北東部の断崖上で波高100m以上の大津波を受けた「ハジャー イム神殿」遺跡。復元された(巨石が立てられた)ものは一部である

古代ギリシャの大哲学者プラトンが、今から約1万1000年前に海中に沈んだと記した「アトランティス大陸」。だが、これまでの研究により、アトランティスは必ずしも大陸ではなかったことが判明。そして、アトランティス水没候補地として数年前から脚光を浴びる「マルタ島」とは――? 古代史の謎に迫る、第3回!■海底地殻変動で100mの津波と大地盤沈下が発生

シチリア島の南方約100kmに浮かぶマルタ島と北西のゴゾ島を併せた「マルタ共和国」の広さは、日本の八丈島4つ分ほどで、全体が石灰岩でできている。大型の樹木が育ちにくい荒地ばかりの土地だが、地中海貿易の拠点として古い歴史があり、1964年に英国から独立するまで、さまざまな人種の支配者と住民が入れ替わりながら暮らしていた。

そのため、今のマルタには地域オリジナルの古代神話や土着信仰は残っていないが、ただひとつ《大昔に滅び去った巨人族が、大量の岩を運んで大きな家を造った》という話が伝わっている。その伝承を生み出したのが、マルタ、ゴゾ島に数多く残る巨石神殿の遺跡である。

これまでの年代測定で、8000年前頃から始まったことがわかった「マルタ巨石文明」。その特徴は、見晴らしのいい丘の上などに高さ7、8mの巨岩を組み合わせて、内部に豊満な女神石像を祭る数十m四方の大神殿をいくつも建造したことだ。

ところが極めて頑丈なはずのそれら石造建築物は、なぜか大部分が倒壊し、厚い土砂に覆われた廃墟の姿をさらしてきた。そして1980年の世界遺産指定とともに本格化した復元作業を通じて、驚くべき事実が次々に浮上。同時に、この文明を築いた人々の正体についての謎が深まっていった。考古ジャーナリストの有賀訓(あるが・さとし)氏の現地取材によると、

「ユネスコが主導した初期の調査では、巨石神殿の倒壊原因は大地震だとされていました。ところが復元が進むうちに、多くが横方向からの非常に強い圧力を受けて破壊されたことがわかったのです。さらに遺跡の床などにたまった厚さ2m以上の土砂は、大津波で海底から運ばれたものと判明しました。つまりマルタ、ゴゾ島内の巨石建造物は大地震と大津波のダブル攻撃で破壊され、それは約4000年前頃に起きた出来事と推定されています」

驚くべきは、その大津波の規模だ。マルタ島の北東海岸に面した首都バレッタの考古調査では、ほぼ北側から押し寄せた津波が斜面を駆け上り、約2km内陸の「タルシン神殿(海抜約50m)」を破壊して土砂で埋め尽くした。

7000体以上の人骨が詰め込まれた「地下神殿」

この断崖地形を軽々と越えて、巨大津波は手前に立つ頑丈な石造神殿をなぎ倒した

さらに南東部にはもっとすさまじい津波の痕跡があり、海岸に切り立つ海抜約80mの断崖上に造られた神殿を、東から襲いかかった巨大な水圧がなぎ倒した。神殿の高さは10m近いので、津波の波高は100m以上だったと考えられる。

また、タルシン神殿の北側約300mの丘陵地では、岩盤を約10m下まで掘り抜いて造った「地下神殿」が20世紀初めに発掘され、その内部には7000体以上の人骨が詰め込まれていた。この無気味な発見は、何を意味するのか。

「この地下遺跡にも女神像などの宗教遺物が数多く残り、最初は神殿として使われていたことは間違いありません。大量の人骨は、乱雑な重なり具合などから一度に運び込まれたと推定されています。

そうした不自然な状況から見て、突然襲ってきた大災害で大量死した遺体を、緊急に地下神殿へ収容したのではないでしょうか」(有賀氏)

その4000年前に発生した大地震と大津波については、マルタ、イタリア、フランスなどの合同研究チームが原因を解明中だが、最も有力視されているのは海底で起きた急激な地殻変動説だ。それは、地中海中央部がユーラシアプレートとアフリカプレートの境界に位置することからも十分考えられる。イタリア半島南部やシチリア島の火山群での噴火活動も、この地域のプレート衝突が引き起こしている。

マルタとゴゾ島の周辺数十kmには水深20~100mの浅海が広がっているが、東側約70kmには地中海最大の海底活断層が潜み、ここで水深は一気に3000~4000mへ落ち込んでいる。また、西側約20kmから先の海底にも水深1500m以上の大きな窪み地形が3ヵ所ある。

欧米の地質学者や地球科学者たちの多くは、これらの場所で4000年前にM9クラスの巨大地震が起き、大規模な海底崩落が大津波を誘発した可能性が高いと推測しているのだ。

しかし、もし仮にマルタ巨石文明が大津波に襲われたことがアトランティス伝説の原型だとすれば、プラトンが記した急激な陸地の「水没」についてはどうなのか?

マルタ巨石文明は今よりずっと広い面積に展開していた

「西側海底の窪み地形は、氷河期後に何度も起きた急激な地殻変動で“陥没”したという見方が強まっています。もちろん東側の深い海底でも同じことが起きた可能性が高く、これらの変動と一緒にマルタでも短時間で陸地が数十mも沈下した……。この大異変がアトランティス伝説に反映したとも考えられます」(有賀氏)

実際、この仮説を裏づけるような痕跡も見つかっている。マルタ、ゴゾ島の陸上には丘の上に神殿建造用の巨石を運んだ「カートラッツ」と呼ばれるレール状の溝跡が無数に刻まれ、その多くが海底へ続いている。

「5年前にイタリアのテレビ局が本格的に潜水調査をして、それらの溝跡が水深30m以上の海底まで何kmも延びていることを突き止めました。また、北側のシチリア島との間にある海底でも、カートラッツだけでなく、間違いなく人間が造った石畳や石柱、陸上のものと同じ構造の石造神殿跡などが目撃されています。

つまり、8000年前頃から始まったマルタ巨石文明は、今よりもずっと広い面積に展開し、当時は、マルタ島とシチリア島の間に広がる水深100m前後の浅海も地続きになっていた可能性が高いのです」(有賀氏)

マルタ、ゴゾ島内に無数に残る、車輪付き運搬装置を使って巨石を運搬した跡らしき「カートラッツ」

約3m幅に規格統一されたレール跡の多くが海底へ延びている。これも今の海面が地盤沈下した証拠のひとつ

だが、そのほとんどは4000年前に起こった天変地異で海中へ消え去り、水没を免れた小さな陸地に巨石神殿の廃墟と7000体の遺骸を残したまま、活動を停止した。それから約500年間、マルタ、ゴゾ島は完全に無人化したということが、最新の考古調査でも明らかになっている。

この失われた古代文明がアトランティス伝説のルーツだった可能性は極めて高い。では、この古代文明とはどんなものだったのか?

*続編「短期集中連載 古代史最大の謎を追う! 第2回 マルタ島に眠る『アトランティス遺産』の驚くべき全貌」は、発売中の「週刊プレイボーイ45号」に掲載!

(写真/有賀 訓)