東日本大震災から4年となった3月11日。小泉元首相が選んだ場所は原発の災禍にいまだ苦しむ福島だった

「原発が『安全』で『低コスト』で『クリーン』だということが全部ウソだとわかったんです! よくもこういうウソを政府はいまだに言っているのかと呆れています」

相変わらずの小泉節の炸裂だ。

東日本大震災による地震と津波、そして原発事故から4周年となった3月11日。小泉純一郎元首相が講演に選んだ場所は、その福島県の喜多方市だった。

当日、季節外れの爆弾低気圧による吹雪で現地の高速道路は閉鎖され、電車も1時間以上遅れるなど交通の足は乱れに乱れた。それでも、喜多方プラザ大ホールの1千席は満席。地元からの参加者も多かったが、記者のように関東から新幹線と在来線、タクシーを乗り継いでぎりぎりで会場入りした県外人もまた多かった。

元首相の講演ということで、ミーハー気分での参加者も少なくなかったと思うが、多くは主催団体である地元の民間電力会社「会津電力」の掲げる目標ー再生可能エネルギーで10年後には県内の電力100%自給ーに賛同した人々が集まっていた。加えて、やはり元首相である細川護熙氏とともに一般社団法人「自然エネルギー推進会議」を立ち上げ、脱原発を公に掲げて活動を始めた小泉元首相がこの日、この場で何をブチ上げるのか?との期待も大きかったはずだ。

14時。元首相の登壇とともに「おー、本物だあ」との声ももれてきた。まず最初に会津電力への謝辞が述べられた後、小泉さんは「私はよく在任中は原発推進だったじゃないかと批判されます。当時は専門家から『日本には資源がない。成長のためには原発はなくてはならない』と言われ、その原発は『安全』『低コスト』で『クリーン』だと説明され推進していたんです」と説明。

そして、退任後の勉強で冒頭にある通り、「それがウソだとわかった」と脱原発に舵(かじ)を切った理由を語った。

結論から言えば、この講演で何か目新しい発言があったわけではない。だが、講演の内容は政府の懲りない核エネルギーへの愚策を徹底的に糾弾したものだった。

「原発を再稼働すれば、核のゴミが増えていく。そんな中で『政府が決めるから(再稼働を)OKしてくれ』というのは無責任極まりない。いまだに核のごみの最終処分場も決まっていないのに」、「福島第一原発からの汚染水はコントロールされているとどなたかが仰っていたが、よくああいうことを言えるものだ!」

聴衆は時に笑い、時に頷(うなづ)いている。批判だけではない。小泉さんが訴えたのは、「原発ゼロ」をめざし、再生可能エネルギーを拡大することが日本の目指すべき道だということだ。そう思うに至ったのは、よく知られたことだが、世界初の高レベル放射性廃棄物の最終処分場、フィンランドの「オンカロ」を訪問したことが転機だった。

当日、満席の講演会場

「オンカロ」は、固い花崗岩に掘られた地下500メートルの空間に放射性廃棄物を10万年も保管する。

「私が視察した時、その岩肌が湿っているのを見た。その水分が今後10万年も出ていれば汚染水として地下にしみるでしょう。今、フィンランドでは個人負担で核シェルターを4千ヵ所も作っているんですよ」

官も民も真正面から受け止める核の脅威。オンカロの入り口には「危険」との看板が何ヵ国語でも書かれている。小泉さんは、そんな看板が10万年も掲示されることに気が遠くなったという。そして、核ではなく再生可能エネルギーこそが日本の選ぶべき道だという考えに至る。

「今、全電力に占める日本の再生可能エネルギーは10%に近い。40年か50年あれば、日本は再生可能エネルギーでやっていけますよ。だって、1年半も原発ゼロでやっている国は(原発保有国では)日本だけ。停電ひとつ起こらない。あとは政府が決めればできる!」

周りでは、少なからぬ人が「ウン」と頷いていた。

そもそも、震災4周年という節目の日に、しかも福島県において、なぜ小泉元首相の講演が実現したのだろうか。それを「偶然でした」 と会津電力の折笠哲也常務は説明する。

「たまたま、小泉元首相のお姉さんの知人と知り合う機会がありました。会津電力の話をしたところ、その方が会津電力のことを一度、小泉さんに話してみるという運びになったんです。そして、あれよあれよと今回の講演につながりました」

佐藤弥右衛門社長(63)も「いやあ、まさか実現するとは。会津電力のことを知ってくれた小泉さんが、私たちの活動や志をとても高くかってくれたんです」と嬉しそうだった。

会津電力については、以前の週プレNEWSでも掲載しているが(記事はこちら→http://wpb.shueisha.co.jp/2014/11/07/38447/)、その設立は2013年。きっかけは原発事故だった。

佐藤社長は、本業は江戸時代から続く酒造会社「大和川酒造」の経営者。酒造りに使う米を100%栽培し、水も飯豊連峰の伏流水を使い、その代表銘柄「弥右衛門」は幾度も国の品評会で金賞を受賞している。

「食料も水もすべて自給している」との自負があった佐藤社長だが、原発事故でそれが吹き飛んだ。実際の線量は、喜多方市まで来ると相当に低いのだが、しばらくは風評で酒の注文もゼロだった(今は回復)。

雪の悪天候でも多くの聴衆が講演会場に

だが、ここで国や東電に怒りをぶつけるのではなく、「エネルギーだけは自給していなかった。国と東電任せだった」と反省した佐藤社長は13年、自ら電力会社「会津電力」を設立する。そして太陽光発電所を20ヵ所以上設置し、昨年10月から2・5メガワット(約800世帯分)の発電を開始した。

その目指す夢が“10年後には福島県全域の電力自給”という、どでかいものなのだ。

「可能です。福島県は今、1日190万キロワットの電力を要しますが、水資源だけでも500万キロワットの出力の可能性がありますから」(佐藤社長)

すでに現在、会津電力は太陽光パネルの設置場所、小水力発電ができる小河川などの目星もたてている。小泉元首相はこの心意気に賛同し、この講演を快諾したというわけだ。

この日、講演の最後は次の言葉で締めくくられた。

「青年よ、大志を抱けという言葉があるが、年寄りだって大志を抱いていい。会津電力の佐藤さんこそ、そのひとり。必ずできます。実現可能な目標は原発ゼロの社会です。やればできる!」

では、駆けつけた1千人の参加者はこの内容をどう捉えたのか? 東京方面からの参加者は同じ電車で帰ることになるのだが、車中では「ハッパをかけてくれたけど、小泉さん自身が自然エネルギー普及のためにどういう活動をしているのかを話していない」、「本当に首相時代に原発の危険性を知らなかったのか」という声もあれば、「それでも知名度の高い人がこうやって皆がひとつの目標を共有する役目を果たしていることは評価したい」「ポーズではなく本気だ」などーー賛否両論あがっていた。

確かに、「自然エネルギー推進会議」のホームページを閲覧しても、具体的な活動事例は著名人との対談が目立つくらいで、まだ各方面への政策提言などには至っていないとの印象を受ける。ここでこれから何がなされるのか。その動き次第で元首相の言葉はより重みをもつ。

「今度の都知事選に細川さんじゃなくて、小泉さんが出れば当選間違いなしだけどなあ」

そんな声もつぶやかれるほど、いまだ待望される人気は衰えども健在。それに負けず、衰えぬ小泉節が期待通り、炸裂(さくれつ)した日だった。

(取材・文・撮影/樫田秀樹)

大和川酒造の前に湧き出す飯豊連峰の伏流水。これを汚す原発を否定する取り組みを会津電力は開始した