連載に向け、鋭意執筆中の岡村氏。あまりの気合いの入れように、鍛え抜かれた肉体も露出!

全国各地12000店舗以上という、パチンコ・パチスロ業界――。数多くの専門雑誌も刊行されているが、その頂点に立ったという男をご存知だろうか。

それが、“ドラゴン先生”ことマンガ家の岡村茂だ。2003年には月間連載を14本も抱えるほどの人気ぶり。そんな岡村氏が週プレNEWSで、7月28日(月)からマンガ『ドラゴン先生』の新連載を開始! 2010年以来、パチンコ・パチスロマンガを描かなくなった岡村氏が復活を決意した真意を直撃した!

「ひと言でいえば、『かつてのファンのため』です。まだ街で握手を求められたり、4年経った今でも覚えてくれてる人が多いんですよ。辞めたあとに多くの人が僕のマンガを心に残してくれていると気づいたんですよ、“恩返し”ですね」

「僕のファンはたぶん、ずっと復帰を願っていた」という岡村氏。一体なぜ、そこまでの人気を誇ったのだろうか?

「今回のタイトルである『ドラゴン先生』とは僕のことなんです。これまで描いた多くのマンガでは、実際に僕が『ドラゴン先生』としてパチンコやパチスロを打ちに行き、その様子を実践マンガとして描いていました。自分で言うのも変ですが、ヒキが強すぎて“神様”やら“天下一”やらいろいろと言われ、ある意味カリスマ扱いされていたんですよ。ホールにいると、僕の強さにあやかろうと隣に座りたがるファンも多くて困ったものです(笑)」

ちなみに「ドラゴン先生」の由来は、『燃えよドラゴン』を観て、30年以上、筋骨隆々とした肉体を鍛え続けていることからついた異名だ。しかし、カリスマとまで崇(あが)められる「ヒキの強さ」とは具体的に?

「一番スゴかったのは、1年間負けなし、勝率10割を達成したことですね。自分なりの打ち方、勝ち方もありますが、パチンコ・パチスロは自身の持つヒキ、つまり勝利を掴(つか)み取る“運”だと思ってるんですよ。だから100%勝てるなんてことは普通ないんです。そのなかでの年間勝率10割ですから、『信じられない』といわれても仕方ないくらいですよ」

連載開始で新たな境地へ

経験者にとって、年間勝率10割とは到底不可能な数字。岡村氏のヒキを手に入れることは無理だが、実践形式のマンガでは、自己流の打ち方も紹介してきた。参考にする読者も多く、「ありがとうございます!」との感謝もよく寄せられたとか。そして00年から10年まで続けたパチンコ・パチスロマンガ。気になるのは、一体なぜ、離れたのかということだが……そこには意外な理由が?

「幼い頃、『世界の巨大カブトムシを捕まえたい』という夢があったんですよ。『ひとつのジャンルのマンガで一番になる』という夢は達成したので、05年から昆虫関連の仕事を始めて。そっちに全力を注いでいたんですよ。それで時間がなくて描けなかったんです」

実は、現在もインターネット通販や道の駅八王子滝山で昆虫販売を続けている。今年の夏は、8月17日(日)まで東京・立川市の国営昭和記念公園で「昆虫標本&ジオラマ展」を開催。連載を開始するこの夏場にかけて、とにかく大忙しなわけだが……今回の新作には並々ならぬ熱意をもっている、と。

「さきほど言った『ファンのため』はもちろんですが、今回週プレNEWSで始めるにあたって、さらなる目標を掲げているんですよ。それはパチンコ・パチスロの未経験者に、どんなものなのか知って楽しんでもらうことです。今まで50タイトル以上の作品を描いてきましたが、縁のなかった人にその楽しみを教えていくマンガは一本も描いたことないんですよ。だから僕にとっては新たな挑戦ですね。」

今回、“新境地”に立ったと意気込む岡村氏。では、最後にズバリ、パチンコ・パチスロの魅力とは!

「今、社会ってわりと自分が落ち着ける場所を持ってる人が少ないと思うんですよ。でも、この遊びは台に向かった瞬間に自分だけの世界がそこに生まれるんです。ひとつの世界に没入できるっていう、それが醍醐味(だいごみ)ですね。もちろん、お金のかかる遊びですからホドホドに、趣味のひとつとして、その楽しみを味わってほしいですね」

かつて業界で“神様”とまで称えられてきた達人・岡村茂。これまで通り、ドラゴン先生琉の打ち方も伝授していくが、パチンコ・パチスロに興味のない人も、どんなマンガになるのか、必読なのは間違いない!

■岡村茂1990年、「月刊少年ジャンプ」にて『BAD BOY MEMORY』で連載デビュー。2000年からはパチンコ&パチスロマンガで活躍。また、昆虫(特にクワガタムシとカブトムシ)にも造詣(ぞうけい)が深く、海外の展示会にも招待されるほど知名度が高い。現在、マンガ家以外にも講演家、大学教授など幅広く活躍中。【http://okapuro.com/】