26歳の日本人イスラム戦士・鵜澤佳史氏が語る「自分と例の北大生のこと」

イラクからシリアにかけて勢力を拡大中のイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に、日本の大学生が参加寸前だった! 衝撃的なこのニュースに対して、日本社会はどう向き合っていけばいいのか? すでにシリア内戦で戦闘員として活動した経験を持つ男が、“聖戦”に吸い寄せられる心境をじっくり語ってくれた。

■周囲の生き方と温度差を感じた

「イスラム国」への参加を企てた北海道大学を休学中の26歳に警視庁公安部が事情聴取ーー。このニュースが日本中を駆け巡るより1年半も前、実はひとりの日本人が人知れず“戦闘員”としてシリアへ渡っていた。

昨年4月、「ジューシィムハマード」という過激派組織に参加したのは、現在26歳の鵜澤佳史(うざわ・よしふみ)氏だ。鵜澤氏は同年5月、戦闘中に大ケガを負い、現地でしばらく療養した後に治療のため帰国している。

平和な日本で育ちながら、なぜわざわざ激戦地へ向かった? 戦闘に参加し、何を感じた? 鵜澤氏に話を聞いた。

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―そもそも、なぜシリアに行こうと思ったんですか?

鵜澤 きっかけは、小学校6年のときにいじめを受け、自殺願望が芽生えたことです。「生きる」「死ぬ」ということをひたすら考えた末、極限状態に身を投じたら、人はなぜ生きるのかわかるんじゃないかと思ったんです。当時の僕の知識では、極限状態イコール戦争。いずれ海外の傭兵(ようへい)になるために、まずは自衛隊に入って訓練を受けようと思い、中学卒業後、陸上自衛隊少年工科学校(現・高等工科学校)に入学しました。

でも、そこで本気で頑張っているうちに愛国心が生まれ、自殺願望も、戦いたいという気持ちも、いったんはなくなった。それで、卒業後は広い意味で国に貢献できる農業に関わろうと東京農業大学に進みました。在学中に農産物の販売をするため起業し、3年で当初の売り上げ目標を達成しました。

じゃあ、次の目標は何か。明日死ぬなら何がしたいか。自問自答したら、やはり戦士として戦いたい。命、知性、状況判断力など、トータルの全力を出し切って戦いたい。そこそこ満足な人生を送るより、いくら世の中から非難されても、自分を出し尽くしたといえる生き方がしたかった。それでシリアへ行く決断をしたんです。

戦うためにイスラム教に改宗

―そんな張り詰めた生き方で、周りと温度差は?

鵜澤 正直、高校時代はクラスで浮いてました。自衛隊の学校なのに、「戦争になったら逃げる」という人も多かったですし。

―なぜ「シリア」なんですか?

鵜澤 シリアには英語で発信するジャーナリストが多く入っていて、情報が取りやすかった。それに、当時はまだイスラム国がそれほど強い勢力ではなく、今と違って「政府対反政府」という構図がはっきりしていたので、うまく中に入れれば戦いやすいと思ったんです。

―シリアには隣国のトルコから入ったんですよね。

鵜澤 ええ。国境のシリア側のゲートを越えたすぐ先、反政府軍が運営しているプレスセンターに行きました。そこにたまたま日本語を話せるシリア人がいて、「一緒に戦うなら、イスラム教に改宗しないとダメだ」と言われました。

僕は思想には興味がなく、ただ戦いたいだけ。でも、ここで引き返したくなかったので改宗しました。そこで、「おまえはまず、イスラム法をきちんと守る組織で勉強したほうがいい」と言われ、規律の厳格なジューシィムハーマドに引き渡されたんです。この組織はよけいな人殺しを一切せず、現地の人たちから慕われている部隊でしたね。

―ほかに日本人や、他国出身でもイスラム教徒以外の参加者はいたんですか?

鵜澤 戦うためだけに来て改宗した人なんて当時は皆無(笑)。「なぜ日本人が?」と不思議がられました。最初は、現地の10代の子がイスラム教を学ぶ施設に入れられて、コーランの勉強、礼拝の作法など、細かい決まりを10日間ほど習いました。

―その後、日々の生活はどんな感じでしたか?

鵜澤 日々、何時間もお茶会です(笑)。常に戦闘があるわけじゃないので。ほかにも自由時間には買い物に行ったりとか。

―最近はイスラム国が、戦闘員に高い給料を払っているそうですが、鵜澤さんの組織は?

鵜澤 月に3万円から5万円ほどもらっていましたが、傭兵を雇っているという感覚ではないですね。あくまでも生活の面倒を見る感じ。戦士たちも、お金目当てではありませんでした。

鵜澤氏が大ケガをした昨年5月の刑務所襲撃作戦とは? そして例の北大生をどう見るのか? この続きは、発売中の「週刊プレイボーイ43号」にてお読みいただけます。

(撮影・取材協力/本多治季 取材協力/世良光弘)

■週刊プレイボーイ43号「僕らはなぜ“聖戦”に惹かれたか?」より