理は彼らだけにしかわからない。

(取材/廣田晋一郎)

■週刊プレイボーイ26号「『82年生まれ』に“メディア型犯罪”が多すぎるのは偶然か!?」より