相撲界に怪物が現れた。モンゴル出身の逸ノ城(いちのじょう)(本名アルタンホヤグ・イチンノロブ・21歳・湊[みなと]部屋)だ。

今年初場所で幕下付出(つけだし)デビューすると、夏場所で十両優勝(11勝4敗)するなど、破竹の勢いで勝ち進み、わずか4場所で新入幕を果たした。

そして、東前頭10枚目として迎えた秋場所で、身長192cm、体重199kgの巨躯(きょく) を武器に堂々の優勝争いを繰り広げ、一躍、時の人となったのだ。

いったい、逸ノ城とはどんな力士なのか? 高校時代の恩師である鳥取城北高校相撲部・石浦外喜義(いしうらときよし)監督に聞いた。

「逸ノ城をスカウトした理由は、素直でまじめな性格だから。この子ならウチの相撲部に来ても、いい稽古を積めるはずだと思い、相撲留学を勧めたんです。彼が15歳か16歳のときでした。ただ、当時の体格は185cm、120kgほど。ほかの選手よりもちょっと大きいくらいで、決して相撲が強くて目立つという存在ではありませんでした」

母国では遊牧民として、首都ウランバートルから約400km離れた大草原でヒツジやヤギを飼いながら暮らしていた逸ノ城だが、来日すると、あっという間に日本の生活に溶け込んだ。

「和食も平気で、特に鶏のから揚げが好物でした。和食に慣れすぎて、(帰省した際に)モンゴル料理でおなかを壊してしまったこともある(笑)。温厚で、いつもニコニコしていて、クラスメイトからも愛されていましたね。小柄な生徒がその大きな体によじ登るなどして、じゃれ合っていました」(石浦氏)

全日本実業団相撲選手権で、いきなり個人優勝

ただ、肝心の相撲ではいきなり屈辱を味わったという。初稽古で、女相撲の無差別級世界チャンピオンに投げ飛ばされてしまったのだ。

「相撲は甘くないと思い知らされたようでした。女性に負けたことが、よほど悔しかったんでしょう。その後、熱心に稽古に励んでいました」(石浦氏)

その才能はすぐに開花し、逸ノ城は高校3年間で全国大会個人優勝タイトルを5つもモノにする。そんな彼を見て、誰もが卒業後はプロ力士になるものと考えていた。

ところが、逸ノ城の選択は違った。鳥取県体育協会に所属し、アマチュア相撲を続けることにしたのだ。

「まだ逸ノ城にプロ入りの意思がそれほどなかったんです。私もあの性格の優しさで、プロとしてやっていけるのか、不安を抱いていました。それでしばらく社会人相撲で様子を見守ることにしたんです」(石浦氏)

すると、アマ力士1年目となる2013年の全日本実業団相撲選手権で、いきなり個人優勝。大相撲の幕下15枚目格付出の資格を得たことで、ようやく逸ノ城はプロ入りを決断する。

「全日本実業団で個人優勝すれば幕下付出デビューできることを知らなかったので、そのことを教え、プロになるつもりがあるのなら、まず優勝を狙ってみろとはっぱをかけてみたんです。結果は見事に優勝。あの優勝で本人も入門の決意を固めた。もし優勝していなければ、プロ入りはさせていなかったと思います」(石浦氏)

プロデビュー後も、勝ち越しを決めた日には必ず石浦氏に報告の電話をかけてくるという逸ノ城。その素顔は怪物というよりも、気は優しくて力持ち、典型的な金太郎タイプだ。まだ21歳。ひょっとすると、母国の偉大な先輩、白鵬を超える大横綱になるかもしれない。

(取材/ボールルーム)