日本政府がヨルダンに現地対策本部を置いたのは間違いだった! 内藤正典氏(右)と内田樹氏が謎多き安倍外交を斬る

ふたりの日本人が人質として捕らわれていることを知りながら、イスラム国と敵対する中東の国々への歴訪を決行し、しかもイスラエル国旗の前で「人質を解放せよ!」と火に油を注ぐ、あの声明は一体なんだったのか…?

謎多き安倍外交をイスラム研究の専門家・内藤正典(ないとう・まさのり)と思想家・内田樹(うちだ・たつる)が斬る! (※編集部注 この対談は後藤健二さんが殺害されたとされる以前に収録。前編はこちら⇒http://wpb.shueisha.co.jp/2015/02/03/42911/

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―イスラム国の要求が、身代金2億ドルから、ヨルダンに収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放へと変わりました。湯川遥菜さんは殺害されたとみられています。

内藤 湯川さんについては、ただただ無念としか言いようがありませんね。要求が変わったことについては、ふた通りの解釈ができます。ひとつはイスラム国側が場当たり的に要求を変えていて、内部での意思決定システムが崩れているという見方です。

もう一方で、より狡猾(こうかつ)に、戦略的に、要求を変えたとみることもできる。推測にすぎませんが、日本政府が現地対策本部をヨルダンのアンマンに置いたことに対応して、イスラム国側が「ヨルダン絡み」の要求にすり替えた可能性もあると思います。

ただし、彼女のようなテロリストを釈放し、英雄にしてしまうことはヨルダン政府にとっても危険です。もともと、ヨルダンというのは中東でも欧米寄りの国。人質交換に応じることに反対する欧米諸国からのプレッシャーがかかっているはずですし、「テロに屈した」というイメージは、ヨルダンのアブドラ国王や政権にとっても政治的に大きなダメージとなります。

何しろイスラム国が釈放を求めているのは凶悪なテロリストです。たとえて言うなら、外国が日本に対してオウム真理教の麻原彰晃の釈放を求めているようなもの。当然、世論の反発が起きるでしょう。

しかもヨルダンは、イスラム国に拘束され人質となっているヨルダン空軍のパイロット引き渡しを以前から求めており、リシャウィはむしろそのパイロット救出のための交換条件として考えられていました。ヨルダン国民も自国のパイロットとの人質交換ならば納得するでしょうが、現実にはそれすらも進んでいないわけです。

ちなみに、26日あたりから、2+2の人質交換みたいな話が出ています。リシャウィに加えてもうひとり、ヨルダン側に収監されているテロリストを釈放する代わりに、空軍パイロットと後藤さんのふたりを解放するというものです。

安倍首相はまずトルコ大統領に頭を下げてくるべき

内田 最初の2億ドルの要求というのは、日本の国民感情、国際世論からしても非現実的でした。まずはハッタリをかまして、応じなかったことで湯川さんの画像を公開して、次はテロリストの釈放という具体的に実現可能な要求に変えてきた。

死刑囚ひとりとの交換となると、ヨルダンの国王にお願いしてなんとかならないのか、というふうに世論の考えも変わりますよね。対応可能な条件に変えることで、結果的に安倍政権を追い詰める意図があったとみることもできるのです。

内藤 それにしても、日本政府が初動の段階でヨルダンに現地対策本部を置いたのは大きな疑問です。交渉の窓口としてはトルコのほうがよかった。シリアの反体制派の人たちも、なぜトルコに置かなかったのか、と不思議がっているし、当のトルコ人もそう言っている。なぜヨルダンだったのか? 官邸が読みを間違えたとしか思えません。

地理的に見てもヨルダンはシリアの南にあります。ヨルダンからシリアに入ろうと思ったら首都ダマスカスを通らなきゃいけない。でなければ、砂漠を行くことになります。でもダマスカスはシリアのアサド政権側が押さえているわけで、そんな場所を通過して、シリア北部のラッカに本拠地があるイスラム国に日本政府がアクセスできるはずがない。だからアサド政権がノーマークのトルコ側から交渉を始めるべきなんです。

1月22日に緊急記者会見を開いたイスラム法学者の中田考(こう)先生をはじめとして、イスラム国に行く人はみんなトルコから入ります。安倍首相は日本に急いで帰らなくていいから、まずトルコの首都のアンカラに行って、エルドアン大統領に頭を下げてくるべきだった。

そこで、イスラエルの旗の前じゃなくてトルコの旗の前で「人質事件で困っている」と言えば、トルコは非常に親日的ですからなんとかしなきゃいけないと、かなり保守的なイスラム教徒に至るまで動いてくれていたはずです。

昨年6月、トルコの外交官ら49人がイスラム国に人質に取られているんです。しかし、3ヵ月後の9月20日に全員無事に解放されている。非常に粘り強い交渉で解放に至ったと、私はみています。

トルコは中東世界で独特のポジション

内田 トルコという国は、中東世界において独特のポジションを持っていて、現在の「中東崩壊」という言葉が叫ばれるような秩序が混乱したなかでも首尾一貫した外交政策を展開している。

イスラム国と対立していても戦闘状態ではありませんし、ある程度の交渉や一定のコミュニケーションが成立している数少ない国ですよね。なぜトルコは中東にあって、他国との間で“信義の関係”が成立しているのでしょうか?

内藤 例えば、2008年暮れから09年にかけて、イスラエルがガザを集中的に攻撃しました。その直後にスイスで開かれたダボス会議で、エルドアン首相(当時)は隣にいたイスラエルのペレス大統領に「あなた方は人殺しの仕方をよくご存じだ。浜辺で遊んでいた子供たちをどうやって狙い撃ちにしたのかわれわれは知っている」なんて、面と向かって言ったのです。

あるいはフランスのテロ事件後、パリの追悼大行進の最前列にはイスラエルのネタニヤフ首相もいました。そのときエルドアン大統領はこう発言しています。「テロというのは必ずしも民間人がやるとは限らない。国家が起こすテロだってある。もしテロに反対だというなら、それにも反対しろ」と。直接名指しはしませんでしたが、当然イスラエルを指している。

内田 筋が通った人ですね。

*この続きは、後日配信予定です!

(取材・文/長谷川博一 取材協力/川喜田 研 撮影/もりやままゆこ[内藤氏、内田氏])

●内田樹(うちだ・たつる)思想家、武道家。武道と哲学のための学塾「凱風館」を兵庫・神戸市で主宰。2015年度から京都精華大学の客員教授に就任予定。近著に、『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(中田考氏との共著、集英社新書)、『憲法の「空語」を充たすために』(かもがわ出版)、『街場の戦争論』(ミシマ社)などがある

●内藤正典(ないとう・まさのり)同志社大学教授、イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。日本がイスラム世界と衝突することなく、共存するためには何が必要かを示す新著『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』(集英社新書・760円+税)が発売中