9年半暮らした中国を離れ、初めてのアメリカ生活をスタートしたのが2年前。経験したことのない“壁”に悩まされましたが、収穫も多々ありました!

個人的な報告になりますが、2年間、研究・発信の拠点としてきたハーバード大学を離れ、秋から新天地へ旅立ちます。未来の話は次号で書くとして、今回は世界有数の学園都市ボストンで過ごした初めてのアメリカ生活を振り返ろうと思います。

ハーバードでの日常は刺激的でした。米中関係の研究に没頭し、講演もこなしてきた。

それでも、今振り返ってみれば、ぼくにとっては“惨敗”だったとしか言いようがありません。

自分勝手に使命感と責任感を背負い、突っ走ってきた9年半の中国時代。その勢いのまま、アメリカにおける学術の核心にぶち当たってみたものの、さまざまな壁にはね返されてしまった。ハーバードにおいて、自分という存在は大したものではなかった。自分の“無用性”を強く感じた2年間でした。

ハーバードは伝統ある学府であるがゆえに、内部では権威主義と官僚主義が横行していました。新参者で、経験が浅く、まして米中関係を研究しているのにアメリカ人でも中国人でもないぼくのような東洋の若造に、存在感を示すための機会はさほど与えられなかった。ある著名教授が「彼ほど中国内部に精通している人間はいない。ナンバーワンだ」と高く評価してくれていると人づてに聞きましたが、それでもぼくを大きな舞台へ導いたり、進んで有力者と引き合わせるようなことはしない。すべてが“限定的”でした。

教授たちには侵されたくない既得権益がある。そこに低姿勢に入っていく人間は歓迎されるのかもしれませんが、逆に切り崩すような可能性のある人間は、輪の内側に入れようとしないのでしょう。

ある意味で「なんでもあり」の中国では、日本人でも突破力さえあれば既存のメカニズムを切り崩すことができた。一方、アメリカではルールや慣例が極端に制度化され、権威主義が横行しているため、年齢や階級、そして人種がモノをいう。新しいことに挑戦しようとしない超保守主義者も多い。これでは斬新な勢力はなかなか食い込めない。

アメリカで得てきたものとは?

実は、ハーバードに行った当初はボストンを拠点に研究する多くの著名教授が向こうからアポを取ってきてくれました。これ幸いと、ぼくは教授たちに中国時代の研究成果を率直に伝えました。信頼関係が構築できれば、自分にとってもチャンスが広がると考えたからです。

しかし、情報を聞くだけ聞き尽くしたが最後、教授たちからのコンタクトは途絶えてしまいました。まるで果汁を搾り尽くしたオレンジの皮をポイ捨てするかのように。ショックでした。物事が冷徹なまでに政治的に動いていくアメリカの怖さを知りました。

こういったことが続いたので、ある時期から自分の中では割り切りが生まれていました。学内の壁を突破することに力を費やすよりも、アメリカという国の多様な現場の空気に触れ、米中関係を風上から風下まで――ホワイトハウスの国家戦略から、未来を担う大学生の中国観、一般国民の対中感情まで、自分なりに突き詰めてみようと思ったのです。

従ってこの2年間、インプット作業は充実していました。中国でひたすら走り続けてきたぼくにとって、アメリカに来たひとつの理由は「静かにインプットをすること」でもあったので、そういう意味では収穫はあったといえます。

もうひとつの収穫は、先に述べた自分の“無用性”を知ったこと。日本や中国にいると、常に忙しくするなかで「自分がいなければ社会は動かない」などと錯覚することもあった。アメリカに来て初めて、自分がいなくても社会は進むという当たり前の真実を深く考えることができました。自らの存在と向き合うことなくレベルアップできるというなら、その理由を逆に教えて!!

●加藤嘉一(かとう・よしかず)日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。ハーバード大学フェローを経て、現在はジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院客員研究員。『逆転思考 激動の中国、ぼくは駆け抜けた』(集英社)など著書多数。中国のいまと未来を考える「加藤嘉一中国研究会」が活動中!http://katoyoshikazu.com/china-study-group/