写真左から2番目が松本真吾さん。入社以来、25年以上、教習車の開発に携わり続ける“レジェンド”だ

人生で初めて運転したクルマってなんだっけ? ひょっとしたらそのクルマは、マツダ車かもしれないーー。

2014年度(14年4月~15年2月)の自動車教習所の教習車販売台数は約3千台。そのうち、マツダのセダン車「アクセラ」が1433台を占め、国内シェアは実に49%! 2位のトヨタ「コンフォート」(522台)を突き放し、首位独走中なのだ。

3月23日、そのアクセラ教習車の試乗会が開かれるというので、マツダR&Dセンター横浜に行ってみると、そこに待っていたのは開発担当の松本真吾さんと、教習車としては3代目の白色のアクセラ。

「アクセラ教習車のカラーバリエーションは6色ですが、人気ナンバー1はソウルレッドという派手な赤色。ひと昔前までは白が主流でしたが、教習所にとって教習車は〝広告塔〟。最近は目立つ色が選ばれる傾向にあります」(松本氏)

その外装は、仮免プレートと補助ミラー以外は一般車と同じに見えるが。他には何が違うのだろう。

「例えば、ブレーキランプ。一般車は普通の電球が主流ですが、アクセラ教習車はLED電球を使っています。教習生はブレーキを頻繁(ひんぱん)に踏むので普通の電球だと切れるのが早くて」

フロント扉の窓に取り付けられている雨除けのドアバイザーにも違いがあった。

「これ、一般車よりかなり大きいんです。教習所内の技能教習では踏切もあるでしょ? 校内では一旦停止後、必ず窓を開けて列車の音を確認しなければなりません。だからドアバイザーは窓を全開にしても雨が入らない設計にしてあります」

教習所のニーズを知り尽くした設計は内装でも随所に散りばめられていた。後部座席の中央に標準装備されているカップホルダー付きのアームレストもそのひとつ。

「4人乗車での教習のことを想定して快適性を向上させました。というのも、後部座席に若いお嬢さんと中年のオジサンが隣り合わせで座る状況に配慮し、教習所側から『空間を区切ってほしい』との要望がありまして。オジサン的にはつらい話です(苦笑)」

教習車ならではのローテクもあえて採用

では、乗り心地はどうか? 運転席に座ると、すかさず松本さんのレクチャーが始まった。

「そのまま足をスッと伸ばしてもらうと、右足にアクセル、左足にクラッチが当たるでしょう。これ、人間工学に基づいて決めた理想的なドライブポジションなんです。運転時も体がよじれないので疲れません」

この話で初めて気づいた。マニュアル車だったのか…(※アクセラ教習車にはAT車も有)。振り返れば、15年前に教習所で運転して以来、MT車には触れたこともない。だが、そんな事情とは無関係に車外では多くの関係者がこちらを凝視しているではないか! この状況でのエンストは恥ずかし過ぎる…。額に噴き出し始めた汗をぬぐいながらアクセルペダルをソーッと踏み、クラッチを引き上げていく…。頼む、動いてくれっ!

……クルマは、驚くほどスムーズに発進してくれた。ホッ。

「クラッチがつながるポイントも設計段階で試行錯誤を繰り返した部分です。アクセラ教習車としては3代目ですが、クラッチの操作性はこのモデルが一番いい。それと同時に教習生でありがちな発進直後の急加速を防止するため、アクセルを踏み込み過ぎた際に燃料の噴出を抑える制御機能も装備。これによって危険度の低い穏やかな加速が可能になりました」

とはいえ、このクルマはあくまで教習車。ハイテクになればなるほど教習の意味合いが薄れていくのでは?

「もちろん、教習生にとっては適切な認知、判断、操作の習得が一番の目的。そのため、あえてローテクにしている部分もあるんですよ。例えば、市販車のアクセラに搭載されている坂道発進アシストやアイドリングストップ機能などは採用していません」

なるほど~と感心しながら運転していると、「今、時速12kmですね」と松本さんが呟(つぶや)いた。助手席からでも速度メーターが覗(のぞ)けるようになっているのか?

「インパネとの一体感のあるデザインになっているので気づかれにくいのですが、実はここ(インパネの中央部)に速度を表示する指導員用モニターがあるんです。運転に集中してもらうため教習生には見えないように液晶の角度を助手席側に振っています」

インパネ中央の速度表示は助手席の教官だけが視認できる

走る歓びを感じてほしい…その一心

周回コースをぐるぐる走り続けると、助手席の松本さんの言葉がさらに熱を帯び始めた。

「教習車とは、誰もが初めてハンドルを握る車。走る歓びを感じてほしい一心で、このクルマを開発しました。

ただ、電動パワステの開発は苦労したところで、駐車教習などの際にはクルマが停止した状態でハンドルを何度も左右にきるような操作がよく行なわれます。これをやり過ぎるとパワステモーターが熱を持ち、故障の原因になるんですね。そこで、最適な電流制御によって熱の発生を抑える機能を開発したのですが、その性能テストは過酷でした。

エンジンはかかったままにしてクルマを停めた状態で30分間、ひたすらハンドルをグルグルと回し続ける。このハンドル操作はやがてステアリングシステムの加熱をもたらし、アシスト機能が自動OFFになります。重ステになるまで操作を続けるので体力勝負なんですね。しかも、夏場でしたが正確な数値を出すためには常温テストが必要なので冷房はかけられません。

この実験に協力してくれた社員はみな、汗をダラダラ流しながら、最後には『吐きそう』と根を上げていました(苦笑)」

このハンドルは開発担当者の汗と情熱の結晶だったわけか…。

「クルマの動作性を検証するため、ほうきとバケツとガムテを使って社内の駐車場の一角にクランクコース(教習所内にある屈折コース)を再現し、実験したこともあります」

そんな苦労話を昨日のことのように話す松本さんは入社以来、25年以上にわたって教習車開発に携わりつづけるエンジニア。社内では〝教習車開発のレジェンド〟と呼ばれている。

「今では開発部門で古株。シーラカンスになりました(笑)。でも、本当はマツダのロータリーエンジンの開発に携わりたくてこの会社に入ったんです。それが、入社後の配属はまさかの教習車部門…。『えっ!? ロータリー作れないの?』って、当時はショックを受けた覚えがありますね」

それが今や〝レジェンド〟だ。何が松本さんを支えたのだろう。

「これまで数多くの先輩方が退職されましたが、その都度、『教習車づくりを途切れさせるな』『マツダの教習車を頼むぞ』と言葉をいただいてきました。マツダの教習車開発の礎(いしずえ)を築いてきた先輩方の思いは、私には裏切れません」

マツダの教習車づくりは、まだまだ進化していきそうだ。

(取材・文・撮影/興山英雄)