時代とともに変化してきた高校野球。道具や設備、ルールの変更は、プレーにも影響を及ぼした。

まずは、バット。当初はプロと同じ木製バットだったが、作新学院の江川が話題となった翌年の1974年から金属バットが使用可能となった。これにより、詰まった当たりでも内野を越えるようになった半面、芯を外れてもボールが飛ぶことから、打者の技術が低下したという説もある。

また、設備面では外野のラッキーゾーンの存在だ。以前の甲子園球場は広すぎて本塁打が出にくかったため、右中間、左中間から両翼のポール際にかけてフィールド上に別途フェンスを設けていた。そのフェンスと本来の外野フェンスの間の領域を「ラッキーゾーン」と呼んでいたのだ。

だが、時代とともに打者の飛距離がアップしたことで、1991年のシーズン終了後に撤去。ラッキーゾーンと聞いて、すんなり理解する人と、「なんすか、それ?」という人の間には、大きな世代間ギャップがある(笑)。

延長戦のイニング規定も、時代とともに変化した。もともとは無制限だったので、1933年の中京商vs明石中で延長25回に及んだこともあった。しかし、1958年春の四国大会で、徳島商の板東英二(現タレント)が2日続けて16回、25回をひとりで投げ抜いたことをきっかけに、同年夏より「18回裏で勝負がつかなかったら翌日再試合」と決まったのだ。

この規定は42年間続いたが、1998年に横浜vsPL学園の延長17回に及ぶ熱戦の際、松坂大輔がひとりで250球を投げたことが問題となり、2000年からは18回→15回に再び短縮されている。

(取材・文/キビタキビオ 取材協力/寺崎 敦)