ファンの間で語り継がれる坂本博之との“伝説の一戦”を振り返る畑山隆則氏

最強王者・リゴンドーに果敢に挑む天笠尚のWBO世界スーパーフライ級王座挑戦や、内山高志のWBA世界スーパーフェザー級王座防衛戦など今年の年末はボクシングのビッグマッチが目白押しだ。

そこで、今また黄金期を迎えつつあると盛り上がる日本ボクシング界、その歴史を築いてきたレジェンドボクサーたちの証言を連続インタビューで送るシリーズ――。

今回は、世界タイトルを2階級で制し、多くの伝説的名勝負を生んだ畑山隆則

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好戦的なボクシングスタイルときっぷのいい言動で人気を博した畑山氏。スーパーフェザー級、ライト級と2冠を制した華やかなキャリアはファンの記憶にも新しいだろう。

その戦歴においてまず目を引くのは、1998年3月29日、時の日本王者・コウジ有沢との一戦だ。

このひとつ前の試合で、世界スーパーフェザー級のタイトルに挑んだものの惜しくもドローでタイトルを逃した畑山氏。一方のコウジ有沢は、この時点で12連続KO中というスター選手。「史上最大の日本タイトルマッチ」のフレーズがついたように、これは同級の日本最強を決めるのにふさわしいカードだった。

「僕は正直、気乗りしなかったですね。向こうは連続KO中で自信を持っていたんでしょうけど、すでに世界へ駒を進めている自分からすれば“格”が違うと思っていました。だからジムの社長にも言ったんです。『いくらもらえるんですか? 少々の金額では僕にメリットはありませんよ』ってね」

そんな交渉の甲斐もあってか、この試合は両者に500万円のファイトマネーが約束され、さらに勝者にはもう500万円と高級車が贈られるという破格の条件が提示された。

ファイトマネーが数十万円という日本チャンピオンも珍しくないだけに「間違いなく勝てると思っていたし、僕からすればオイシイ仕事ですよね」と畑山氏がニンマリしたのも当然だろう。

“7対3で畑山有利”にカチンときた

試合はハードパンチャー同士らしい、迫力満点の打ち合いが展開された。しかし、やはり畑山氏が一枚上手(うわて)で、9ラウンドに強烈なボディでダメージを与えると、左右の追撃でレフェリーストップを呼び込む。

「事前に“7対3で畑山有利”という記事を見て、カチンときていたんです。3割は僕が不利と思われたわけですから。もっとも、決して楽な試合ではなかったです。向こうもすごく気合いが入っているのを感じましたし、結果的にお客さんが盛り上がる試合ができて満足しています」

この勝利を手土産に、畑山氏は再び世界に挑み、今度は判定勝ちで世界王者になる。しかし過度の減量苦から2度目の防衛戦で王座陥落。ここで一度、潔(いさぎよ)くリングを去ることになるのだった。

「引退後はしばらく、次は何をやろうか考えていたんですが、いつまでもぶらぶらしているわけにもいかないので、世話になっていたジムでトレーナーをやることになりました。しばらくは後輩を指導しながら先のことを考えよう、と」

ところが、まだまだ燃え尽きてはいなかったのだろう。少しずつ、うずき始めるボクサー魂。さらにそこへ、絶好の着火剤がもたらされた。

「ある日、社長が突然『おまえと坂本博之の試合が見たいなあ』なんて言い出したんです。社長はそれまで僕の復帰には反対していたのに。だからそこで、坂本選手とやれるならカムバックしますよ、と言ったんです」

坂本博之は、“平成のKOキング”と呼ばれた強打のライト級ボクサーだ。孤児院出身の生い立ちはドラマ性たっぷりで、カリスマ的な人気を誇ってもいた。畑山氏としても、再起するなら1階級上のライト級しか考えられず、両者の対戦は当然望まれるものだった。

しかし、人気選手同士ゆえに交渉はスムーズではなく、結局、ライト級の世界タイトルに到達したのは畑山氏が先だった。2000年6月11日、技巧の王者ヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)を8ラウンドに切って落とし、2階級制覇を達成したリング上で、畑山氏はこう宣言した。

「次は、坂本選手とやります!」

無心の勝利「ただ、悔いなく終えたい」

突如降ってわいた夢のカードに、ファンは大喜び。

「坂本選手とはスパーリングで手合わせしたこともあり、ものすごくパワーのある選手だと認識していました。実際、背筋力なんてプロレスラー並みの数値を叩き出すらしいし、たぶん、ボクシングよりもストリートファイトで強いタイプでしょう。男として、ぜひ一度戦ってみたい相手でした」

坂本博之が醸(かも)す“強さ”のオーラに、大いにモチベーションを喚起されたと畑山氏は述懐する。

「この試合に関しては、ファイトマネーやベルトなんてどうでもよかった。彼となら、きっと燃える試合ができるだろうと感じていました」

これが、畑山氏自身「全キャリアを通してのベストバウト」と語るほどの名勝負となる。00年10月11日に実現したこの一戦は、序盤からスピードに勝る畑山氏がイニシアチブを握る展開ながら、並々ならぬ馬力と迫力で迫る坂本。

「今まで戦った相手の中で、最もパンチが強かった」というから、畑山氏にとってもギリギリの戦いだったはずだ。

そして試合は熱闘の末、10ラウンドTKOで畑山氏に凱歌(がいか)が上がる。今なおファンの間で語り草となっている、まさしく伝説の一戦だ。

「これは本当に、無心の勝利でした。ただ、自分がすべてをつぎ込んできたボクシングという競技を悔いなく終えたい。ボクシングをやってきてよかったと思いたい。そういう気持ちで臨んだのが坂本戦でした」

畑山氏はこの後、引き分けで2度目の防衛に成功したものの、3度目の防衛戦で王座を手放している。いずれも坂本戦と比較して、決してデキのいい内容とはいえなかった。

「やはり、坂本戦で燃え尽きてしまったのは否めないですね。あの試合のためにカムバックしたわけだし、それ以上求めるものがなかったんですよ」

しかし、戦わざるライバルも多いなかで、この対戦が実現した意義は大きい。ファンに望まれる対戦は、やはり極上のドラマを生み出すのだ。

■畑山隆則(はたけやま・たかのり)1975年生まれ、青森県出身。WBA世界スーパーフェザー級、同ライト級の2階級を制覇。現在は実業家として活躍しながら、「T&H竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」のマネージャーを兼務する

(取材・文/友清 哲 撮影/田村孝介)

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