対馬・厳原市阿連の北で「日韓 トンネル」の工事は進行中。山の斜面にトンネル の入り口が開く 対馬・厳原市阿連の北で「日韓 トンネル」の工事は進行中。山の斜面にトンネル の入り口が開く

1990年代に合同結婚式で注目された宗教団体「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)が今、佐賀県唐津と長崎県対馬から韓国へとつながる海底トンネルを掘り始めている。

この「日韓トンネル」は、佐賀県の東松浦半島(唐津)から壱岐(いき)、対馬を経て、韓国の巨済島(きょさいとう・コジェド)、そして釜山(プサン)に至る計画である。全長は約230km。

しかも、朝鮮半島に上陸した日韓トンネルは、「国際ハイウェイ」としてソウルを経由した後、なんと北朝鮮、中国、そしてアジア諸国までを結ぶのだという……。

統一教会系の財団である「国際ハイウェイ財団」は、すでに佐賀県唐津市、そして対馬、壱岐に広大な土地を取得。唐津はすでにかなりの掘削が進み、より国境に近い対馬でも、この6月から作業が始まっている。

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先月末、その工事現場を訪れた。対馬から、トンネルの経由地である韓国・巨済島までは、直線距離で約66km。意外と近い。

問題の「日韓トンネル」は、対馬の玄関口である厳原(いづはら)港から車で40分の場所にあった。対馬の西海岸にある阿連(あれ)という集落のちょっと北。ここの土地を財団は取得したのだ。

工事現場にたどり着いて、まず驚かされたのは、その広大さだった。小高い山の斜面にポッカリ開いたトンネルの入り口と、マッチ箱のような作業員宿舎があるだけ。作業員宿舎の横にあるトンネルの深さは、今はまだ10mほど。この広大な土地は、阿連の集落の人たちから譲ってもらったのだという。

実際に自分の土地を国際ハイウェイ財団(売却当時は、共和開発)に売った男性はこう語る。

「息子の結婚式などがあり、お金が必要でしたので土地を売りましたが、初めてこの話がきたときは集落の人たちも、このような所に海底トンネルなんて本当かねぇ~と半信半疑でしたね」

文鮮明氏の遺志を引き継いで

実は、日本と朝鮮半島を海底トンネルで結ぶという構想を、統一教会は1980年代からもっていた。しかし資金難などが理由で頓挫(とんざ)してきた。

もっと時代をさかのぼれば、戦前の日本にも「大東亜縦貫鉄道」という計画があった。これは、日本からアジアやヨーロッパへと向かう鉄道をつくるという大プロジェクトだった。そして戦後も、日本の一部国会議員が精力的に動いたりしたこともあったが、やはり話が進展することはなかった。

全長約230kmものトンネルを掘るのは、当然ながら並大抵のことではないのだ。

現在、国際ハイウェイ財団のホームページを見ると、「国際ハイウェイ構想の実現を目指し、日本とアジア、世界各国との連携を深め、文化的、宗教的、経済的交流並びに科学技術的交流を促進し、日本とアジア、世界の自由と平和と繁栄に寄与する」とある。

そして、統一教会の創立者であり、この構想の立案者であった文鮮明(ぶんせんめい)氏(1920~2012)の遺志を受け継ぐのが、国際ハイウェイ財団の大江益夫理事長だ。彼は、現在の日韓関係の悪化について、こう語る。

「今起きていることはどうってことない問題です。日韓の問題というのは、政府と政府の問題。国のトップが代われば、状況も変わるというもの。日韓トンネルは、人と人を結びつけるものです。人と人の交流が始まれば、状況は良くなっていくものです」

大江理事長によれば、最終的には日韓トンネルの起点は福岡になる予定だという。これが完成すれば、1988年に開通した青函トンネルの53kmや、1994年に完成した英仏海峡トンネルの49.2kmよりも長い、世界最長の海底トンネルとなる。

日韓関係の改善を祈り、文鮮明氏の遺志を守り、そして日韓両政府の国家プロジェクトとなることを願って、巨額の寄付金を集めてトンネルを掘り続ける統一教会。このあまりにピュアな思いは、どこにたどりつくのか――。

(撮影・取材/酒井 透)

■週刊プレイボーイ38号「悪化する日韓関係を改善せんと、あの統一協会が本気で日韓トンネルを掘り始めた!」より(本誌では、大江理事長が工事の理想と困難を語ったインタビューも掲載)