豪快すぎるレジェンドの長持ちの秘訣は「何もしないこと」!?

さぁ1年のシメ、九州場所が開幕ーー。

モンゴルから来日して23年目、40歳を迎えてもますます元気! 飲みたければ飲み、食べたければ食べる。「最近の若い力士はおとなしい」といわれるなか、誰よりも“おすもうさん”らしい豪快な生き方を貫くレジェンド・旭天鵬に、落語界きっての好角家・三遊亭歌橘さんがじっくり話を聞いた。

■逸ノ城と当たったら、ケガしない程度に(笑)

―40歳と九月場所の勝ち越し、ダブルでおめでとうございます!

旭天鵬 勝ち越しに王手をかけてから連敗したときは、どうなるかと思ったけど(笑)。ホント、勝ててよかったよね。

―場所後には、日本相撲協会公式ツイッターのフォロワー5万人突破企画「旭天鵬40歳&勝ち越しを祝うお誕生日会」にも参加されました。

旭天鵬 今までそういうのがなかったから、最初はけっこう緊張したんだけどね。でも、ファンの皆さんから、似顔絵入りのTシャツや名前入りのゴルフボール、お酒などをたくさんいただいて、人生で一番うれしい誕生日になったかな。

―40代の幕内力士は60年ぶり、勝ち越しは73年ぶり。もう“レジェンド”です。

旭天鵬 オレが十両に上がって関取になったのは21歳のとき。当時は30歳前後で引退するのが当たり前だったんだけど、「あと9年も持つのかな?」っていうのが正直なところで。「無理でしょ」って、自分で自分にツッコミを入れてた(笑)。

―旭天鵬関が日本に来たのは1992年、17歳のときですから、もうモンゴルで暮らした時間より、日本での生活のほうが長いんですよね。

旭天鵬 オレが日本に来た年に生まれた子供が、大学を卒業して社会人になっているんだからね。自分でも驚くよ。逸ノ城(いちのじょう)は21歳だっけ? オレが19歳のときに子供をつくってたら、逸ノ城と同い年だからね。

―わが子と対戦するようなものですね。

旭天鵬 当たりたくないし、当たらなくてよかったよ。

覚悟がないまま日本に来てしまった

―旭天鵬関から見て、モンゴルの後輩はどうですか?

旭天鵬 関係ないよ。もう23年目だからね。日本人の奥さんをもらって、日本国籍を取得して。モンゴル人だとか、日本人だとか、そういう意識はない。みんなかわいい後輩ですよ。

―もし、逸ノ城関と本場所で当たったら?

旭天鵬 向こうはずっと上(十一月場所では関脇)に行っちゃったから、ないと思うけど。もし当たったら、ケガしないように、のらりくらり取るかな(笑)。

―話を戻しますが、日本に来ようと思ったきっかけは何かあったんですか?

旭天鵬 ないよ。今でこそ飛行機の直行便もあって、4、5時間でパッと来られるんだけど、90年までは社会主義の国だった。日本との関係もよくなかったし、今のようにインターネットがあるわけじゃないから情報も一切入ってこなかったしね。相撲がどういうものなのかも、まるでわかってなかった。

―よく、それで相撲取りになりたいと思いましたね。青春の大暴走ですか(笑)。

旭天鵬 若気の至りかな。だいいちオレ、中学時代にやってたのはモンゴルから来日してバスケットボールで。柔道もモンゴル相撲もやってないからさ。

―じゃあ、日本に来て、自分の目で相撲部屋を見たときは、ビックリされたでしょう。

旭天鵬 うわあー、こりゃ、とんでもないとこに来ちまったなあと(笑)。

―相撲といえば、マゲとフンドシですからね。

旭天鵬 いや、マゲやフンドシ以前に、言葉とか食事とか、覚えなきゃいけないことや慣れなきゃいけないことがたくさんあって。あれもこれも全部つらくて、毎日泣いてたよ。

―ホームシックもあったんでしょうね。

旭天鵬 17歳だからね。家族の声を聞きたくて、毎日モンゴルの実家に電話をかけるんだけど、当時は携帯電話がないから、テレホンカードを握り締めて電話ボックスに飛び込んで。あんまり暑いから、時々ドアを開けるんだけど、今度はあちこち虫に刺される(笑)。

―半年後、部屋を脱走してモンゴルに帰ったのも、仕方がなかった、と。

旭天鵬 いや、覚悟がないまま日本に来てしまったことは、今でも恥ずかしいと思ってる。最初、6人で日本にやって来て、同じ部屋に入ったのに、旭天山(きょくてんざん)だけが日本に残って……。モンゴルに帰ったときは、ホッとした気持ちもあったけど、悔しさも、情けなさもあった。

部屋に戻ってきた理由は?

■若い者と飲みに行ったら絶対に潰す

―そういう気持ちがあったから、モンゴルまで説得に来た大島親方の言葉に従って部屋に戻ったんでしょうね。

旭天鵬 それはちょっと違うかな。そんないい話じゃない。

―というと?

旭天鵬 わざわざモンゴルまで迎えに来てくれたのには驚いたし、うれしかったけど、日本に戻る気持ちはまったくなかった。だって、そうでしょ? 戻ったからって歓迎されるはずないんだから。絶対にやられると思っていたし、事実、戻ってしばらくはみんな無視だったからね。それって、イヤだぜ。

―それでも、戻ってこようと思ったのは?

旭天鵬 日本にひとりだけ残った旭天山と、もう一度、日本に行くと決めた旭鷲山(きょくしゅうざん)の存在が大きかったよね。「あのふたりはやれるのに、なんでおまえはできないんだ?」って、お父さんが悲しそうな顔をするし。そう言われるとさ、息子としては寂しいじゃない。なんか、がっかりさせちゃったみたいでさ(苦笑)。

―いち相撲ファンとしては、戻ってくれてよかったです。

旭天鵬 2度目は、自分でも覚悟を決めて。もう逃げられないからね。戻ってきて失敗したなと思ったこともあったけど、それもこれも全部含めて、今のオレがある。

―一番つらかったのは?

旭天鵬 序ノ口、序二段、三段目……あの頃が一番しんどかったかな。稽古(けいこ)を頑張って、少しずつだけど番付も上がるようになって。兄弟子たちも稽古をつけてくれたり、食事に誘ってくれるようになったけど、十両に上がるには、あとどれだけの人を追い越さなきゃいけないんだろうって数えると、気が遠くなってきて。関取になりたいという夢はあるんだけど、あまりにも遠くて。

―見習いから始まって、前座、二(ふた)ツ目、真打という身分制度がある落語の世界も同じですね。二ツ目まではほとんど生活できないから、大切なのは、大きな目標より明日のメシ。若い頃は、相撲部屋に入り浸りで、毎日ちゃんこを食べさせてもらっていましたから(笑)。

若い者と飲みに行ったら絶対に潰す

全国各地を回る巡業でも、現役最年長のレジェンドは大人気。サインや記念撮影にも気さくに応じていた

旭天鵬 最初に六本木で会ったときは、もう真打になってた?

―二ツ目ですね。師匠のお供で。あのとき、旭天鵬関のテーブルには、ジンロの空き瓶がずらーっと30本ほど並んでいて。目がギラギラしていました。最後、店の外国人のスタッフをハグしながら、「日本という国にはお金がいっぱい埋まってるんだ。それをつかめるかどうかは、自分次第なんだ」って。その人、感動してウォンウォン泣いちゃって(笑)。

旭天鵬 そんなこと言ってた? 全然覚えてない(笑)。でも、今も飲みに行くときはギラギラしてるよ(笑)。回数は減ったし、弱くはなったけど、行けば飲む量は変わらない。若い者を連れていくときは、絶対に潰(つぶ)すからね(笑)。

―自分も周りも、ベロベロになるまで飲む?

旭天鵬 飲むねぇ。最後はベロベロだからよく覚えてないんだけど……とにかく飲むよ、めっちゃ飲む。悲しいときも、楽しいときも、悔しいときも、うれしいときも、飲んで、食べて、歌って、はしゃいで。くよくよしてもしょうがないからさ、それでいいんだよ。で、次の日しんどくて、「飲まなきゃよかった」って思うのが、もうたまらないね(笑)。

―それが長持ちの秘訣なんですか?

旭天鵬 最近、そればっかり聞かれるから、自分でも何かあるのかなって考えたんだけど、やっぱり何もないんだよね(笑)。マッサージも受けないし、体のケアもしてない。

―ホントですか?

旭天鵬 だって、昔の力士はみんなそうだったでしょ。あれを食べちゃいけないとか、これは摂ったほうがいいとか、そういうことをしなくても強かった。だから、オレも肉が食いたいときは続けて食うし、酒を飲みたいと思ったら、ずっと飲んでる。自分の相撲を録画して見ることもしてないからね。

―えっ、見ないんですか!?

旭天鵬 見ないよ。もう終わっちゃってるんだから。知り合いの人がDVDにして持ってきてくれるから、老後の楽しみとしてしまってある。

―ということは、翌日当たる力士を想定して、あれこれ作戦を考えることもしない?

旭天鵬 ほかの人がどうしているのかは知らないけど、オレはその日の相撲が終わって、夕方6時から翌朝までは、ほとんど考えない。考えるのは翌朝になって、稽古で思いっきり汗をかいた後だね。

最も記憶に残っている一番は?

■優勝決定戦では稽古の成果が出た

―ブログやツイッターは? 「負けたなう」とか、つぶやいたりしないんですか。

旭天鵬 やらないよ。そんなこと書いたら、アホだと思われちゃう(笑)。それにオレ、そんなに孤独じゃないし。

―でも、力士は土俵に上がったらひとりですよね。

旭天鵬 土俵の上ではそうだけど、土俵を降りたら付け人や若い者がいて、家に帰れば家族がいる。飲みに行けば友達がいて、ゴルフ場に行けばいろんな出会いがある。ゴルフをしながら、その人が歩いてきた人生や積み重ねてきた経験を聞くだけでも、すごく勉強になるからね。それをきっかけに、親しく声をかけてもらったり、応援してもらえるようになると、頑張ろうと思えるし。それがあるからまた、お酒がおいしくなる。

―やっぱり、最後はそこに戻るんですね(笑)。

旭天鵬 あとは家族の存在かな。勝った日は勝利を味わいながら、負けていたらそれを忘れようとして、子供たちとじゃれる。ディズニー・チャンネルで『ちいさなプリンセス ソフィア』を見たり、『アナと雪の女王』のDVDを見たり。これがまた、すごく面白いんだよ(笑)。

―その絵は、ちょっと想像しづらいですけど(笑)。

旭天鵬 ハハハ。でも、それもこれも、長く続けてこられたからだよね。オレはバブルの雰囲気が残っていた時代も知っているし、ドン底も体験したし、優勝も味わえた。ホント、幸せ者だなって思うよ。

―先場所までの生涯戦歴は895勝901敗22休ですが、今思い返して、最も記憶に残っている一番は?

旭天鵬 いろいろあるけど、やっぱり優勝を決めた相撲(2012年の五月場所)だね。優勝決定戦にたどり着くまでの15日間は、ハプニングみたいなもの(笑)。でも、最後の最後、優勝決定戦だけは、稽古を続けてきたおかげで勝てたと思ってる。押された瞬間、頭で考えるより先に体が反応して、パッと体を開いていたからね。

―逆に、絶対に思い出したくない一番は?

旭天鵬 ないな。900以上負けてるんだから、そんなの、ないのと一緒だよ(笑)。

―最後に、これからの目標を教えてください。

旭天鵬 十両に落ちたら辞めようとは思っているけど、それ以外は特にないね。難しく考えず、コツコツやるべきことを続けていく。諦めず、投げ出さず、自分を信じてやっていくしかないからさ。飲んで騒いで、ゴルフを楽しんで、1日か2日休んだら、また「よっしゃー」って言いながら外に出ていく。それがオレの生き方だし、いまさら変えられないからね。

―もう一度人生をやり直せるとしたら、それでも相撲を選びますか?

旭天鵬 うーん、どうだろう。考えちゃうね(笑)。

(構成/工藤晋 撮影/高橋定敬)

●旭天鵬 勝(きょくてんほう・まさる)1974年生まれ、モンゴル・ウランバートル出身。身長190cm、体重154kg。92年、旭鷲山や旭天山とともに、モンゴルからの大相撲入り第1号として大島部屋に入門(現在は友綱部屋所属)。同年三月場所で初土俵を踏み、96年三月場所で新十両昇進、98年一月場所で新入幕、2002年一月場所で新三役昇進。12年五月場所では37歳8ヵ月の史上最年長初優勝。今年9月13日に40歳となり、60年ぶりの40代幕内力士に。九月場所では73年ぶりとなる40代での幕内勝ち越しを達成。生涯戦績は895勝(史上5位、現役1位)901敗22休。これまでの最高位は関脇。前頭11枚目で十一月場所を迎える

●落語家・三遊亭歌橘1976年生まれ、栃木県出身。15歳で三代目三遊亭圓歌に入門。2008年9月21日、真打昇進。仕事のない時代に武蔵川部屋(当時)の小結・和歌乃山と知り合い、落語家と付け人の二重生活を送ったのが縁で、相撲界とさまざまな関わりを持つ