海と空、豊かな自然…地方暮らしへの憧れは増しているが? ※写真は本文の内容と関係ありません

ここ最近、都会での暮らしに見切りをつけて、田舎で第二の人生を始める人が増えているらしい――。

とはいえ、誰もが地方へ行けば平穏が約束されるわけではない。“田舎の掟”を知らなかったために地元になじむことができず、逆にストレスを抱えて出戻り…なんていう例も少なくないのだ。ここでは、そんな地方移住の“影”の部分をクローズアップする。

まずは、東京都X区から福島県Y町へ移住したAさん(24歳・男性・フリーター)。「行けば仕事ぐらいあるはず」という甘い認識が招いた“悲劇”の日々とは…。

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都内の大学を卒業後、2年間で3社ほど離転職を繰り返し、会社員という生き方が窮屈に思えてフリーターになりました。当時は実家で悶々(もんもん)とした生活を送ってましたね。

そんなある日、福島のある村を舞台にしたドキュメント番組を見たんです。都会から村に移住した大勢の若者が地元の人と一緒に村おこしに携わる姿は楽しそうで、「これだ!」と思いましたね。放射線量が低かったことも移住の決め手となりました。

翌週、村に入ると、NPOの人に安いシェアハウスを紹介してもらえました。ただ、仕事はない。村にはハローワークもありません。ネットで求人検索しても「農作業」しかヒットせず…。

先輩移住者は皆、有名大卒でそれぞれNPOを運営したり、農産品のネット通販をやったりと賢い仕事をされていたのですが、学歴コンプレックスからか、うまく絡めませんでした。

移住して1ヵ月、貯金が底を突きかけていたある日、村役場が地域おこし協力隊を募集していることを知り、その募集要項には「地域活性化補助事業・月収15万円」とある。役場に速攻で連絡、後日面接を受けて内定をもらいました。

田舎暮らしの特殊なルールとは

村おこし頑張るぞ、と勇んで役場に向かった勤務初日、上司に「とりあえず田畑の草刈りを」と指示されました。午後は村外の芸術家向けに貸し出している小学校の廃校舎の清掃業務。それが終わると子供向けのグリーンツーリズムに駆り出され、森で遊んで汚れた玩具の水洗いを延々と…。思い描いていた村おこしのイメージとはかけ離れた、雑用とも呼べない仕事が毎日続き、正直ウンザリしていたんです。

腐りかけていた頃、「新しい仕事をやる」と、今度は村のゆるキャラの着ぐるみを渡されて。それから1ヵ月後の真夏の炎天下、その日もゆるキャラに扮(ふん)してスーパーの入り口横にポツンと立っていました。ゆるキャラの正体が私だということはすでに知れ渡っていて、買い物帰りのじいさんにこう言われたんです。

「地域おこしというけど、ソレ、意味あんの? あんた、税金で食べてるんだよね」

もう、心をへし折られましたね。3日後、東京の実家に帰りました。

■田舎暮らしの特殊なルール

次に、京都府P市から長野県Q村へ移住したBさん(29歳・男性・営業マン)のケース。“癒やし”を求めて移住するも田舎特有の閉塞感から人間不信になってしまったという…。

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僕が移住したのは長野県の山村。観光で一度訪れたことがあって、雄大な山岳風景や美しい棚田など日本の原風景を残すこの村にひと目ぼれし、移住を決断しました。

冬はスキー場、それ以外は土建業や林業で食いぶちを得ていたんですが、田舎暮らしの理想と現実のギャップは受け入れ難いものでした…。

まず田舎は出費が多い。例えば、冬場の光熱費は月数万円。零下の環境では家の水道管の中にたまった水が凍るので留守中も常時、ストーブをつけっぱなしにしなきゃいけないんです。加えて、ムダに回数が多い集金。月4千円の集会費に青少年育成会費、体育協会費、交通安全協会費…と何かと持っていかれ、低収入な僕には地味ながらきつい負担でした。

役場の試験に合格し村八分に?

村じゃ60代までは若者扱いで、80過ぎのじいさんも現役バリバリの農家。年寄りがみんな元気すぎるんです。毎晩誘われる酒盛りは身体的にきつかったですね。

また、家の鍵は基本、開けっ放しだからプライバシーがなく、仕事後に帰宅したら勝手に洗濯物が取り込まれていたり、掃除されていたり、エロ本の置き場所が変わっていたり…。

正直、これもストレスに感じてたんですが、田舎暮らしを断念する決定的なきっかけになったのが、2年目の春に実施された村役場の職員採用試験に合格してしまったことですね。

役場といえば、最も安定的な収入が得られる村一番の大企業であり、村を出た若者がUターンできる唯一の仕事。何年かに1名という、その採用枠をよそ者の私が奪ってしまったことで、役場の同僚や一部の村民から拒絶されるようになったんです。

あいさつをしても返事がなかったり、「あのコ、京都で借金をつくって村に逃げてきた」とか「女癖が悪い」とか根も葉もない噂まで広められて…。

私の悩みを優しく聞いてくれていた人も、地区の役員が集まる集会の場では「コイツ、この村から出ていきたいらしい」なんて平気で裏切るし、もう人間不信に陥りましたよ。

そのうち酒盛りにも誘われなくなって村で孤立し、役場も退職。京都に戻らざるを得ない状況となりました。二度と田舎暮らしをしようなんて思いません。

(構成/興山英雄)