内藤正典氏(左)と内田樹氏が謎多き安倍外交を斬る

謎多き安倍外交をイスラム研究の専門家・内藤正典(ないとう・まさのり)と思想家・内田樹(うちだ・たつる)が斬る! 第3回。

※前編はこちら⇒http://wpb.shueisha.co.jp/2015/02/03/42911/※中編はこちら⇒http://wpb.shueisha.co.jp/2015/02/09/43110/

―フランスの週刊紙『シャルリー・エブド』襲撃事件については、どう考えていますか?

内藤 長期にわたって同誌の風刺画は、イスラムの信仰を冒涜(ぼうとく)していました。預言者ムハンマドの存在は、イスラム教徒にとって母親のような存在です。イスラム教徒の家庭で一番偉いのはお母さん。預言者であり母である存在を侮辱されることは、自分が全否定されることです。イスラム教徒にとっては人種差別に等しい。

内田 今回のフランスのテロ事件に関していうと、フランスの「自由・平等・博愛」という近代市民社会の原理と、イスラム社会の原理の間の譲り難い対立ととらえている人が過半です。

しかし、フランスのイスラム教徒が直面しているのは「自由・平等・博愛」ではありません。「労働・家族・祖国」というファシズムの原理のほうです。これは第2次世界大戦中、対独協力のヴィシー政権が「自由・平等・博愛」の原理を公式に廃絶して「労働・家族・祖国」に置き換えたのです。

でもフランスは戦後、彼らがファシズム国家であったという歴史的事実を否認してきた。だからこそ、フランスでは繰り返し極右の排外主義的運動がよみがえってくる。「自由・平等・博愛」の市民革命原理によって抑圧されたファシズムの原理が死にきれない死者のように蘇生してきているのです。

フランスは政治史的には反ユダヤ主義とファシズムの「祖国」なのですが、フランス人はそれを認めたがらない。その抑圧が繰り返し症状として回帰してくる。それを認めれば対処のしようもある。けれど否認している限り、それは近代市民原理の隙間から毒性の強い反ユダヤ・反ムスリム思想としてよみがえってくる。あの風刺画も言論の自由という形を借りて噴出している一種のヘイトスピーチだと解釈できます。

タリバンが恐れていたのは自分の奥さん?

内藤 ヨーロッパは今、一斉に反イスラムとか反移民の側に傾斜しています。フランスだけじゃなくドイツもオランダもイギリスも、それぞれの理屈でイスラム教徒を排除しようとしています。

今回のテロ事件や人質事件だけを見ると、突然、暴力的な集団が目の前に現れた気がするかもしれません。しかしイスラム教徒の間に積もり積もっていた不満というのは過去1世紀にもわたっているわけで、イスラム国というのは争いの原因ではなくて結果なんです。その点を我々はきちんと理解するべきでしょう。

内田 すべての領域国家は、ヨーロッパでも日本でも自分たちの国の成り立ちについて口当たりのいい「物語」を作っている。敗戦国が自分のために作った「物語」は1980年代まではなんとかもったけれど、さすがに賞味期限が切れて破綻してきた。どこでもそうです。それが今、21世紀を迎えた世界の現状じゃないかという気がしています。

―こうした問題を解決していくためには何が必要でしょうか?

内藤 できるだけ当事者の声を聞くことだと思っています。2012年に同志社大学でアフガニスタンのカルザイ政権の顧問大臣、かつてのタリバン政権時代の教育大臣、アフガンの反政府イスラム勢力の代表者らが一堂に会する和平会議を開きました。

女性の大学院生がツーショットで写真を撮ろうとしたら、タリバンか反タリバンの人が「ダメだ」と言ったらしいんです。やっぱりこの人たちは原理主義者で女性とは写真を撮らないのかなとその女性は思ったそうですが、理由は違ったんです。そんな写真をSNSでフェイスブックかなんかに載せられて、もしうちのかみさんが見ていたらどうするのか、と考えたらしい。タリバンが恐れていたのは自分の奥さんだったんですね。

個人間の「信義」が外交レベルにまで届く

―意外な一面です(笑)。

内藤 タリバンとくだらないおしゃべりをしてみなきゃわからないことだってあるんです。彼らを全部テロリストだといって排除したら、我々は何も知らないままです。日本人はイスラム教徒について知らなすぎる。まずはそのことに気づくべきです。そしてできれば、日本に住んでいるイスラム教徒に接する機会を持ってほしい。

内田 結局、人間と人間の、距離の近い顔と顔を向き合わせた草の根運動の関係といってもいいと思うのですが、それを積み重ねていくしか信頼できる外交関係は築けないと私は思います。嫌韓本とか、嫌中本とかが書かれていますけど、これをいちいち学術的に批判しても仕方がないわけで、要は韓国であれ中国であれ、台湾やインドネシアやベトナムであれ、そこの人たちとの個人的な信頼関係を築くことでしか、こういう文書の持つ毒性は希釈できないと思います。

個人と個人の関係はある意味、情緒的なものですけれど、それが「信義」というかたちを経由することで契約や外交のレベルにまで届く。私は国民と国民の「信義」を打ち固めることこそ、個人の感情と国家の論理を架橋するものだと思います。

(取材・文/長谷川博一 取材協力/川喜田 研 撮影/もりやままゆこ)

●内田樹(うちだ・たつる)思想家、武道家。武道と哲学のための学塾「凱風館」を兵庫・神戸市で主宰。20 15年度から京都精華大学の客員教授に就任予定。近著に、『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(中田考氏との共著、集英社新書)、『憲法の「空語」を充たすために』(かもがわ出版)、『街場の戦争論』(ミシマ社)などがある

●内藤正典(ないとう・まさのり)同志社大学教授、イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。日本がイスラム世界と衝突することなく、共存するためには何が必要かを示す新著『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』(集英社新書・760円+税)が発売中