「どういうポーズとればいい?」と監督になってもサービス精神旺盛は変わらず。基本は愛されキャラで周囲には笑いが絶えない

昨年の初優勝から一転し、最下位に沈んだ楽天。星野(仙一)監督が勇退し、シーズン途中での休養時も代行監督を務めた二軍監督がチームの将に昇格…って、ある意味、順当なのに、この人だから波風立ちまくり!

就任後の秋季キャンプでも、とかく練習法から話題になって注目の的だが、その騒動っぷりは本人が一番自覚していた? 

かつての同僚である野球評論家・橋本清氏にその思いの丈を晒(さら)して本音を語った!

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■口先だけじゃなく命と体は張れる

橋本 あらためて就任おめでとうございます! 監督に……。

デーブ 監督、言うな!(笑)

橋本 いや、それはとりあえず呼ばせてもらわんと(笑)。

デーブ 正直さ、俺は今日ハシ(橋本)だから、いろんな本音を語れると思ってるわけよ。同じ釜のメシ食ったっていうか、気心が知れてるわけだしね。

橋本 顔も似てるって、たまに言われますしね。

デーブ おい、それは心外だよ。俺のほうがまだカワイげがあると思ってるんだからさ(笑)。

橋本 (苦笑)。なら、いつもどおりデーブと言わせてもらいます。

デーブ でも、おめでとうってみんな言ってくれるけど、俺からすると勘弁してよっていうか申し訳ない。ほんと、お詫びしたい気持ちのほうが強いのよ。

だって、星野監督っていう偉大というか伝説の人のやり残した後を受け継ぐわけじゃん。俺なんか、まず自分のことを認めてないから。トップにいるより、まだ下で上の人を支えてるほうが自分らしいと思うしさ。

橋本 いやいや……。

お袋が、頼むからやめてくれって…

デーブ これがまた、俺がやるとこんだけ波風立つじゃない? やっぱり野球界ってファンのためにあるわけで、皆さんが納得できないんならやらないほうがいいと思ってるし。だから、非常に申し訳なくてさ、お詫びしたい気持ちのほうが強いの。

ただ、最後は星野監督からやってみろってお話をされて。自分はライオンズを退団したときにもう二度と野球界に戻らないって思ってた人間で、それを連れてきてもらってさ。球団もこんな俺を受け入れてくれて。やれって言われたら覚悟決めて背負(しょ)うしかないだろって。

俺でいいならなんぼでも恩返しするよ。非難浴びても覚悟を持ってさ、ほんと命と体だけは張れるからね。この1年で死んでも悔いがない生き方しようって。俺は口先だけじゃなく本当にそう思うタイプだから。ハシならわかると思うけど。

橋本 それはもう。ていうか、今日の本題をだいぶ自分から語ってくれてますから。質問いらんやろって(苦笑)。

デーブ いやでも、ほんと正直さ、俺だって叩かれるの疲れたし、自分は本人だからしょうがないけど周りもね。特にお袋なんて、最後まで頼むからやめてくれって。普通、親は喜ぶよ。それが今でも断れないかって言ってるくらい。そんだけ非難されるのわかってても、覚悟して腹くくろうって。おめでとうの裏にいろいろあるのよ。

橋本 だから、デーブのそういうとこはもちろん知ってるんで。自分も今回の就任でいろいろ聞かれるけど、みんなに大丈夫ですって言ってますよ、ほんま。命かけるとか普通、なんやこの人?って思うけど、心から人情に厚いし面倒見はいいし。僕が引退するときに相談したのもデーブやったもん。

だから俺は今、叩かれてるんだよ

デーブ 覚えてるよ。

橋本 解説の世界に入るときに、やめとけよとズバッと。そんな甘くないぞ、野球界より厳しいぜって言われて。こうして13年やってこれたけど、忘れられないデーブ語録ですもん。

バッテリー組んでるときも魂の部分とかもちろんあって、僕がサインに納得いかないまま投げると「てめー、この野郎」とかね。でもそこに裏打ちされたものや言葉があるんですよ。

デーブ まぁ時代もあるけど、あの頃はコーチとなんかあってもね、「何言ってんだ!」とか。台風22号(※背番号が22だった)になってたから(笑)。

トイレで壁蹴ってたり、しょっちゅうだったよな。バットに当たったり、ほんとよくないと思ってる。必ず罰(ばち)が当たるんだから、今は選手にもやめろよって言ってるもん。ああいうことをやるから俺は今、叩かれてるんだぞって。

●この続きは発売中の週刊プレイボーイ51号(12月8日発売)にてお読みいただけます!

(撮影/五十嵐和博)

●大久保 博元(おおくぼ・ひろもと)1967年生まれ、茨城県出身。水戸商業から84年にドラフト1位で西武入団。92年、巨人に移籍、ケガにより95年に引退。解説者、タレントとして活躍後、08年に打撃コーチとして西武復帰。12 年より楽天で打撃コーチ、二軍監督

インタビュアー

●橋本 清(はしもと・きよし)1969年生まれ、大阪府出身。PL学園時に甲子園優勝。87年、ドラフト1位で巨人に入団。セットアッパーとして活躍するもホークス移籍後にケガで引退。現在、評論などで活躍