アメリカ側は辺野古どころか沖縄駐留自体も柔軟に対応する姿勢を見せていたという

「国外、最低でも県外」ーーかつて総理大臣を務めていたときに鳩山友紀夫氏が明言した言葉だ。もし叶っていれば、普天間基地の辺野古移設問題も起きていなかったはず。しかし、鳩山氏はそれを断念。その真相からは、日本政府がつき続けたウソが見えてきた。

―結局、鳩山さんも最後は「辺野古への移転」を受け入れてしまいます。首相を辞任されるときの記者会見で「学べば学ぶほど沖縄基地、海兵隊の抑止力の重要性に思い至った」とのコメントがありましたが、あれは本心? それとも言わされたんでしょうか?

鳩山 正直申し上げれば、あのようなことを言わざるを得ない状況に追い込まれた。そのときに自分としては辺野古にはしたくなかったが、辺野古移転に戻らざるを得ない理屈をつくらなきゃいけない。そこで、陸海空の沖縄駐留米軍全体としての抑止力があり、そのなかの一翼を海兵隊が担っているという言い方で逃げようとしたというのは事実です。

―後悔されてますか?

鳩山 何より、移転先を辺野古に戻してしまったことを後悔していますし、あのような理屈をつけた発言をしてしまったことには当然、悔いが残ります。

―日本の官僚は沖縄に海兵隊がいることが本当に抑止力になると信じているのでしょうか?

鳩山 外務省、防衛省の役人、また自民党も今でも米軍が沖縄に存在していることが抑止力だという考え方です。ただし、私は中国とアメリカが戦争する、特に尖閣諸島を守るために米軍が戦争するなどということはあり得ないと思います。

アメリカは、日本以上に中国と協力していくことが将来的にメリットがあるとわかっていますから、いたずらに中国脅威論を振りかざし、それに対抗するために日米が協力するとか、米軍基地が沖縄にあることが中国に対する抑止力になり、それはアメリカのためでもあるんだ、みたいな発想は根本的な誤りがあると思いますね。

―そういうロジックは主に日本側から出されたものだと?

鳩山 もし沖縄の米軍基地が抑止力というなら、沖縄はあまりにも中国に近すぎて、もしミサイルが来たら、あっという間に潰されてしまう。抑止力になるどころか最初に壊滅させられてしまう場所だから、もっと遠くに基地を置いたほうが戦略的にもいいことはアメリカもわかっているはずです。

―つまり、「国外、最低でも県外」は決して荒唐無稽(こうとうむけい)な提案ではなかった。それを阻んだ最大の障害は、沖縄の米軍基地を「抑止力」とする考えに固執し続けている日本側の安全保障政策、官僚組織ということですか?

鳩山 そうだと思います。

官僚は私を諦めさせるためにウソをついた

―ところで、辺野古に戻したことを悔いているとのことですが、実際にどの段階で諦めさせられたのでしょう?

鳩山 この問題に解決のめどがつけられなければ2010年の参院選に勝てないと考えたのが戦術ミスでした。

参院選が7月なので、タイムリミットは5月。政権発足後はまだ時間的余裕があると思ったのですが、最初の数ヵ月は予算編成などでまったく余裕がなくなってしまい、気がつけばもう4月、5月しか残ってない。この期間で基地移設を議論するのはあまりにも性急すぎた。

しかし、この数ヵ月の間にいくつか提案もいただき、最も有力な案として残ったのが鹿児島県の徳之島でした。2009年12月頃に徳之島の青年たちや当時の町長から、「島の活性化のため普天間の移設先として徳之島を」というお話を非公式にいただき、この方向でなんとかしたいと動いていたのです。ところが、その情報が外に漏れて一斉に反対運動が巻き起こり、今まで賛成していた人たちや町長さんたちも、反対と言わざるを得なくなって潰れてしまった。

さらに、県外移設を諦めたもうひとつの決め手が、当時、日本の官僚を通じて「米国の意向」として伝えられていた「普天間基地の移転先は沖縄の海兵隊基地から60マイル以内」という条件です。60マイルというと約96km圏内ですから、徳之島はもちろん、そもそもどうやったって沖縄県外には出せない。この話で心臓を刺されたような感じになりましたね。

―それは本当にアメリカからの要望だったのですか?

鳩山 いいえ。これも後でわかったことなのですが、アメリカ側からはそんな条件は一切出ていなかったのです。

―最近、辺野古が完成するまで、佐賀に普天間のオスプレイを移すという話がありました。

鳩山 沖縄の海兵隊基地から60マイル以内という条件が本当ならば、佐賀なんてとんでもない話であり得ない。結局、60マイルは私を諦めさせるための理屈として、官僚がつくった話だったのでしょう。

鳩山氏は、日中双方とも今の方向とは逆に緊張と軍事力を下げ、経済・文化・教育・医療などで協力し平和を模索するために活動していくべきだとと主張する

鳩山氏が今、沖縄に思うことは

―あえて厳しい言い方をすれば鳩山首相をはじめとする当時の民主党が、官僚のコントロールやメディアの使い方、時間のマネジメントなど、政権担当能力が足りなかったとは感じます。

ただ、すべてを民主党政権のせいにするのではなく、あのとき、実際に何があったのか? 「最低でも県外」の実現を阻んだのはなんだったのかを検証することは、今、沖縄の基地問題を考える上で必要だと思います。

尖閣をめぐる中国の攻勢など東アジアの情勢は、鳩山さんが首相当時と大きく変化しています。それも含めて沖縄の基地問題を今どう見られていますか?

鳩山 先日、菅(すが)官房長官が沖縄に行き、「あと5年で普天間を運用停止する」と明言しました。しかし、仮に辺野古に基地が造られるとしても2019年には間に合わない。それでも普天間を運用停止できるなら、そもそも辺野古は必要ないことになる。それを官房長官自らが言ってしまったのです。もちろん、この発言が知事選に向けた単なる空手形であれば、5年で普天間運用停止が実現可能かどうか考える必要もないのでしょうが……。しかし、この選挙は単に沖縄のトップを決めるだけではありません。これは日米関係の将来を大きく変える可能性のある、大変意味ある重要な知事選だと、私は認識しています。

辺野古に戻してしまった自分の失敗で、沖縄県民の皆さんに大変な失望と苦痛を味わわせてしまった。その意味で今、私にできることは、辺野古をはじめ、「もう沖縄に米軍基地はいらない」というオール沖縄の切実な思いに寄り添い努力することだと思っています。

鳩山友紀夫(HATOYAMA YUKIO)1947年生まれ、東京都出身。1986年の総選挙で初当選。2009年、民主党代表に就任し総選挙で勝利、第93代内閣総理大臣となる。沖縄基地問題で「最低でも県外移設」と主張し精力的に活動するも、2010年6月、総理辞任。2012年の総選挙前に政界を引退。昨年から政治信念である「友愛」の文字を取り「友紀夫」名で活動している

(取材・文/川喜田 研 撮影/五十嵐和博)