現在600名の隊員が所属する西普連。今後が3000名に拡充する予定だ

2002年に創設された西部方面普通科連隊【西普連(せいふれん)】は、長崎県佐世保市の相浦駐屯地(あいのうらちゅうとんち)で日々、厳しい訓練を行なっている。現在の兵力は3個中隊、約600人。

西普連連隊長の執務室へと続く廊下の壁には、「マキン・タラワ」や「ペリリュー」など太平洋戦争における日米の離島戦の戦況・戦訓が貼られていた。自衛隊の水陸両用部隊は何を目指すのか。課題と展望を後藤義之・連隊長に直撃した。

西普連は自衛隊初の水陸両用部隊です。創設から12年間、日本になかった水陸両用戦闘のさまざまな技術を米軍の海兵隊から学んできました。

とはいえ、もちろんすべてのことをひとりでやるのは無理です。コアとなる能力は、「泳いで陸に上がる」こと。そのための強い体幹を持つこと。そこから扇を広げるように情報、輸送、補給、戦闘、狙撃などの得意分野を各自が習得し、集団としてひとつの円を形づくっています。

これから先、陸自の水陸両用部隊は3000人規模の「団」になっていきます。規模を拡大していく上で、よい人材を獲得・育成するための方法論は、実は民間の航空会社からヒントを得ています。

航空会社がなぜファーストクラスをなくさないか、わかりますか? それは、ファーストをなくすことで、結果的にエコノミークラスの客まで質が落ちてしまうからです。だからわれわれは、特殊部隊のような横並び型ではなく、ファーストからエコノミーまである米海兵隊のようなピラミッド型組織をつくっていく予定です。

われわれの任務とは、南西諸島を防衛するために真っ先に離島へ行き、そして最後の砦(とりで)となること。やられてはいけない。健在し続けなければならない。そのためには海自、空自、さらには日米間の協力をもとに陸海空の統合戦闘を促進する必要があります。

その過程では、さまざまな「文化の壁」にぶち当たります。例えば、陸自が「島」と呼ぶものが、空自は上空を2秒で通過してしまうために「岩」にしか見えない。彼らにとって「島」とは沖縄本島のようなものをいうのです。

このように、陸海空の自衛隊はそれぞれのスケール感が違い、「島」の概念も違う。これは米軍でも同様です。しかし、それでも海自や空自の支援がなければ、われわれは離島の維持・確保ができない。陸海空がいかにしてジョイントするのか―。これが今後のひとつの課題といえるでしょう。

かつて哲学者のニーチェは「脱皮しないヘビは滅びる」と言いました。西普連に来てほしい若者は「変化を恐れない勇気」を持った者たちです。

自分の知らない世界を知り、見たことのない世界を見る。それこそが人間の成長であり、生きる喜びです。こんなやりがいのある部隊はありません。「俺にもできるんじゃないか」と思った若者には、ぜひここに来てチャレンジしてほしい。心からそう願っています。

陸自西普連 後藤義之 連隊長第1次イラク復興支援群の作戦幕僚、ハワイにおける米海軍・海兵隊と自衛隊の調整役、西部方面総監部防衛部訓練課長などを歴任。今年8月、6代目の西普連連隊長に就任

(取材・文/小峯隆生 撮影/柿谷哲也)