「メディアが『国益を損ねた』なんて個人攻撃をする。この異常さを誰も言わない」と指摘する青木氏

昨年8月5、6日、朝日新聞は過去に掲載した戦時中の慰安婦問題の一部の記事を取り消すなどとした特集を掲載した。

これは、慰安婦問題の記事を執筆したひとりである元朝日新聞記者の植村隆氏が非常勤講師を務める大学に対して退職を求める脅迫文が届くなど、過熱する“朝日バッシング”への対応だったが、掲載後も朝日への風当たりは強くなる一方だ。

青木理(あおき・おさむ)氏は、こうした一連の出来事を、戦後日本社会がいびつな変容を遂げつつあるなかで起きた「歴史的な事件」ととらえ、バッシングの標的とされた当事者らにインタビューを敢行。それをまとめた『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』は、日本のメディアやジャーナリズムが置かれている現状とその問題点を考察する一冊となっている。青木氏に聞いた。

―植村氏は、バッシングの発端となった記事を掲載した『週刊文春』を発行する文藝春秋とコメントを寄せた大学教授を提訴しました。青木さんが今、この本を書かねばならないと思った理由は?

青木 提訴に関しては賛成でも反対でもないけど、植村さんに関して言えば常軌を逸した攻撃を受けた。それもほぼ根拠のない攻撃を受けて、朝日バッシングのシンボルみたいになってしまっている。

誤報を批判するのはいいんです。朝日は偉そうにしてるし、給料はいいし、影響力も強いし、叩かれるのはしょうがない。でも、誤報なんてこの仕事をしていれば誰だってしている。例えば朝日新聞に限らず、イラク戦争のときにイラクには大量破壊兵器があるって書いたのに、それに関してはどこも謝罪していないし、検証もしていない。冤罪事件もそうです。

それを知らんふりしてよく叩けるなと。そして叩き方ですよね。メディアの仕事って日常的に国益を損ねるわけです。短期的には国益を損ねる場合もあるかもしれないけど、市民益になると思うから書くわけです。それを「国益を損ねた」なんて個人攻撃をする。この異常さを誰も言わない。この状況にきちんとおかしいと言わないと、この仕事の根幹が揺らいでしまうと思ったんです。

メディア不信で皆マスゴミ扱いしバッシング

―メディアの基本的な矜持(きょうじ)、守るべきものが失われている?

青木 今回の話とは別ですが、特定秘密保護法なんて、これはどんな立場、保守だろうがリベラルだろうが、少なくともメディアに関わっている人間は全員反対するべきだと思うんです。でも大して反対の声は上がらない…。最近のメディアの状況は異常だと思うし、その端的な例のひとつが朝日バッシングだと思うのです。

また、この本を書いていて深刻だなと感じたのが、僕らがメディアの仕事として当たり前だと考えていることが、世の中であまりわかってもらえてないことです。もっと言えば、最近のメディア不信、朝日バッシングのなかでそういうムードに乗じている部分もあると思う。メディアなんてマスゴミだと、あいつら、どうせ好き勝手なことを書いて金儲けしているだけじゃないかと。

ここ数年、いろんな形で噴出したメディア不信みたいなものが高まったことで、本来メディアがやるべき当たり前の仕事に対しても「おまえら、自分に都合のいいこと言ってるだけだろう」という雰囲気が強まっていると感じます。

―メディアの大きな役割のひとつである「権力の監視をする」ということが、「国益に反すること」だというイメージにつながれば、これは戦中の報道と変わりませんね。

青木 自省を込めて言えば、これまでメディアがきちんと権力を監視してこなかったから、という面もあるでしょう。けれど、権力監視はメディア最大の役割です。また、民主主義社会というのは基本的に多数派の意思によって動くわけだから、在野のメディアはどこに立つべきかといえば、少数者の側に立って多数者が横暴をしないように監視しなければならない。

世の中が一方に流れたときに「本当にそうなのか?」と。日本では、週刊誌がそういう役割を果たしてきた面もあったけど、今回の朝日バッシングに関しては、みんなが右ならえをしてしまった。

―植村氏が勤める大学にまで脅迫文が届いたことで「言論封じのテロ」とも問題視されています。一方、フランスではテロ事件に端を発して大規模なデモが行なわれました。この状況をどう見ていますか?

青木 それぞれの国家、民族、宗教で触れてほしくないタブーが多かれ少なかれあるわけです。イスラム教徒にとっては、ムハンマドを風刺するのは許せない。もちろんテロは断固容認しません。でも例えば、フランスの週刊誌が日本の皇室をちゃかすようなことを書いていたら日本の人たちは言論の自由を守れと言えるでしょうか。

偉そうに言える言論状況が日本にあるのか?

―テロ事件後も風刺を掲載したシャルリー・エブドの報道姿勢を強く批判する言論は、同じように言論の自由として守られるのか、ということですね。

青木 風刺とかジャーナリズムは、基本的には弱い者が強い者を、少数者が多数者のことをちゃかしたり批判するものです。庶民が権力者を笑い飛ばすのが風刺であって、僕はイスラムの専門家ではないし、欧米のメディア状況に詳しいわけではないけれど、あれは果たして風刺なのだろうか、と思うところもあります。

また、日本人はまず自分の足元を省(かえり)みたほうがいいのではないでしょうか。安倍首相がシャルリー・エブドの事件の直後に、テロは絶対に許されない言論の自由に対する挑戦だと言っていたけれど、朝日バッシングの話でいえば、大学に脅迫文が送られたときに、なぜ自分の足元で行なわれている言論弾圧をもっと強く非難しなかったのでしょうか。

まさに自分たちの足元で大学の自治、言論の自由が暴力的に圧殺されようとしていたわけです。本来なら首相自ら警察に捜査を厳命するべきではないでしょうか。それなのにフランスのテロを許さない、言論の自由がどうこう…とは、ちゃんちゃらおかしい。それだけ偉そうに言えるような言論状況が日本にあるのかといえば、ないわけです。

(構成/川喜田 研 写真/村上宗一郎)

●青木 理(あおき・おさむ)1966年生まれ、長野県出身。共同通信社入社後、大阪社会部などを経て、東京社会部では公安担当。オウム真理教事件、阪神・淡路大震災をはじめ様々な事件・事故取材を行なう。2002年からソウル特派員。06年に退社。主な著書に『日本の公安警察』(講談社現代新書)、『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』(小学館)、『増補版 国策捜査』(角川文庫)、『誘蛾灯』(講談社)、『青木理の抵抗の視線』(トランスビュー)などがある。テレビ、ラジオのコ メンテーターとしても活躍する

■『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』 講談社 1400円+税昨年、過去の慰安婦報道の検証記事を掲載し、一部の記事が誤報だったと取り消した朝日新聞。しかし、掲載後も朝日新聞へのバッシングは過熱、慰安婦記事を書いた元記者の生活が破壊されるような状況になっている。本書では、そのバッシングの先頭に立たされている元記者や慰安婦検証記事に関わった朝日の現役編集幹部などにインタビュー。それらをもとに日本のメディアを取り巻く現状と問題点を指摘する