夏至の朝に太陽光線が最も奥の部屋を照らし出すように設計されたゴゾ島のジュガンティーヤ神殿の入り口。ほかの神殿も、冬至、夏至、春分、秋分の日に内部の特別な場所へ日が差し込む設計になっていた

多くの説の中で今最も有力な「マルタ島周辺=アトランティス大陸」説。この島と西隣のゴゾ島では、8000年前頃から巨石神殿を中心とした古代文明が生まれたが、4000年前頃に突如として活動が止まった。

その期間に存在した「マルタ古陸」は特に豊かな土地だったらしく、その恵まれた環境から世界最古の巨石文明が生まれたという――。古代史最大の謎に迫る、シリーズ第2回!

■世界最古の天文台と巨石建造物も発見!

マルタ島とゴゾ島に残る巨石神殿のなかでも、6500年前頃に建てられた5つの大型神殿については、1980年代に驚きの新事実が浮かび上がった。

これらの石造神殿に開いた入り口と小窓は「夏至・冬至・春分・秋分」の日の「日昇」または「日没」の時刻に、太陽の入射光が室内の祭壇や床の中央など特別な場所を照らし出すように設計されていたのだ。また、神殿の外壁に点の連続で刻まれた奇妙な曲線模様は、その位置から見える毎日の月の動きを精密に記録したこともわかった。

こうした太陽と月の観測で「暦」の機能を持つ遺跡は世界各地にあるが、古くても4000年前から後の古代科学が生み出した施設だと考えられてきた。

しかしマルタ島では、それを6500年も前に完成させていた。つまり、マルタ島とゴゾ島の大型神殿は世界最古の天文台でもあったということだ。

イムナイドラ神殿に残る月の動きを刻んだ巨石。ほかに惑星や星座を記録したと思われる遺物もあり、この巨石文明が宇宙を強く意識していたことが想像できる

さらに両島内には石造神殿だけでなく、正体がよくわからない「巨石記念物(メガリス)」が、至る所にある。

それらは、巨石や岩を円形状に並べた「環状列石(ストーンサークル)」、直線・曲線状に並べた「列石(アリニュマン)」、一枚の平石か柱状の石材を大地に突き立てた「石柱(メンヒル)」、ふたつ3つの支え岩の上に巨石を載せた「机岩、支石墓(ドルメン)」、の4種類だ。

同じ種類の構造物は世界各地に残っているが、一ヵ所の遺跡にあるのはたいてい1、2種類の巨石記念物に限られる。ところが、マルタ島とゴゾ島にはこの4種類すべてがそろっているのである。

マルタ巨石文明は世界史を塗り替える存在に?

ゴゾ島中央部に残る直径100 mを超す円環状の構造物「シャーラ・サークル」

ほとんど未加工の巨石を並べたストーンサークル、支え岩の上に巨岩を載せた「ドルメン」も数多く残る。墓だとする見方もあるが、マルタ島とゴゾ島では人骨や埋葬跡のないものが多い

植物や動物などの有機物は10年単位で年代測定ができるが、石造物の製作年代は1000年幅でも測定が難しい。しかし、両島に残る4種類の巨石記念物は大部分が自然状態の巨石が使われ、風化の進み具合から建造時期は8000年前の文明初期にまでさかのぼれそうだという。

そうなると、これらの巨石記念物も世界最古となり、この地から地球各地へ広がったという仮説も成り立つ。つまり、天変地異で滅びていなければ、このマルタ巨石文明は世界史を塗り替える存在になっていたかもしれないのだ。しかし、4000年前に起こった天変地異から約500年間、ふたつの島は完全に無人化し、文明はぷっつりと途絶えてしまった。

ほぼ同時期の約4100年前には、地中海と同じくユーラシアプレートにある「死海」で巨大噴火が頻発し、これが『旧約聖書』の「ソドムとゴモラ」滅亡物語の下地になったという説がある。

またマルタ島の滅亡から300年後の約3700年前には、東地中海のサントリニ島でも海底火山の巨大噴火が起きた。この時代は地中海域全体が、非常に激しい地殻変動期にあったようだ。

前回のリポートで触れたようにマルタ島北東部の地下神殿には、4000年前に襲った大地震と津波、急激な陸地の水没で大量死したと思われる7000体の人骨が眠っていた。それは一部の犠牲者でしかなく、もっと膨大な人数が海の藻くずと消えたことだろう。

プラトンが記したアトランティスの滅亡伝説には、生存者のことは何も語られていない。では、マルタ巨石文明もまた、巨大天変地異から約500年間の無人化が示すように完全に壊滅したのか? マルタ考古学の専門家たちは必ずしもそうは考えていないようだ。

「マルタ巨石文明が消えた後、しばらくしてイタリア半島の西400㎞に浮かぶサルディニア島で“ヌラーゲ”という巨石建築物が次々に造られるようになりました。その使用目的は、神殿、宮殿、集団住居、要塞(ようさい)と説が分かれ、今のところ完全には解明されていません。しかし建築方法と構造はマルタの巨石神殿とそっくりなので、マルタ巨石文明の技術がヌラーゲへ受け継がれたのだと推測する研究者は大勢います」(マルタ国立博物館)

ヌラーゲは氷山の一角

サルディニア島内に残る正体不明の巨大石造物「ヌラーゲ」のひとつ。約1500 年間に全島で2万基近く造られたようだが、その用途、マルタ巨石文明との関連性は今のところはっきりしていない

そのサルディニア島は、約2500年前にアフリカのチュニジアに本拠を置いた海洋国家カルタゴの大侵略を受けた。これによって約1500年間にわたって続いたヌラーゲ文化も滅び去り、マルタ巨石文明に負けず劣らず深い謎に包まれている。

「私はヌラーゲの実物は取材していませんが、写真と映像を見る限り、マルタ巨石文明の影響を受けた建造物としか思えません。かといって4000年前の大破局から大勢の人々が生き延び、避難先ですぐに巨石神殿を造ったとは考えられない。

なぜならサルディニア島にも十数万年前の旧石器時代から人が暮らし、4000年前頃にはマルタ巨石文明のレベルには及ばないまでも、独自の地域文化が根づいていたからです。

このヌラーゲという石造物は、平野部、海岸付近、高山地帯、さまざまな場所に残っているので、神殿や天文観測所というより軍事施設の性格が強いようです。そうなると、マルタ巨石文明の少数の生き残りが伝えた技術や知識が、当時のサルディニア島民の必要性に合う形でヌラーゲに生かされたというのが、真相ではないでしょうか」(有賀氏)

文化や知識は、極端に言えば伝達者がひとりだけでも他地域へ広がる。その内容が優れているほど後世への影響力と空間的な広がりも大きい。失われたアトランティス=マルタ巨石文明も、然(しか)りだ。

実はヌラーゲは氷山の一角でしかなく、マルタ巨石文明の遺産は4000年前以降の地中海世界にさまざまな形で息づいていった。そればかりか滅亡から数百年の時を経て、地球上の予想外の地域にも忽然(こつぜん)とよみがえった。

明日発売の「週刊プレイボーイ」46号では、本誌だけが到達した驚愕(きょうがく)の古代史秘話をリポートする。

(写真/有賀 訓)

*続編「短期集中連載 古代史最大の謎を追う! 第3回 脱出したアトランティス人は南米アンデスに渡っていた!」は、11月4日発売の「週刊プレイボーイ」46号に掲載!

■週刊プレイボーイ45号「短期集中連載 古代史最大の謎を追う! 第2回 マルタ島に眠る『アトランティス遺産』の驚くべき全貌」より