抗議する市民のカヌーを規制する海上保安庁のゴムボート。逆らう市民はカメラで撮影するが、自分たちは顔がわからないようにマフラーにサングラス姿だ

新基地建設に揺れる沖縄・辺野古(へのこ)。必死の抗議活動を続ける市民の抵抗も空しく、辺野古の海上についに大型作業船が投入された。

ノンフィクションライターの渡瀬夏彦氏による現場レポート第2回。(PART1はコチラ

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1月27日午後、名護市役所で行なわれた稲嶺(いなみね)進市長の会見に駆けつけ、その言葉にじっと耳を傾けた。

悲しみと悔しさと怒りとを一生懸命にこらえているような、複雑な表情の稲嶺市長は、この異常な緊急事態を受けてなお、あくまで冷静沈着な筋の通った発言をした。

だからこそ、会見内容の大切な部分を、きちんと紹介しておきたい。この民意に寄り添う誠実な地元市長の意思表明会見を、じっくり読んでいただきたい。

まず、知事が第三者委員会の「埋め立て承認の瑕疵(かし)」の検証が終わるまで作業中止を求めた翌日の出来事だが、と問われて―。

「知事は県民の代表です。先の知事選で相手候補に10万票近い大差をつけて『辺野古移設は駄目だ』という県民の意思が示されています。その県民の意思を受けて、知事は作業中止を求めたわけです。しかし、国はその意思をまったく無視している。無視イコール差別ともいえる形で物事が進められている感じがします。

国側は、いつでも法治国家(前知事の埋め立て承認を受けているから、法的に問題ない)という言い方をされますが、民意をまったく無視することが法治国家のあるべき姿かなぁと感じます。

選挙期間中は選挙に不利になるかもしれないから作業は止める。しかし選挙が終わったら(結果に関係なく、防衛省沖縄防衛局が)すぐに工事業者入札の公告をしたりする。これは、民意に関係なく、国はやるんだぞ、というパフォーマンス、見せしめ、と感じざるを得ません」

法にのっとっているなら、カメラの前でやればよい

海保のゴムボートが、カヌーで抗議する市民を次々と拘束。今後は開き直って拘束が激しくなる可能性がある

警備当局が「安全確保」と言っていることについて―。

「逆に過剰警備によって、危険を伴うことが海上やゲート前で起きています。だから、抗議の人たちの手が薄くなった、寝静まった時間を見計らうようなやり方をする。今日も台船が、夜が明けてみたら、そこに来ていました。防衛局のお得意技かな、と感じます。

法にのっとっているなら、テレビカメラの前で、あるいは新聞の文字を通して説明をした上で、明るい時間にやればよいのに、なぜできないのか。ある日突然、襲いかかってくるという感じです」

いわゆる「移設工事」(正確には新基地建設工事)への思いと、名護市の立場をあらためて問われて―。

「今は『移設』の前段のボーリング調査の段階で、無謀、横暴な作業が進められていますが、いざ埋め立て工事がそのまま進められていくかというと、わたしは決してそうは思わないんですね。

防衛局が県への申請を取り下げた部分や、名護市の許可が必要な部分も、何ひとつクリアされていません。それらは直接埋め立て工事に関わる必要事項です。いま(ボーリング調査関連作業を)権力で強行しておりますけれども、これが埋め立てまでスムーズに進むとはとても思えないですね」

高いところから、笑ってみている人は誰?

読者の皆さんは、どう感じられるだろうか。

民意に基づき、「海にも陸にも新しい基地はつくらせない」という公約を2010年1月の初当選以来、守り抜いている市長の言葉の重みと説得力は伝わるのではないだろうか。

腹が据わっている。この市長の言葉は、国が仕掛けてきた「沖縄制圧戦争の武力行使」に対して、ひるむことなく立ち向かおうとしている誇り高き沖縄県民にとって、間違いなく大いなる励ましになる。

連日連夜、民意を無視した強行工事のガードマンと化している海上保安官や県警機動隊の諸君と、自然を愛し平和を希求してやまない市民県民・全国からの支援者との衝突が繰り返されている。

本当に悲しく腹立たしい光景である。だが、目の前にいる、過剰警備をさせられている公務員ひとりひとりは、わたしたちの敵ではない。

翁長雄志(おなが・たけし)知事が選挙期間中に時折発した言葉を借りれば「どこか高い所から、笑って見ている人がいませんか」という話だ。

わたしたちは、誰が当事者なのか、しっかり見極めなければならない。

●この続き、PART3は明日配信予定!

(取材・文/渡瀬夏彦 撮影/森住 卓)

■週刊プレイボーイ7号「政権の言うことを聞かない沖縄が“武力”で圧殺された日」より