浅香唯、南野陽子、石野陽子…などなど、80年代当時の音楽業界で輝かしい実績を残した1985年組アイドル。

そんな彼女たちが残した数々の名言を週プレの過去のインタビューからセレクトし抜粋! 今またアイドルが乱立している時代にあって、ここに往年の?“アイドル像”が懐かしくもよみがえるはず! あの頃はよかった…なのか、今と変わらないね…なのか、新旧世代で語り尽くすのもまた楽し?

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「過酷な1週間」■浅香唯(あさか・ゆい) 【2013年12月16日号】

―1985年に『夏少女』でデビューし、翌年のドラマ『スケバン刑事(デカ)Ⅲ 少女忍法帖伝奇』で主役に大抜擢。

 とにかく撮影は大変でした。アクションはなるべく吹き替えを使わず自分たちでしようということだったので全身の生キズが絶えず…。撮影自体は朝5時頃からスタートして、終わるのはいつも夜中の12時過ぎ。それが1週間続くんです。

―ひょえ~!! たった30分の番組なのに?

 はい(笑)。ヨーヨーを敵に当てるワンシーンだけで一日終わったこともあります。

―今までで一番うれしかったことは?

 当時、(地元の)宮崎県で放送される番組ってすごく少なかったんですけど、そんななかで私がよく見ていた番組が『ザ・ベストテン』だったんです。その『ザ・ベストテン』のミラーの後ろに初めて立つことができて、本物の黒柳(徹子)さんに会えたときは本当にうれしかったなあ。

「ナンノ流アイドルの流儀」■南野陽子(みなみの・ようこ) 【1986年8月12日号】

―18歳から19歳になって何が変わりましたか?

陽子 たいして変わらないですよ。ただ気持ちはオバンになったんだなァって。サバを読みたくなるとかね。

―えっ、その年でもう?

陽子 19歳なんていったら…17、18歳でもすごい大人って感じがしたのにねぇ。

―「私はまだ16歳のまんまよ」っていう気持ちがありますか?

陽子 そう。だから20歳になるまでずっと高校生の気分でいたいの。

―でも子供のまんまでいようとすると、どこか無理が出てくるよな。

陽子 そう。無理はあるんだけど、でもまだその無理をしていけないときなの。

―なんででしょー?

陽子 あのね、アイドルっていうのは、自分の本当の年齢のカッコをしたときに落ち目が始まるんです。

―なるほどォ! かっこいい。タレント評論家!(笑)。いや、いないよ、そこまで言うのはいないな、フツーな、ウン。

陽子 だからね、同窓会に行って、みんなと同じ洋服を着ててはいけないんです! タレントというのは、大人っぽいか若いかのどっちかでなきゃ。

「likeとlove」は違うと大人の発言は?

「likeとlove」■網浜直子(あみはま・なおこ) 【1985年11月12日号】

―どんな感じの男がいい?

網浜 あのね、アタシ、ヤンキーが好きなの。

―あのヤンキー? ツッパリの?

網浜 そう。歌ってるときにヤンキーを見つけるとうれしくなっちゃう。“あっ、ヤンキーだ”なんて指さしたりすると、照れてるけどね。

―照れるヤンキー! あのソリなんかも好きなの?

網浜 そう。ガクラン、ビシッと決めてボンタンはいてね。

―じゃ、ヤンキーと結婚したいんだな?

網浜 ううん。ヤンキーはね、likeなの。loveは違う。優しくてたくましいクマさんタイプ。

―具体的には?

網浜 加山雄三さんみたいな人。

「純情娘はエッチなシーンに号泣!」■石野陽子(いしの・ようこ) 【1986年4月8日号】

―今度、ドラマ『転校生』のパート2を撮ったでしょ? パート1はエッチなシーンがあったじゃない、割と。ベージュのブラジャー見えたり、自分の胸を両手でムギュッて握ったり。

陽子 ええ。

―どんなカンジだったの?

陽子 あれは…。台本をいただいたときに「できません」って言ったんです。事務所の方に話したら、「大丈夫」ってカンジだったから、やらなくてもいいのかと。そしたら当日やっぱりやれということになって、「えっ」と、聞いてから1時間半、延々とひとりで楽屋で泣いてました。

「芸能界のフリーター!?」■井森美幸(いもり・みゆき) 【1989年5月9日号】

―(映画初出演で)女優っていう肩書についてはどう?

井森 そういうふうに言われると、何か悪いなァ。

―誰に?

井森 だって、私みたいなヘラヘラヘーなんていって、バカにしちゃえーみたいな子が女優なんて書かれちゃうと、きちんとやってる人たちに対して、あれ、なにか失礼かなとか…。

―意外に謙虚なんだ。

井森 というか、私の場合、ファミリー向け番組から子供向け番組までやっているし、人それぞれ観る人が勝手に肩書をつけてくれればいい。

―なるほど。

井森 私自身では、もうほとんどフリーアルバイターという感じ(笑)。

工藤夕貴がスリーサイズを秘密にした理由

「スリーサイズを秘密にする理由」■工藤夕貴(くどう・ゆうき) 【1986年12月16・23日号】

まるでライオンみたいな髪の毛で、工藤夕貴はTBS前の喫茶店にやってきた。

夕貴 おっはよーございまーす。

―むむむ。最初からアカルイぜ。お互いにアイサツをすませて、着席。すると夕貴、少し離れて立っていた現場マネージャー氏にいきなり、こう言った。

夕貴 岡田くーん。レオタードの下、買ってきてくれるぅ? 渋谷のチャコットじゃないと売ってないの。

マネージャー サイズはぁ?

―やったぁ。最初からこんなハナシが聞けるとは思ってなかったぞ。でも、サスガにそこは、アタマのいい夕貴チャンであった。

夕貴 あの、こんなこと書かないですよね?

―えーっ、スリーサイズも書かないインタビューなんて、この世に存在するのか?

夕貴 絶対書かないって約束してくれます? 私ね、スリーサイズって言わないことにしてるんです。

―どうして?

夕貴 「謎のスリーサイズ」にしときたいの。デビューしたときから比べると、サイズって変わってきてるんですけど、でも、みんな、工藤夕貴っていうと、ガリガリで、胸なんて全然ないと思ってるでしょ。ほんとはね、なくはないんですよ。エヘヘ。そのうち、もっと大きくなったときにパッと発表して、みんなを驚かせてやろうと思って。だから、今はナイショなんです(笑)。

「下着のお値段」■芳本美代子(よしもと・みよこ) 【1988年1月1・5日号】

―オシャレが好きなんだ?

美代子 そう、オシャレ関係って好きですね。

―よく行く店ってあるの?

美代子 ページボーイとかナイスクラップだっけ。でも、ブランドにはこだわらない。

―じゃ、下着なんかも凝ったりするんだァ…?

美代子 薄い色のオシャレなのが好きなんですよ。だけど、この間なんか、2万円ぐらい上下おそろいの物をまとめて買っちゃって、レジでビビッちゃったりして。

「腰振り誕生秘話」■本田美奈子(ほんだ・みなこ) 【2003年6月17日号】

―(腰をガンガン前後させる振りつけは)誰にムリヤリやらされたの?

美奈子 自分で考えたんだよ。最初はヨコに腰振ってたの。だけどイマイチSEXYじゃないから思い切ってタテに振ってみたの。そしたら、カメラが腰ばっか映すようになって。

―僕もテレビにクギづけでした。まりぃり~いんいんいんいん♪

美奈子 衣装も最初はもっと大人しかったんですけど、思い切ってヘソ出しで。

―すげえなあ。

美奈子 一番売れてた頃は睡眠2時間!

―寝不足でヘソ出して腰ガンガン振ってたんだあ…。(もらい泣き)

(構成/浜野きよぞう)

■週刊プレイボーイ3・4号「1985年組アイドル大名鑑」より(本誌では、懐かしのシングル盤ジャケット、写真集などとともにプレイバック!)