本誌でも以前取り上げた白井聡氏の『永続敗戦論』や赤坂真理氏の『愛と暴力の戦後とその後』、そして矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』など、ここ最近、日本の戦後史を再検証する本が数多く出版され、大きな注目を集めている。
今回紹介する内田樹(うちだ・たつる)氏の最新刊『街場の戦争論』もまた、「日本の戦後史」や「日本人の戦争観」に、独自の角度から切り込んだ、話題の一冊だ。
フランス現代思想の研究者で武道家としての顔も持つ内田氏は、昨年末から今秋にかけて10冊以上という驚異的なペースで著書を刊行するが、なぜ今、「戦争論」をテーマに選んだのか? 神戸にある自宅兼道場「凱風館(がいふうかん)」で話を聞いた。
■黙して語らぬ戦中派と断絶された歴史の罠
―『街場の…』シリーズや、憲法論など、このところ立て続けに新刊を出されている内田さんですが、今回はなぜ「戦争論」なのでしょう?
内田 僕たちが今いるのは、ふたつの戦争、「日本が負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」に挟まれた「戦争間期」なのではないかという気がなんとなくしています。実際、近年に僕よりずっと若い書き手たち、例えば白井聡、赤坂真理、中島岳志、片山杜秀(もりひで)といった方たちが申し合わせたように「先の戦争の負け方」について独自の論考を展開している。現代日本の本質的な弱さを「戦争の負け方」の総括が間違っていたからではないかというのが彼らの問いかけだと思いますが、僕自身もそれを共有しています。
1950年生まれの僕は戦争を経験していませんが、戦争を経験してきたばかりの父親たち世代のたたずまいを記憶しています。その「証人」として、戦争について語る世代的な責務も感じています。
安倍のような極右が総理になれたのは日本だけ
―世代的な責務とは?
内田 父親たちの世代、「戦中派」には「戦争経験について語らない」という一種「暗黙の了解」のようなものがあったように思います。戦地で実際に行なわれたことや見たことについては子供たちには語らない。もとは「善意」から出たことだと思います。「戦争がどれほど醜悪で過酷なものか、自分たちがどれほど残酷で非情だったか、そういうことは子供たちには伝えまい。無言で墓場まで持っていこう。子供たちは無垢(むく)な戦後民主主義の申し子として未来の日本を担ってほしい」。そういう思いだったのではないでしょうか。だから「黙して語らず」を貫いたのだと思います。
しかし、そのせいで「戦争の記憶」は次世代に語り継がれず、僕たち世代は戦争を「済んだこと、早く忘れるべきこと」として、戦争について深く踏み込んで総括する機会を逸してしまった。そのことの負の側面が、現代日本の足腰を致命的に劣化させている、そう感じます。
なぜ「戦中派」は戦争を語らなかったのか? あるいは語れなかったのか? そしてそれが戦後70年にどんな影響を与えたのか?
世の中から「戦中派」がいなくなっている今、少なくとも「沈黙を貫いた父親世代」の屈託した表情だけは記憶している僕たちの世代が、その“沈黙の意味”を再構成しなければならない、そう思ったのです。
―戦争が世代間で語り継がれず、歴史が断絶してしまったことで、具体的にどんな悪影響が日本にもたらされているのでしょうか?
内田 最も顕著なのは「歴史修正主義者」の登場でしょう。これは日本に限らず、ドイツやフランスでも同じなのですが、戦争経験者世代が社会の第一線から退場し始めると、どこでも「歴史修正主義者」が現れます。
彼らは歴史の「生き証人」がいなくなった頃を見計らって登場します。「戦中派の沈黙」ゆえに戦争の記憶が伝えられなかった戦後日本では、とりわけ歴史修正主義は暴威を振るいました。現場を見た生身の人間がいなくなった頃になって、断片的な文書だけに基づいて、戦争について言いたい放題の「事実」を語りだすのです。
従軍慰安婦の問題にしても、実際に戦地で慰安所に通っていた兵隊たちが生きていた間は「強制性はなかった」「軍は関与していない」などということをうるさく言い立てる人間はいなかった。慰安婦がどういう制度であるかを誰でも知っていたからです。証人たちがいなくなった頃になって初めて「慰安婦問題は捏造(ねつぞう)だ」と言いだした。ヨーロッパにも「極右」の政治家はいますけれど、安倍晋三のような極右が総理大臣になれたのは世界で日本だけでしょう。
自民党は支配層の既得権益を維持する政治装置に
―なぜそうなってしまったのでしょう?
内田 もともとの自民党はイデオロギー政党ではありません。党内に極右からリベラルまで含んだ「国民政党」でした。国民の生活実感をくみ上げることで長期政権を保ってきたのです。
そして外交戦略は「対米従属を通じての対米自立」一本やりだった。従属することで主権を回復するというトリッキーな戦略ですが、それが戦後日本の戦略として最も合理的で現実的だったわけです。現に、その戦略のおかげで日本は敗戦から6年後にはサンフランシスコ講和条約で主権を回復し、1972年には沖縄返還で国土を回復した。対米従属によって「ペイできた」というのは自民党政権の歴史的成功体験だったわけです。しかし、この成功体験への固執がそれから後の日本外交の劣化をもたらした。
沖縄返還後42年の間、日本はひたすら対米従属を続けましたが、何ひとつ回復できていない。世界中から「アメリカの属国」だと思われているけれど、その見返りに「対米自立」としてポイントを獲得できた外交的成果はひとつもない。ゼロです。
米軍基地は縮小も返還もされない。年次改革要望書を通じてアメリカは日本の政策全般についても細かい指示を続けている。対米従属は本来は主権回復のための手段だったはずですが、それが3世代にわたって受け継がれているうちに「自己目的化」してしまった。対米従属を手際よく効率的にこなすことのできる人たちが政治家としても官僚としても学者としても「出世できる」システムが出来上がってしまったのです。
自民党が国民政党からイデオロギー政党に変質したことは、この「対米従属の自己目的化」の帰結だと僕はみています。安倍首相はじめ対米従属路線の主導者たちが、その見返りに求めているのは日本の国益の増大ではなく、彼らの私的な野心の達成や個人資産の増大です。
今回の解散・総選挙はどのような国益にも関わりがありません。政権の延命が最優先されている。かつての自民党政権は列島住民の雇用を確保し、飯を食わせることを主務とする「国民政党」たらんとしていましたけれど、現在の自民党は限定された支配層の既得権益を維持するための政治装置に変質してしまいました。
安倍首相がめざすは北朝鮮+シンガポール?
―集団的自衛権の行使容認などで、日本が「戦争のできる国」になろうとしているという声があります。近い将来、この国が「戦争」に巻き込まれる可能性はありますか?
内田 現実的にはあり得ないと思います。安倍さんや石破さんは日本を「戦争のできる国」にしようとしていますけれど、本気で戦争になるとは思っていません。いったいどこと戦争するんです?
韓国には米韓相互防衛条約があります。今も韓国軍の戦時作戦統制権を持っているのは在韓米軍司令官です。日本と韓国が戦争するということはアメリカと戦争するということです。そんな覚悟がある人がいますか?
日中が戦争することをアメリカはまったく望んでいません。日本と中国が、例えば尖閣問題で軍事衝突を起こした場合、日本人は安保条約に基づく米軍の出動を期待しますが、アメリカは中国と戦争する気なんかない。だから、調停は試みるでしょうけれど、同盟軍として中国と戦うことはない。だから、なんとしても軍事的衝突そのものを事前に抑え込もうとする。好戦的な発言をする人たちは、後ろから羽交い締めにされている酔っぱらいが怒号しているようなものです。止めてもらえると思って安心しているので、威勢のいいことを言っていられるのです。
そもそも、今の日本の政治家には、実際の戦争を指揮できるだけの基礎的な能力がありません。戦争というのは国の根幹に関わる死活問題ですから50年後、100年後のこの国をどうするのかという長期的なビジョンがなくては済まされない。ところが、「領土」や「国威」にこだわるナショナリストたちの発想は、市場でのシェアを競争しているビジネスマンと同一の発想しかしていない。自分たちの「シェア」が増えたか減ったか、そういう2次元的な、空間的な数値の変化しか見ていない。経済戦争と本当の戦争を同じものだと思っている。株式会社の経営者の発想です。ビジネスマンに戦争ができるはずがない。
―本気で戦争をする気も、またその能力もない人たちが、この国を「戦争ができる国」にしようとしていると?
内田 彼らは戦争の生き証人である「戦中派」の退場を狙い、あるいは「語られなかった歴史」の断絶を利用して、知りもしない戦争を語り、自己都合で書き換えた歴史を信じさせようとしている。そして、その目的が国益の増大ではなく、私的利益の増大であることが問題なのです。
安倍さんが目指しているのは、北朝鮮とシンガポールを合わせたような国だと思います。政治的には北朝鮮がモデルです。市民に政治的自由がなく、強権的な支配体制で、自前の核戦力があって国際社会に対して強面(こわもて)に出られる国になりたい。経済的な理想はシンガポールでしょう。国家目標が経済成長で、あらゆる社会制度が金儲けしやすいように設計されている国。
仮にこれから日中が戦争になって、そのとき米軍が出動しなければ、日本はこれまでの対米従属の反動で、間違いなく極端な「反米」路線に走るでしょう。安保条約即時廃棄、米軍基地即時撤去となれば、日本はアメリカ、中国、韓国、ロシア、すべてを仮想敵国と見なすハリネズミのように好戦的な「先軍主義」の国になるしかない。先の世界大戦前と同じです。そういう北朝鮮のような国になることを無意識的に願っている日本人は少なくないと僕は思っています。
実際には「強い現実」と「弱い現実」がある
■現実には「強い現実」と「弱い現実」がある
―一方、内田さんは今回の著書で、「もし、日本の敗戦が決定的となったミッドウェー海戦の直後にアメリカと講和を結んでいたら……」という仮定の下に、今とはまるで異なる「日本の戦後」があり得たと書かれています。そして「現実」には、この「もし」で大きく変わり得た「弱い現実」と、「何があっても、結局はこうなっただろう」という「強い現実」があるという視点を示されています。
内田 ミッドウェー海戦に敗れて太平洋戦争の帰趨(きすう)がほぼ決した直後に、すでに吉田茂や木戸幸一は対米講和を考えていました。でも、機会を失した。
もし1944年までに対米講和が成っていれば、本土への空襲も、玉砕も、特攻もなく、広島や長崎への原爆の投下もなかったはずです。そう考えると今、われわれが直面している現実も、過去の小さな「もし」によって、大きく違っていたかもしれない「弱い現実」だということがわかります。
―「弱い現実」である以上、われわれの行動次第で変えることもできるということですか?
内田 少なくとも、そのように歴史の中に「もし」という視点を置くことで、「結局、日本はこうなるしかなかった……」という宿命論から逃れられる。
何かの要素がほんの少し違っていただけで「もっとましな今になっていたチャンスはあった」と考えることで、少しだけ希望が持てると思います。
もちろん、先の戦争が証明しているように、いくつかの「偶然」がもたらした「弱い現実」によって、国が壊滅的な危機に直面するということもあります。たとえそれが「弱い現実」であっても、ものを破壊することはできるからです。
安倍政権もそうです。歴史的必然性があって誕生したわけではない政権ですが、それでも日本社会の根幹部分を破壊するだけの力はある。でも、この痛ましい現実も、所詮は偶然が重なって生じた「弱い現実」にすぎません。
目の前に迫った衆議院選挙もひとつの「分岐点」です。これが日本の歴史を大きく変える「節目」になる可能性はあると僕は思っています。
(インタビュー・文/川喜田 研 撮影/祐実知明)
●内田 樹(うちだ・たつる) 1950年生まれ、東京都出身。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学名誉教授。武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰。近著に『内田樹の大市民講座』『憲法の「空語」を充たすために』など
■『街場の戦争論』 ミシマ社 1728円 現在を「負けた戦争」と「これから起こる次の戦争」の間にある「戦争間期」と位置づけ、安倍政権発足後、今の時代を覆う“窒息感”の正体を、内田氏ならではの視点で解きほぐす(ミシマ社)