23日(木)に行なわれるプロ野球ドラフト会議。自分がプロ野球に入るわけでもないのに、毎年どうしてこんなにドキドキしてしまうのだろう? 涙あり、笑いあり、そしてトラブルあり……? 心を揺さぶるドラマの舞台となってきた運命の1日だが、名調子と“ヅラ疑惑”でその場を盛り上げた、この人を覚えているだろうか?

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1965年11月17日に行なわれた第1回プロ野球新人選手選択会議。初代司会者として堀内恒夫(つねお)(甲府商高・巨人1位)らの名前を読み上げたのが、後年“パンチョ伊東”の愛称で親しまれることになる31歳の伊東一雄だった。

59年にパ・リーグ入り、会長秘書から1976~91年には広報部長を務め、ドラフトの司会で名物となった伊東の真骨頂は、その歯切れよい口調による進行と、選手名の独特の言い回しにあった。

「益山性旭(ますやま・せいきょく)(大阪福島商高)の『せい』はセックスの『性』」(72年)、「蒲谷(かばや)和茂(関東学院六浦[むつうら]高)の『かば』は「うなぎの蒲焼きの『蒲』」(84年)、「芝草宇宙(ひろし)(帝京高)の『ひろし』は宇宙(うちゅう)、コスモ」(87年)など、その語録は伝説となっている。

これらの表現は、会場にモニターがなかった88年より前のこと。当時は伊東が読み上げた選手名を担当者が看板に書いて掲示しており、漢字表記を伝えるためだった。

伊東は、91年のドラフトで通算1991人目となる田畑一也(元北陸銀行)の名を読み上げたのを最後にパ・リーグを退職。以後はメジャーリーグ通のコメンテーターとして活躍した。

時にはその“不変”なヘアスタイルをネタにされることもあったが、その真相は明かされず……やがて体調を崩し、02年にこの世を去った。

ちなみに、ニックネームの“パンチョ”は、メキシコ人に多いフランシスコという名前の愛称。かつて阪急で活躍したスペンサーに、親しみを込めて呼ばれたのが最初という説がある。

(取材/キビタキビオ 谷上史朗 取材協力/寺崎 敦)

■週刊プレイボーイ44号(10月20日発売)「総力特集13P! プロ野球ドラフト会議 伝説の瞬間」より(本誌では、江川問題からKKコンビの明暗ほか一挙紹介!)