「いつの間にか報道側の視点に染まりきっていた気持ち悪さを自覚したとき、物語のイメージが出来上がった」と語る早見和真氏

テレビや新聞では、世間を騒然とさせる凶悪事件が絶え間なく報じられている。しかし、メディアというフィルターを通して情報に触れているわれわれは、そこに“先入観”という表皮が張りついていることをつい忘れてしまいがちだ。

『イノセント・デイズ』は、“整形シンデレラ”の異名で語られる確定死刑囚・田中幸乃の半生を掘り返すことで、社会通念の意外な危うさを実感させられる、早見和真(はやみ・かずまさ)渾身(こんしん)の社会派小説である。早見氏に聞いた。

―死刑囚の半生を通して、世間が持つ先入観の本質を炙(あぶ)りだした今回の物語。読み手によって多種多様な感想を口にするであろう、濃密な作品ですね。

早見 実際、書き上げた時点では想定していなかったような感想を、たくさんいただいています。例えば、東野圭吾さんの『白夜行』を思い出したという声が多いことにまず驚いていますし、「二転三転する物語」と表現されたりするのも意外でした。僕の中ではプロローグからエピローグまで、完全に一本の線でつながっている物語なので、どんでん返しを設定したつもりはありませんから、なんだか不思議ですよ。

―個人的には、倒叙(とうじょ)小説に近い手法を感じています。結果が先に提示され、そのプロセスが少しずつ明かされていく、という。

早見 なるほど、そうかもしれないですね。冒頭を見ていただければわかるとおり、僕自身、これはネタバレを恐れなければいけないタイプの作品ではない、という意識で書いていました。

―田中幸乃が起こしたとされる、事件の概要や判決から始まる冒頭部分。途中で読み返すたびに新たな発見があります。

早見 確かに、再読するとさらに面白いと言っていただくこともあります。それから、これは手前味噌なんですけど、目次にもぜひご注目ください。章題はすべて判決文から引用していて、そのひとつひとつをひもといていく構成になっているのですが、これは自分でも驚くくらいハマっていると思います。中身についてはあまり大きなことは言えませんが、少なくとも今年の“目次オブ・ザ・イヤー”ではないかと自負しています(笑)

実は新聞記者に内定していた

―なるほど、ギミックが利(き)いていますね。ところで、これまでは青春小説のイメージが強かった早見さんですが、今回はがらりと球種を変えてきた印象です。

早見 確かに、高校球児を描いた『ひゃくはち』でデビューして以来、青春小説というか、中間小説(純文学と大衆小説の間に位置する作品)で自分の作品を固めてきたのは事実です。でも、僕はもともと、大学時代に朝日新聞社から内定をもらっていて、新聞記者になる予定だったんです。

結局、卒業できず留年してしまったので内定は取り消されてしまいましたが、その時期は貪(むさぼ)るように新聞やノンフィクションを読み、さまざまな社会問題への関心を高めていました。だから小説家になったときから、自分の中には“社会派”というカードが絶対に眠っているはずだと感じていたんです。いわば、そのカードをいつ切るか、タイミングを見計らっていたわけです。

―今回、ついにそのカードを切った、と。

早見 そうですね。もう少しだけ詳しく言うと、この作品を『小説新潮』で連載することになったとき、担当編集者からは「原稿を書いてください」と依頼されたのではなく、「僕と一緒に勝負してください」と言われたんです。というのも、『小説新潮』は本来、もっと名前と実績のある作家が書く媒体で僕には場違いなのですが、編集長が代わったのに合わせて新たな戦力を模索していて、「ボツになるかもしれないけど、上を納得させられる作品を創りませんか」と言うんです。これは粋(いき)で面白いチャレンジだと感じましたし、社会派というカードを切るならここしかないな、と。

―そうして生まれた今回の作品、主題は事件報道がもたらす先入観。早見さん自身が報道に対してこうした視点を持つようになったきっかけはなんですか?

早見 僕は新聞記者として、和歌山支局に配属されることが決まっていたのですが、当時は毒入りカレー事件の真っただ中。おそらく僕も、記者としてこの事件に関わることになるのだろうと、自分なりに詳しく調べていたのですが、ほとんど状況証拠だけで容疑者がクロと断定されている現実に違和感を覚えたんです。

実は彼女はシロなのではないかとすら考えていました。ところが、事件について考える機会もなくなって数年後、たまたまこの事件についての報道を目にしたときに、彼女のことをすんなり“クロ”として受け入れている自分に気づいたんです。つまり、報道側の視点にいつの間にか染まりきっていたわけです。そこにある種の気持ち悪さを自覚したとき、今回の物語のイメージが出来上がりました。

思考が介在しない“気持ち悪さ”

■思考が介在しない“気持ち悪さ”

―報じられていることを、そのまま事実として受け止めてしまうのは、「気持ち悪い」と。

早見 そう。もっと自分で考えるべきなんですよ。これは事件報道にかぎりませんが、自分の思考を介在させず、どこにでもあるようなコメントを口にする人、けっこう多いじゃないですか? あたかも自分の意見であるかのような口調で、ネットで拾ってきた情報を並べている人同士の議論なんて、無意味ですし。

―くしくも今、朝日新聞の歴史的大誤報が話題です。まさに、報道をうのみにしていた人たちは大慌てなわけですが……。

早見 この問題でいうと、報道が突然ひっくり返って慌てている人もいれば、これに乗じてやみくもに「朝日=悪」と断じている人もいる。これが僕には、どちらも同じレベルに見えてしまうんです。

ひとつの意見が幅を利かせすぎているように感じますし、この問題を語る人の言葉も、どこかで聞いたようなフレーズばかり。朝日を叩く意見、朝日を信奉する意見、そして朝日の報じ方そのものも、すべてがお仕着せの言葉に見えてしまう。

―その意味では、今回の作品で幸乃の生涯に触れることで、報道の見方が変わる読者もいるかもしれません。

早見 これまで僕は、なるべく登場人物に入り込まず、少し引いた視線で物語を書いてきましたが、今回はあえて登場人物にコミットするよう意識していました。誰よりも田中幸乃という人物を近くで見よう、そうしなければいけない作品だ、と。そのおかげなのか、僕の作品にしては珍しく、女性読者から共感の声を多くいただいています(笑)。

―しかし、物語内でつづられる幸乃の人生を思えば、ここにコミットするのは非常に苦しい作業だったのでは?

早見 そうですね。執筆中はどんどん体重が減っていきましたし、眠れない日々が続きました。ようやく寝つけたと思ったら、夢の中で必死に回文を作っていたりして……、相当追い詰められていたように思います。

まず自分が考え、覚悟をもって判断すること

―今回の作品は、さまざまな思いと覚悟を投じた、まさに渾身の一作ですね。

早見 この作品がどう評価されても、それが自分で読んだ上で、己の内側から出てきた言葉であるなら、たとえ辛辣(しんらつ)な批判であっても僕は受け止められるんです。その意味では極端な話、差別問題やヘイトスピーチだって、ちゃんと自分が考えた末の行動であるなら、否定するべきではないと思う。

でも、なんとなくブームに乗ってみたり、なんとなくネットの情報に影響されてデモに参加しているようなら、それは違うでしょう。まず自分が考え、覚悟をもって判断することの大切さを今一度、見直してほしいですね。

(構成/友清 哲 撮影/山本尚明)

●早見和真(はやみ・かずまさ)1977年生まれ、神奈川県出身。大学在学中よりライターとして活躍し、2008年に『ひゃくはち』で小説家デビュー。主な作品に『スリーピング・ブッダ』『ぼくたちの家族』『6(シックス)』『東京ドーン』『ポンチョに夜明けの風はらませて』がある。インタビューの最後に、「普段まったく小説を読まない人たちを、小説の世界に連れてくるのが僕の仕事だと思っている。小説なんて読まないと、もし決めつけている人がいるならば、この一作でいいから勝負させてほしい」と、本作への自信をにじませる

■『イノセント・デイズ』 新潮社 1800円+税元恋人の家に火を放ち、妻子を焼死させた罪で死刑が確定した“整形シンデレラ”こと田中幸乃。後の確定死刑囚の半生を逆引きしながら、先入観の向こう側に迫る。幸乃の無実を信じる男は、最後まで味方であり続けようとするが――