アイドル冬の時代と呼ばれた1990年代を駆け抜け、ドラマ『南くんの恋人』が大ヒットした高橋由美子さん

1966年10月に創刊した「週刊プレイボーイ」も、おかげさまで48周年! それを記念して、“雑誌の顔といえる歴代表紙を15回も飾ってくれた高橋由美子さんに感謝のインタビュー!

──1990年の初表紙から98年まで計15回も表紙に出ていただきましたが、当時のことを振り返っていただきましょう。

高橋 まず「そんなに出てたんだ!」って驚きました。最初のグラビア撮影は千葉の海だったかな? 3月くらいで、すっごく寒かったのを覚えてます。週プレさんの撮影は、ほかの雑誌と違って、大人っぽい表情を求められたのが印象に残ってます。あと、タイでのロケで、現地の水にあたったのか、おなかを壊して大変なことになったことも(笑)。

──水着グラビアに抵抗は?

高橋 当時のアイドルで水着をやっているコは少なかったですけど、別に抵抗はありませんでしたよ。お仕事ですから。

──スリムに見せるために、撮影前日は何も食べなかったりとかしてました?

高橋 全然、普通に食べてました(笑)。好きなモノを食べ、好きなときに寝る。ダイエットはしたことがなかったんです。

──高橋さんの“決めポーズ”とかあったんですか?

高橋 ないですね。カメラマンさんに言われたポーズをやるだけ。カメラマンさんが必ず私のいいところを探して撮ってくれるだろうと信じてました(笑)。それに、もともとアイドルになりたかったワケじゃないから、かわいく見せたいという願望もなかったので。

──“20世紀最後の正統派アイドル”といわれてたのに?

高橋 それはあまり文句を言わないコだったからじゃないですかね(笑)。メイクや衣装もすべておまかせ。当時はどんな服を着るか、事務所がすべて決めてたんですよ。だから今も「好きなものを選んで」と言われても、「……どれでもいいです」って答えちゃう(笑)。

当時の表紙テレカを近所の方に配ってます

記念すべき初表紙は1990年37号。16歳当時のことだ

──今、過去の週プレの表紙やグラビアを見ての感想は?

高橋 めいっ子がいるんですけど、そっくり(笑)。あとは当時、スタッフさんから「むきたまごみたいな顔だね」ってよく言われて、「食べられませんよ!」って、言い返してたのを思い出しました(笑)。

──アイドルっぽい、かわいいやりとり!

高橋 当時は顔を洗うのも、普通の固形せっけんを使ってたんですよ。泡立ててゴシゴシやっておしまい。日焼け止めもつけてなかったし。メイクさんから「大人になって困るよ」と言われても、「ふーん」って聞き流してました。

──書店やコンビニに、自分が表紙の雑誌が並ぶのって、どういう感覚だったんですか?

高橋 やっぱりうれしかったですね。特に、電車の中吊り広告を見たときはうれしかったです。通学途中に見つけたりして。何を隠そう、最初に週プレの表紙になったときの中吊り広告は、今も実家にあるんです。それと、表紙になるとテレホンカードを作っていただけたじゃないですか。それが今でも実家にたくさんあります。最近では「困ったときにお使いください」って、近所の方に配ってるんですよ。災害時とか、ケータイの充電がなくなっちゃったときに役立つじゃないですか。

──ありがたいですけど、もったいなくて使えないです! もし再び週プレの表紙をやっていただけるとしたら、どんなことしたいですか?

高橋 イヤイヤ、もういいです(笑)。それは若い人に譲って。今もときどき「脱ぐの?」って聞かれるんですけど、今脱いでもなんの得にもならないですから! もし脱ぐなら30歳ぐらいで脱いでますよ(笑)。

●高橋由美子(たかはし・ゆみこ)1974年生まれ、埼玉県出身。1989年にデビューし、“20世紀最後の正統派アイドル”として人気に。現在は女優としてドラマや舞台で活躍中。旅チャンネル『大人のヨーロッパ街歩き』に出演(BS日テレ・10月7日 19時~)

(撮影/高橋定敬[インタビュー] スタイリング/奥田ひろ子 ヘア&メイク/藤枝容子 衣装協力/株式会社アネフ)

■週刊プレイボーイ42号「48年の表紙美女、総登場回数ランキング!!」より(本誌では、歴代の表紙をカラーで掲載!)