プロ生活19年ーー。日本を代表するエースストライカー、柳沢敦が引退した。

柳沢の魅力は、卓越したプレイ技術だけではない。その人柄から多くの後輩にも好かれ、尊敬されていた。そのひとりが、鹿島アントラーズで柳沢とチームメイトだった本山雅志である。そんな彼が引退を迎えた柳沢にメッセージを贈った。

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ヤナさんの存在を初めて知ったのは高校選手権でした。当時、僕は1年生。国立競技場での開会式の後、人だかりができていて、一体、誰に群がってるのかと。遠目からのぞいたら、めっちゃオーラがあるカッコいい人が立っていて。それがヤナさんだったんです。スタンドで試合も観戦しましたが、プレーもまた超うまくて。ああ、プロチームに行くのは、こういう人なんだなと。

1998年に僕が鹿島に入り、一緒にプレーさせてもらってからは、さらにヤナさんのすごさを肌で感じました。

特にオフ・ザ・ボールの動きは、ほかのどのFWもまねができない。それと、周りがよく見えている。というか、見えすぎ(笑)。

仮に、ヤナさんがシュートに持ち込もうとしていて、僕も同時にヤナさんの横の位置にフリーで詰めていたとします。「ヤナさん!」とパスを求めて、僕のほうがゴールの可能性が高かったら、瞬時に出してくれる。なので、ヤナさんがシュート体勢に入ったときは、極力、声をかけないようにしてました。もし、ヤナさんが南米系の我が強いFWだったら、現役時代の総得点数はもっと多くなったはず。

ピッチ外でも、ヤナさんの周りへの目配りは半端じゃなかったですね。僕個人が不調だった06年シーズンは、さりげなく飯に誘ってくれて「こういう時こそ、頑張れよ」って声をかけてくれたり。

あと、07年だったかな、セットプレーの練習中に(岩政)大樹が意見して、中断したんです。そしたら、ヤナさんが「監督がやりたいサッカーがあるんだ。いいから、やれよ!」って、怒って。一瞬でチームが引き締まりましたね。

トータルで12、13年間、思い出は山ほどあります。印象に残っているのは、ヤナさんの出場機会が減っていた07年の天皇杯、準々決勝での対ホンダFC戦。最後の最後でヤナさんがゴールを決めて勝ったんです。あれは本当にうれしかった…。

(取材・文 高橋史門)

■週刊プレイボーイ1・2号(12月24日発売)「柳沢敦 引退後初ロングインタビュー」より(本誌では、柳沢の独占インタビューほか松井大輔、興梠慎三からのメッセージを独占掲載!)