インディカーレースで活躍するレーシングドライバー佐藤琢磨

昨年のインディカー・シリーズで初優勝を果たした佐藤琢磨。日本人ドライバーがアメリカのトップカテゴリーのレースで初めて頂点に立つという、モータースポーツ史上に残る快挙を遂げた彼に、キャスターの山岸舞彩が迫る!

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山岸 私、以前GTカーの番組のリポーターをやらせていただいていたことがあって、GTカーにも乗せてもらったんですけど、もう怖くて怖くて。Gもすごいですし。どういう精神構造だと、あれを毎週やっていて大丈夫なのかと不思議で仕方ないんですけど……。

佐藤 恐怖はありますよ。レーシングドライバーは、クルマがいかに危険なもので、今走っている速度を運動物理エネルギーで考えたらとんでもないことになっているというのをきちんとわかっています。だけどその恐怖に打ち勝ってアクセルを踏めるのは、それ以上にそこに探究心だとか達成感があるからで、スピードを極めたいという気持ちがすごく強いからなんです。

だから極端な話、サーキットを出たら僕、60キロで走っても六本木の交差点は怖いですよ。

山岸 ええっ!?

佐藤 何が起こるかわからないから。急に人が飛び出してくるかもしれないし、信号無視の車が突っ込んでくるかもしれない。人間って、未来に何が起こるかわからないときに恐怖を感じるものだと思うんです。

だからレースで、380キロで走っていても360キロのコーナリングをしていても、4つのタイヤに自分の神経が全部つながっているような状態で、車を完璧にコントロール下に置けていれば、恐怖ではなくて楽しいという感情が先に来るわけです。

山岸 すごい。380キロで走っているときって、どんな景色が見えているんですか?

佐藤 視界に入る景色は把握してるけど、その焦点の中心はメダル1枚分くらいに絞られてしまいますね。速度が増せば増すほど視野は狭まります。ピントが合うのは集中している一点だけで、あとの景色は色が飛ぶくらい流れちゃいます。

佐藤琢磨が体験した事故とは?

山岸 そんなスピードで走っていて、大きなケガってされたことないですよね?

佐藤 一回も骨折したことないです。300キロで壁にぶつかったこと何度もありますけど。

山岸 どうして大丈夫なんですか?

佐藤 運がいいんですかね(笑)。あと、最近のクルマは本当に頑丈で、安全になってきているんです。ルーキーイヤーに一番速度の出るインディアナポリスで予選の準備をしているときに、車のセッティングを攻めすぎて、コーナリング中にコントロールを突然失って滑って後ろ向きに300キロオーバーで壁に激突したことがあるんです。そのときは70Gの衝撃がクルマにかかっていたみたい。

山岸 佐藤選手の体重を60kgとすると、4.2tですか……。

佐藤 そのときは本当に星が見えました(苦笑)。一瞬真っ暗になって、でも意識はあって。ぶつかった後も車はまだ200キロくらいで滑走してるんです。で、向こうから漏れたオイルに引火して、火が追ってくる。

山岸 怖い、怖い、怖い!

佐藤 痛くて息もできないし、手足も痺(しび)れてるしすごかったですけど、結局そのときも打撲くらいで済んだので、大きなケガは今のところないです。

■インタビューの全文は週刊プレイボーイ47号(11月10日発売)「挑戦者たち#006」にて掲載。レーシングドライバー佐藤琢磨×山岸舞彩 スペシャルインタビュー動画はこちらより↓ 「挑戦者たち」#006http://youtu.be/1qWbWuhbC58

佐藤琢磨 SATO TAKUMA1977年1月28日生まれ、東京都出身。身長164㎝、体重59㎏。愛車:ホンダ・ビート、ミニ・クーパー。10 歳のときに観戦したF1日本グランプ リに魅了され、F1ドライバーを志す。高校時代は自ら自転車部を創設し(部員1名!)、インターハイ優勝。大学在学中に鈴鹿レーシングスクールの募集告知 を見て、モータースポーツの世界へ。初めてレーシングカートに乗ってわずか5年でのF1シート獲得は、「奇跡」といわれるスピード出世だった。以後、日本 を代表するF1ドライバーとして世界中を転戦、2010年からは活躍の舞台をアメリカのインディカー・シリーズに移し、2013年には日本人ドライバーの 悲願だった初優勝を果たす

山岸舞彩 YAMAGISHI MAI1987年2月9日生まれ、東京都出身。『J リーグタイム』(NHK BS1)、『サタデースポーツ』『サンデースポーツ』(NHK総合)のキャスター (2012年にはNHKロンドンオリンピック放送の現地キャスターも経験)を経て、現在は『NEWS ZERO』(日本テレビ系)に、月曜~木曜のレギュ ラーキャスターとして出演中