「土地や国家に縛られることなく、自身のアイデンティティを薄める努力をしなければならない」と語る山極寿一氏

人間が今日の姿に進化を遂げる以前には、どのような共同体を成して生活していたのか――。そんな疑問を解決する糸口を、同じヒト科の仲間であるゴリラやチンパンジーの社会に見いだし、フィールドワークに明け暮れてきた山極寿一(やまぎわ・じゅいち)氏。

そんな氏が危惧するのが人間社会の「サル化」だ。個人主義に突き進み、格差を生み出す昨今の人間社会は、利益を重視し、ヒエラルキーを構築するサルの社会そのもの。

本来の人間社会により近い、勝ち負けのないゴリラ社会からは遠ざかっているという。今後もグローバル化が広がる世界で、人間社会はどうあるべきか? 『「サル化」する人間社会』を上梓した山極氏に尋ねた。

―野生のゴリラの群れに加わり、共に生活するというフィールドワークが非常に興味深いです。

山極 今年も5月に行ってきたところなのですが、群れの中で何日かキャンプを張り、ゴリラのそばでその行動を記録するんです。そうやってゴリラに受け入れてもらうためには、5、6年かけて“顔なじみ”になり、彼らの社会に入れてもらう必要があります。

今調査しているのは2008年頃に仲良くなった群れで、私が現れても警戒することなく、まるで空気のように扱ってくるようになれば最適です。ゴリラにとって最も親切な対応は「無視」。受け入れてくれている証(あかし)なんです。

―ゴリラの社会とは、どのような社会なのでしょうか?

山極 ゴリラは群れの中に序列をつくらず、たとえケンカが起きても決着をつけることはしません。もめても最後は必ず、見つめ合って和解するんです。彼らは非常に平和的で、勝ち負けの概念を持っていないんですね。しかし、サルは対照的に、強い者を頂点に据えて、明確なヒエラルキーを構築します。

人間はゴリラとサル、どちらに近い?

―人間はゴリラとサル、どちらに近い存在なのでしょう?

山極 私たちは、生物学的にはヒト科の仲間であるゴリラに近い生き物です。しかし、このような群れの性質を踏まえると、人間はどちらも併せ持っているというべきでしょう。私たちは優劣をつけるべきではないという感性を備えている一方で、序列に基づく組織や社会システムを構築してもいます。

―このような、ゴリラやサルの社会から、人間社会の変化を読み解こうという着想はどこから得られたのでしょうか?

山極 生物の世界には本来、「近縁な2種は同じニッチ(特定の環境)に共存できない」という原則があるんです。ところが、私が何度も調査に訪れているアフリカのヴィルンガ火山群という地域では、ゴリラとチンパンジーが実際に共存しています。

人間はもともとアフリカで誕生し、そこからアジアやヨーロッパへ広がった種ですが、その過程ではほかの霊長類と共存していた時代もあるはずなのに、今ではその感覚をすっかり失っていますよね。だから、ヴィルンガのゴリラたちの社会を知れば、われわれが忘れてしまった「共存する」ということの本質を知るヒントがつかめるのではないかと考えたんです。

―その結果、本書では人間社会がサルの社会に近づきつつあると指摘されています。これは具体的にはどういうことでしょうか?

山極 人間は大まかに、「家族」と「共同体」、ふたつの集団に属して生活しています。家族では血縁や愛情を重視し、見返りを求めることなく奉仕できる関係を保っている一方、共同体には基本的にギブアンドテイクの関係が求められます。

翻(ひるがえ)って、サルはメスの血縁関係を中心に自分の利益を最大化するために群れをつくる動物です。つまり、利益が侵されるなら集団には残りませんし、利益を侵す者を集団に組み入れることもしません。

―人間社会もそうなりつつある、と?

山極 そう。利益を重視することで社会は効率化されますが、そのせいで信頼よりも対価を求める関係性が出来上がります。これはアメリカ型社会のドライな関係といってもいい。でも、それが私たちにとって本当に生きやすい世の中かというと疑問です。

個人主義の時代ゆえ、個人の資質が発揮しやすい社会が尊ばれてきましたが、個人の利益さえ守られればいいなら、人は他人と何かを分かち合う必要がなくなり、他人を思いやることもなくなってしまうでしょう。それでは社会がますます閉塞(へいそく)してしまうのではないかと私は懸念しているんです。

個人の“孤立化”が社会のサル化を促す

―最近は家族をつくらず個人で生きていくスタイルも増えています。

山極 それは危険だと思います。家族という集団に縛られないことで自由になれるかというと、実はそうではありません。個人のままでいると、序列のある社会の中に組み込まれやすくなってしまうのが現実なわけです。それはまさにサルと同じ社会構造ですよね。

―なるほど。FacebookなどのSNSの登場も影響しているのでしょうか?

山極 それは確かに大きな変化です。ただ、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションの機会が減ってしまうデメリットがある半面、Facebookやスカイプといったツールを駆使するようになったことでむしろ、相手と直接会って話すことの価値が増したようにも思います。

SNSを通して、ボランティアや会食の場がセッティングされたり、あるいはセミナーのような行事が開かれたりしているのは、直接顔を合わせることの重要度を感じている人が増えていることの表れではないでしょうか。やはり、最も信頼を得やすいのは聴覚より視覚、視覚よりは触覚ですからね。

―つまり現在は、個人の“孤立化”が社会のサル化を促す一方で、あらためてコミュニケーションのあり方が見直されつつある、過渡期にあるわけですね。

山極 そうかもしれません。また、私が一番期待しているのは人間のアイデンティティというものが変わっていくことです。今まで僕らは、自分が生まれた家族、育った地域社会、学んだ出身校、働いている組織などにアイデンティティを持ってきました。

しかし、これだけ世の中がグローバルになるなかで、国家や民族というものにアイデンティティを据えすぎてしまうと、それが思いもよらぬもめ事や紛争の原因になることもあります。繰り返されるイスラエル、パレスチナ問題、日本と中国や韓国との関係もそうでしょう。

自身のアイデンティティを薄める努力を

―最近では、ヘイトスピーチなども社会問題化していますね。文化や風習を超えたコミュニケーションが容易になっても、そうした弊害はなくならないのでしょうか?

山極 これからの時代は別のアイデンティティを持つ必要があると思います。現在はグローバル化によって国境を越えて、人や物、文化が動いているわけで、国家や土地に縛られない活動ができるわけです。

そうしたところからアイデンティティを取り入れて、自身のアイデンティティを少し薄める努力をしなければ、民族間や国家間の紛争もなくならないし、和解もできないと思うのです。ひとりの「地球市民」であるという感覚を育んでいく必要があるのではないでしょうか。

―「サル化」して閉塞している場合ではなく、アイデンティティの持ち方を地球規模にまで広げるべきである、と。

山極 そう。地球のなかでつながり合っている感覚を持つべき。ところが今は、国が率先して日本社会のサル化を進めようとしているようにみえます。支配者からしたらそうした社会は動かしやすいですからね。

ですが、これからの時代はサル化から脱して、人間が本来持っている能力や、SNSなどのツールを最大限に利用して新しいアイデンティティによる新しい世界を構築していくことが必要なのです。

(構成/友清 哲 撮影/樋口 涼)

●山極寿一(やまぎわ・じゅいち)1952年生まれ、東京都出身。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程修了。財団法人日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手などを経て、現在、京都大学大学院理学研究科教授。ゴリラ野外研究に従事。10月から京都大学総長に就任予定

■『「サル化」する人間社会』「勝ち負け」の存在しないゴリラ社会。一方、「優劣重視」のサル社会。人間社会はどちらへ向かっているのか? 「なぜ家族は必要なのか」という至上命題とともに、霊長類研究の第一人者が、サル化する人間社会に警鐘を鳴らすとともに、人類の未来を説き明かす