ドラマ『東京にオリンピックを呼んだ男』の主演・大沢たかお(左)と、原作者・高杉良(右)。偉大なる男の生きざまを熱く語った!

10月11日(土)、フジテレビ開局55周年記念スペシャルドラマ『東京にオリンピックを呼んだ男』が放送される。主人公の和田勇を演じる大沢たかおが、ドラマの原作者・高杉良に、偉大なる先人の生きざまについて聞いた。

2020年東京オリンピックを6年後に控える今、あらためて注目を集める男がいる。

彼がいなければ、1964年の東京五輪はあり得なかったといわれる、フレッド・和田勇(1907-2001年)である。和田はアメリカ・ロサンゼルスに住む日系二世だった。

そもそも1964年の五輪には、東京よりずっとインフラが整備されたデトロイトやウィーンなども開催地に立候補しており、東京より有利とされていた。そんななか、1959年、和田は日系人としてただひとり、「東京オリンピック準備招致委員」に選ばれる。

すると和田は、妻・正子とふたりきりで中南米10ヵ国を行脚し、時に日系人ネットワークも使いながら「東京支持票」を取りまとめ、東京大会に五輪を招く最大の原動力となったのだった。

ちなみに、この中南米訪問にかかった費用はすべて和田の自腹。終戦からまだ14年。外貨に乏しい日本スポーツ界の窮状を知る和田は、一切の見返りを要求することなく、ただただ無償の「祖国愛」を発揮したのだ。

辛口で知られる評論家の佐高信氏も「フレッド・和田勇は日本人であることに誇りを抱かせる日系アメリカ人である」と、故人を称(たた)えているほどだ。

■周りの人に幸福感をあげる人

―10月11日、和田さんの生涯を描いた大作ドラマが放映されます。ドラマの原作となった『祖国へ、熱き心を 東京にオリンピックを呼んだ男』の著者である企業小説の名手、高杉良さんと、和田さんを演じた俳優の大沢たかおさんに“国境を超えた偉大な日本人”和田勇の生きざま、そして過去と未来の東京オリンピックについてお話ししていただきたいと思います。

大沢 高杉さんは、和田さんに実際に会われているんですよね。どんな印象でしたか?

高杉 1987年のことです。「一度会えば誰もが好きになる」と聞かされていたけど、僕は半信半疑だったんですよ。でも、僕もひと目で和田さんを大好きになりました。当時、和田さんは80歳でしたが、本当に80歳?と疑ってしまうほど、元気でよく歩き回るし、よくしゃべる。もちろん日本語で。(両親の出身地で、幼少期を過ごした)和歌山弁なまりの日本語。そしてなんでも人と分け合うというか、ポンポンと人にものをあげちゃう。

大沢 あげちゃう?

高杉 人にものをあげるのが好きなんですよ。僕にも立派なトロフィーを持ってきて、あげるという。なんのトロフィーかと見たら、IOC(国際オリンピック委員会)が近代オリンピック開催100周年を記念して各国のオリンピック委員会にひとつずつ贈った、まさにそのトロフィー。事情を聞くと、JOC(日本オリンピック委員会)からもらったという。当時、会長だった“フジヤマのトビウオ”こと古橋廣之進(ひろのしん)さんが、日本のアマスポーツ界に多大な貢献をしてきた和田さんへのお礼として贈ったものだったんです。そんな歴史的なトロフィーを「高杉さん、僕がこんなものを持っていてもしょうがない。もろうてやってください」と言うんです(笑)。

日本選手団宿舎として自宅を提供!驚くべき献身ぶり

たかすぎ・りょう 1939年生まれ、東京都出身。石油化学業界紙の記者、編集長を経て、75年『虚構の城』で作家デビュー。以後、『小説 日本興業銀行』をはじめ、綿密な取材に裏打ちされた企業・経済小説を発表し続ける、ビジネス小説の巨匠。『金融腐蝕列島』シリーズ、『小説ザ・外資』『乱気流 小説・巨大経済新聞』など著書多数。和田氏を描いた『東京にオリンピックを呼んだ男』は光文社刊、講談社文庫版(『祖国へ、熱き心を』)もあり

―そのトロフィー、受け取ったんですか?

高杉 とんでもない! こんな歴史的な記念品をもらうわけにはいかないと固辞しました。とにかく和田さんは人に何かを分け与える人だったし、あんなに人に幸福感をあげる人はいないですよ。

大沢 それは僕も感じました。というのも、いろいろと資料を読み込んで、和田さんを演じる上でこれを表現しなくちゃと心がけたのが、和田さんという人間が歩いたところには笑顔が咲く、花が咲くということだったんです。今、高杉さんから和田さんが人に分け与える、幸福感をもたらす人だったと聞いて、少しほっとしました。僕の演じた和田さん像は間違ってはいなかったんだって(笑)。

■“ジャップ”が一夜で“ジャパニーズ”に!

和田と日本スポーツ界の間に接点が生まれたのは、敗戦まもない1949年のことだった。1907年、貧しい移民の子としてアメリカのワシントン州で生まれた和田は、働きに働き、カリフォルニア州で26店舗の青果マーケットチェーンを築き、日系人のリーダー的存在となる。

そんなとき、1949年の全米水泳選手権に選手を派遣するにあたって、日本水泳連盟が開催地のロサンゼルス市内で宿舎を探していることを知る。当時のアメリカはかつての“敵国”日本への悪感情が強く、選手団が安全に、安心して滞在できる場所を探して、日系人向けの新聞に告知記事を載せたのだった。それを読んだ和田は、すぐに自宅を日本選手団の宿舎として提供することを決断する。

―このとき、和田さんは自費で日本食を作れるコックまで雇って、日本選手の体調管理をします。また、帰国前にはデパートで背広をあつらえて、選手団にプレゼントする。このサービス精神というか、「おもてなし」精神って、一体どこからきたのでしょう?

高杉 和田さんは日本びいきなんですよ。とにかく、すごい日本びいき。ただ、単なるサービス精神からの献身じゃない。明治人の気骨というか、アメリカで移民2世として壮絶な苦労を体験した末の献身です。和田夫妻は日本選手団に自宅を提供するにあたって、自分たちは庭に間に合わせの小屋を作って、そこで寝起きしたほど。正子夫人も、アメリカでも日本と同じ気持ちで選手たちがいられるよう、夜中に茶がゆを振る舞ったりしています。普通の歓待ぶりではありませんよ。

大沢 「おもてなし」というより、和田さんはおそらくもっと心の深いところ、魂で祖国に応えようとした気がします。日本はアメリカと戦争して間もない敗戦国で、その日本の選手団を「おもてなし」したって、アメリカ人が快く思うはずがない。敵視されてもおかしくないですよね。それでも和田さんは献身的にサポートした。それってサービス精神というより、死ぬ覚悟でアメリカにやって来て戦う同胞の姿に強いものを感じて、魂で応えたんじゃないかと思えてならないんです。

誇らしい日の丸掲揚と、アメリカ市民としてのアイデンティティ

おおさわ・たかお 1968年生まれ、東京都出身。ドラマ『星の金貨』(95年)でブレイク。映画では『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)が大ヒット。『解夏』(04年)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞。『地下鉄(メトロ)に乗って』(06年)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。8年ぶりに出演した連続ドラマ『JIN―仁―』(09年)では橋田賞を受賞。2015年1月スタートの大河ドラマ『花燃ゆ』(NHK総合)に、小田村伊之助役で出演。【http://www.osawatakao.jp/】

―その日本選手団は、古橋廣之進、橋爪四郎の2選手が世界記録をたたき出すなど大活躍をします。

高杉 当時の日系人たちの喜びようといったら、なかったと思いますよ。何しろ、それまで“ジャップ”と蔑称(べっしょう)で呼ばれていたのが、古橋選手らが大活躍した翌日から“ジャパニーズ”という呼び方に変わったわけですから。アメリカ人も面白いよね。成功した者は評価する。懐が深いですよ、やっぱり。

大沢 ドラマでは全米水泳選手権の表彰式で日の丸が揚がるシーンがあります。そこで(和田の)「スポーツはすごい」というセリフがあるのですが、そのとき、とても複雑な心境になったことを覚えています。和田さんはアメリカ市民なわけです。だけど、そこに祖国から同胞の選手が来て、アメリカ選手を負かしてしまう。日の丸が揚がってうれしくて仕方ないんだけど、一方で、自分はアメリカ人なんだという複雑な感情も胸中に渦巻いている。演じていて、その複雑さに心が一瞬、ぎゅっと締めつけられるんです。

高杉 僕の大好きな言葉で、レイモンド・チャンドラーの探偵小説に「強くなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく資格がない」というセリフがあります。和田さんはそのセリフどおりの人だと僕は思うんですよ。太平洋戦争中、日系人は敵性国民と見なされて収容所に入るか、西海岸から退去して内陸の荒れ地に移住するかの選択を迫られます。でも和田さんは収容所入りを拒否し、80人の日系人を引き連れ、あえて厳しい内陸のユタ州へ移住する道を選ぶんですね。その選択に、収容所入りして何もせずに過ごすよりは厳しい環境でも自分の手で働いて暮らしたいという、勤勉な日本人ならではのプライドを感じます。和田さんは強くて誇り高いリーダーなんですよ。

そして晩年は日系人専用の老人ホーム設立にも乗り出している。その理由が興味深い。苦労してきた日系1世が安心して老後を送れるだけでなく、2世、3世の若者が親の老後を心配することなく自分のビジネスに挑戦できるようにしてあげたいと。ここまで他者のために心やさしくなれる人っていませんよ。

■2020年東京五輪を成功させるには

水泳チームに対する和田の貢献に大いに感謝した日本スポーツ界は、冒頭で述べたとおり、その10年後、和田に「オリンピック東京招致」を依頼する。そして東京五輪は大成功を収めた。それから50年―。

―多くの週プレ読者は1964年の東京五輪を知らない世代なんですが、そもそも、当時の日本人にとってオリンピックとはどんなものだったのでしょう。

高杉 日本中が沸騰しました。当時の日本の国力ではオリンピック開催は早すぎるという声も小さくなかった。そのオリンピックが実際にやって来て、新幹線や首都高速などの社会インフラも整備された。その経済効果もすごかった。

―今と違って、オリンピックへの純粋な憧れに満ちていたから大成功したんですかね?

大沢 当時でも「憧れ」だけではなく「まだ日本にオリンピックは早すぎるんじゃないか」といった声も強く、そんな賛否両論あるなかでの国を挙げての一大勝負だったと思うんですよ。政府は東京五輪に当時の国家予算の3分の1の資金を投入したわけですから。今でこそ新幹線も高速道路も当たり前にあるけど、当時はまだ何もなかった。すべてが未知数で不安感も大きかったはずです。そういうなかでの大勝負だったんじゃないかと。

今の日本人が学ぶべき和田勇の精神とは?

 

高杉さん(左)が和田勇・正子邸を訪ねたときの写真。右端の小林良廣氏は学生時代の海外放浪中に出会った和田氏にかわいがられ、後に実業家に。和田氏は本当に面倒見がよかったのだ

高杉 まさに乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負でしたよ。そういう意味では、2020年の東京五輪だって大変です。今、反対している人々も納得できるプランニングをしなくてはいけませんから。そのために英知を集めないといけないし、その結果、当初のプランからはかなり変わったものになるだろうけど、それをきちんとIOCに説明しないといけない。その調整はかなり大変な作業となります。でも大切なことは、2020年の東京オリンピックは日本人が再び元気を取り戻すイベントとして成功させなければならないということです。

大沢 確かに今の日本はどこか疲れていますよね。先日、後輩とお茶を飲んでいてたまたまオリンピックの話題になったんですが、彼が「最近の日本人はちょっと肩が当たっただけで怒鳴り合いになったりして、殺伐(さつばつ)としている。そして周りの人間も仲裁もしなければ、助けもしない。こんなありさまで6年後にオリンピックなんてできるんですかね?」と嘆くんです。

高杉 日本人の気持ちが疲れているのは、2000年代に新自由主義的な改革が進み、格差と貧困が広がったことが大きいと思います。

―でも、1964年の日本はもっと貧しかったのでは?

高杉 しかし、心のやさしさはありましたよ。助け合おうとか、寄り添おうとか。

大沢 今の日本は、和田勇という人が持っていたような分け合いや助け合いの精神をなくしてしまったのかもしれません。だからこそ、今また和田勇という人間の存在と巡り合ってほしいと思います。政治家でも大企業の社長でもない、ひとりの日系人が分け合いや助け合いの精神を発揮することで祖国をこんなに豊かにしてくれたんだって。

高杉 1964年の東京五輪と2020年の東京五輪はつながっています。当然、1964年の経験から学ぶべきだし、6年後に再び東京で開くオリンピックはその延長線上になければいけません。2020年五輪を成功に導くためにも和田勇という日系人の足跡をひとりでも多くの日本人に知ってほしいですね。

(撮影/本田雄士)

フジテレビ開局55周年記念スペシャルドラマ 『東京にオリンピックを呼んだ男』(10月11日(土)午後9時~午後11時55分)大規模なニュージーランドロケを敢行し、和田勇の生涯を描く感動大作。出演は和田勇を演じる大沢たかお、妻・正子を演じる常盤貴子に萩原聖人、泉ピン子、橋爪功、西田敏行ほか。主題歌は中島みゆき