「永久追放みたいに野球界を去って、失うものはないし、負けるのは怖くない」と語るデーブ監督

本誌インタビューで自らの就任に「ファンにお詫びしたいくらい」と心情を吐露したデーブ大久保楽天新監督。(http://wpb.shueisha.co.jp/2014/12/08/40288/)。

前回の第2回では、さらに野球界を離れていた間の苦悩、泣けた日々についても吐露した。(http://wpb.shueisha.co.jp/2014/12/15/40460/

「どんだけ非難を浴びても、恩返しのために命と体だけはいくらでも張れる」との覚悟を、かつての同僚である野球評論家・橋本清氏に激白。その思いの丈を晒(さら)して本音を語った最終回!

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■失うものはないし、負けるのは怖くない

橋本 ほんま、現役時代からスター街道行って、タレントでも人気やった人がそこまで。

デーブ まあさ、ハシ(橋本)もそうだろうけど、ジャイアンツでやれたからってのも当時は今よりあったじゃん。そこから違うとこ行くと都落ちみたいな。東京離れて楽天来るときも、友達できんのかな?とか思ったけど。すぐできたしね(笑)。

そのライオンズ首になったときに、行きつけのお寿司屋さんでさ、おやじさんに「俺もそろそろ人に好かれる人生になってみたいよ」って。「悪口言わないでいいことだけ言ってりゃいいんだけど」って言ったら、「デーブさん、100人のうち51人が好きって言ったらいい人になるし、逆なら嫌いな人なんだよ。

そのくらいの差で生きざま変えてほしくないね。ここじゃみんなデーブ、デーブって喜んでる。全然いいじゃない」って。スゴいありがたかったね。

だから自己満足でも、自分の生きざまならいいじゃんって。最悪だなってときに我慢してさ、チャンスが来たら一生懸命やる。

橋本 そういえば、甲子園の阪神戦ですか、9回裏二死満塁でもうヤバいって状況でマウンド集まったとき、原(辰徳)さんが言った言葉覚えてます?

デーブ 「野球っていいよなー」(笑)。ひっくり返ったよな。

橋本 そう(笑)、こんなスタンド盛り上がって野球やれるの楽しいだろって。ブッ飛びましたもん、何言ってるんやって。

デーブ 長嶋(茂雄)監督もだけど、ちょっと感覚が違うんだよ(笑)。でもそういう人たちのいろんなものは取り入れたいよね。星野監督もだけど、あの人にしかできない、絶対使えないやり方はあるんだけどさ。

恩返しするためには常勝軍団を作るしかない

橋本 それがデーブイズムとして、また新しく継承されて。その目指すチーム像は?

デーブ まずはやっぱり守りだよな。結局、高校野球みたいな堅実な野球やるとこが勝ち星を増やすんだから。ただ、それにはまず一致団結、協力ですよ。周りを見て、自分が何をすべきか責務をひとりひとりが全うしてくれたら勝ちはついてくる。

正直さ、仕事でいうと一軍のほうが楽だなって。だって技術は上手(じょうず)だし、負けたら間違いなく監督のせいってだけで。選手たちも去年優勝を経験して、今年は最下位なんだから、ちゃんと自覚してるしね。それでみんなが責任を果たす、リーダーシップを取れて明るい、いい人間の集まりをつくれれば、いいチームになると思って。だから行儀にもうるさいの。

橋本 改革とかいってもデーブ自身、やってることは今までと特に変わりないと?

デーブ 変わんないね。けど、選手たちに自分に負けるなって言ってる分、俺もなんかしなきゃと思ってさ。負けてるものって何?って考えたら、現役時代から一番嫌いだったランニングで。毎朝絶対60分はやってる。泣き入ってるけど(笑)。

橋本 ゴルフのプロなろうとしたり、トラックの免許取ったり、やると決めたらとことん突き詰めてやりますよね。

デーブ それはさ、生きていこうと思ったらそれなりにしっかり準備しないと。あとは悔いのないよう精一杯やって楽しんで。だから監督の契約も本当に1年なんだよ。でも去年日本一にはなってるわけだし、恩返しするためには常勝軍団をつくるしかないと思ってるけどね。

橋本 ぜひ長期政権で! 絶対やってくれると思ってますし。で、僕もそのうち呼ばれたら、お力添えできれば(笑)。

デーブ それは必ずハシだってチャンスはあるよ。けど、この世界、結果出せばそれが理屈になるけど、出せなきゃ屁理屈だからね。俺も力つけて呼べるようにしないとな。

橋本 ありがとうございます。デーブカラー前面に出して、活躍を期待してます!

デーブ もともと永久追放みたいに野球界を去って、失うものはないし。負けるのは怖くないのよ。ただ、やる以上は命がけでやる。また過去のことほじくり返されて、たまにカラオケで泣くけどね(笑)。

(撮影/五十嵐和博)

●大久保 博元(おおくぼ・ひろもと)1967年生まれ、茨城県出身。水戸商業から84年にドラフト1位で西武入団。92年、巨人に移籍、ケガにより95年に引退。解説者、タレントとして活躍後、08年に打撃コーチとして西武復帰。12 年より楽天で打撃コーチ、二軍監督

 

バッテリーを組み、引退後に野球解説者の先輩としてもデーブさんに学んだという橋本氏

●橋本 清(はしもと・きよし)1969年生まれ、大阪府出身。PL学園時に甲子園優勝。87年、ドラフト1位で巨人に入団。セットアッパーとして活躍するもホークス移籍後にケガで引退。現在、評論などで活躍