数多くの大ヒットドラマを生み出した『世にも…』の創設メンバー。左から河野圭太、鈴木雅之、木下高男

『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系)の放送が始まったのは1990年4月19日のこと。

オムニバス形式で構成されるこのドラマは、若手クリエーターの登竜門的存在であり、これまで多くのヒットメーカーを世に送り出していった。

そこで今回、初期から携わってきた『HERO』の鈴木雅之、『警部補 古畑任三郎』の河野圭太、『鈴子の恋』の木下高男の3人が25年の歴史を振り返る!

■トレンディドラマの対抗勢力としてスタート

―そもそも『世にも…』はどのような経緯で始まったドラマなのでしょうか?

鈴木 創設メンバーといえるのは、僕と小椋久雄さん(代表作に『ニュースの女』)、落合正幸(同『呪怨 ザ・ファイナル』)、星護(同『僕の生きる道』シリーズ)の4人。僕は当時31歳で、みんなもほぼ同世代。我々にもドラマ制作の舞台がボチボチ回ってきた頃でしたね。

河野 フジテレビでいえば、ちょうどトレンディドラマが当たり始めた時だよね。

鈴木 そうそう。トレンディドラマが主流だとしたら、じゃあ僕らは傍流から何かやってやろうって企画したのが『世にも…』というわけ。

河野 まだメンバーに僕は入ってはいなくて、木下もそうだった。

木下 僕はまだ助監督をしている頃でしたから…。

河野 僕は傍(はた)から見ていただけだけど、同世代のヤツらが侃々諤々(かんかんがくがく)とやり合っている。それが本当に楽しそうで正直、うらやましかったなぁ。

鈴木 打ち合わせ部屋として、会社が近くのマンションを借りてくれていて。通常業務を終わらせた夕方頃になると、我々やドラマスタッフが続々と集まってくる。朝まで打ち合わせすることもあったから、まるで部室みたいな感じだった。

―どんな内容の打ち合わせをしていたんですか?

鈴木 初回放送は1話目が星が担当した『噂のマキオ』(主演・坂上香織)で、2話目が小椋さんの『楊貴妃の双六』(主演・野村宏伸)、そして3話目が僕の『恐怖の手触り』(主演・中山美穂)だったんだけど、たいていが『噂のマキオ』の打ち合わせだった気がする。“奇妙”というテーマをどう見せようか、すごく頭を悩ませたんだよね。

内田有紀や深田恭子、広末涼子…

―その後、河野さん、木下さんもドラマに携わるようになって。皆さんそれぞれ演出手法が違うと思いますが、皆さんの得意なジャンルは?

鈴木 僕はナンセンスなコメディや暗い話が好き。河野はヒューマンやファミリー系で、木下は…え~っと、どうだったっけかな。

木下 ちょっと待ってくださいよ(笑)。僕は若い女優さんを起用した女子モノ担当。まだ駆け出しだった内田有紀(ゆき)さんや深田恭子さん、広末涼子さんらが主演を務めたストーリーが多かったですね。

鈴木 連ドラで放送していた頃はオムニバスが3本で、だいたいナンセンス系、ヒューマン系、ホラー系とテーマが分けられていて、もちろん得意なことばかり担当するわけじゃなかった。

木下 サッカーと一緒で、本田でも香川でも決まったポジションはあるけど監督やチームによっては違う場所で戦わないといけない。けど、そのおかげで自分の新たな武器に気づいたりして振り幅が広がったと思います。

河野 でも、オムニバスの怖いところは、相手が先輩だろうが後輩だろうが、毎回それぞれの作品が比べられてしまうこと。

鈴木 あれはプレッシャーだったね(笑)。だからこそ、お互いに手が抜けなかったし、作品にそれぞれの個性が強く出るようになったよね。

―皆さんの印象に残っているストーリーは?

鈴木 なんだろう。プロ野球の結果が気になっただけのサラリーマンが最終的に強盗犯になってしまう『代打はヒットを打ったか?』(主演・伊武雅刀、1990年10月4日放送)は自分でも手応えがあったし、周囲の人たちに注目してもらえるキッカケになったので、思い入れはあるかな。

あとは僕の担当じゃないけど、『カウントダウン』(主演・宍戸開[ししどかい]、1990年8月30日放送)という炊飯器でご飯が炊けるだけの話は印象深い。「え~、こんな見せ方もあるのか」って教わりましたから。

河野 僕は鈴木が撮るはずだった『23分間の奇跡』(主演・賀来千香子、1991年12月26日放送)。女教師が23分間で小学校ひとクラスの児童全員を洗脳する話だったんだけど、抜群に面白かった。

その数字でなんで笑っているんだ?

鈴木 どうして撮れなかったんだっけかな。

河野 もう忘れたけど、何かあったんだろうね(笑)。

木下 最初に僕が担当した『心の声が聞こえる』(主演・内田有紀、1994年1月6日放送)は、どうオチをつくっていくのか苦労した覚えがあります。『世にも…』は始まって14分間が最高傑作でも残り1分で台無しになることが少なくない。その後、何度それで泣いたことか…。

鈴木 15分間の短編だけど、だからこそ勉強になることが多いんだよな。放送時間が限られているからムダなことは一切できないし。ワンシーンを撮るにしても、そこにどう自分のアイデアを盛り込んでいこうか、いつも考えていたもの。この経験は他の連ドラを撮影する時にすごく役立っていると思う。

河野 確かに鈴木は『世にも…』をやってからドラマの撮り方が変わったよね。一緒に連ドラの担当をした時、「オマエはどうしてツルンと撮るんだよ」ってブーブー文句言われた覚えがあるもん(苦笑)。

鈴木 あった、あった。

河野 僕はその時に「これもドラマの撮り方のひとつだ」ってヘリクツをこねたけど、今は鈴木雅之といったらこの画(え)というのがハッキリしている。役者を真っ正面から撮るカタチを確立したのも『世にも…』がキッカケだったんじゃないかな。

―“奇妙”というコンセプトの下、自由な環境で始まった『世にも…』ですが、制作陣の手応えはどうだったんですか?

鈴木 実は放送開始当初、ゴールデン帯のドラマだったにもかかわらず、視聴率が14.8%だったんです。今と違って当時のフジは視聴率20%以上のドラマばかりで、決して好調な船出というわけではなかった。でも、初回放送の翌日にスタッフ全員が編成部に集まり、その数字を見てニヤニヤしているの。編成部の人間も「その数字でなんで笑っているんだよ」って言っていたけど、妙な充実感と達成感があったんだよなぁ。

視聴率に支配されないようにすること

木下 石原隆さん(『世にも…』のプロデューサー)も同じことを言っていましたよ。制作陣がみんな同じ思いで作っているから数字が落ちる気がしなかったって。実際、そこから視聴率は右肩上がりでした。

鈴木 同じケースで言えば、『警部補 古畑任三郎』もそうだったよね。

河野 1994年放送の第1シリーズは、平均視聴率が12%前後。だから、第2シーズンはもうないだろうなって思っていて。

鈴木 今だから言うけど、ひそかに『古畑』は大バケするだろうなって思っていたよ。

河野 ちょっとその時に言ってよ! 田村正和さんにコメディタッチの演技をしてもらったのに結果が伴わなくて、どうしようって不安になっていたんだから(笑)。ただ、三谷幸喜さんと面白いモノを作っていたという自負だけはあった。

木下 数字はどうあれ、やっぱり良いモノは評価されていくんですよね。

鈴木 けど、視聴率は良くも悪くも我々にとって必要な評価基準。それがないと、野放図に好きなことだけをやればいいってことになってしまうからね。大事なのは、その評価を意識しつつも数字に支配されないようにすること。目先の数字だけを獲りにいくようになったら、それはもうクリエーターじゃないでしょ。

―皆さんが高い意識を持っていたからこそ、『世にも…』は25年間も続く長寿ドラマになったんですね。

鈴木 だから、今の若いスタッフにももっと積極的に関わっていってほしい。たった15分間で怖さや嬉しさ、感動などを表現しないといけないので、ドラマをつくる上ですごく力がつく。僕もまたオファーがあったら撮りたいと思っているくらいだから。

河野木下 (大きく頷[うなず]く)

今の若手たちは恐怖感を持っている?

―若手クリエーターのお話が出ましたが、皆さんの時代と違いはありますか?

鈴木 語弊があるといけないので、ノーコメント(笑)。

木下 実験的なことに臆病になっているかもしれないですね。4月11日放送の最新作『世にも…』で僕が演出した『ゴムゴムの男』は阿部寛さんと『ONE PIECE』のルフィがコラボした作品。これは「ルフィをドラマに入れたら面白いんじゃない?」という発想から生まれたんです。

でも、今の若手たちは自分から第一声を上げることにどこか恐怖感を持っている気がします。他の誰かが言ったことに対して「僕もそう思っていました」と言うことが多い。“後出しジャンケン世代”なんですよ。

鈴木 ただ、若手に「違う、そうじゃない」って言いすぎないようにはしています。僕らの世代と同じことをしてもしょうがないし、今のフジは新しい価値観を持った若手がドンドン出てこないといけない。しばらくは、じっと見守っていきますよ。

鈴木雅之1958年生まれ。現・フジテレビドラマ制作センター専任部長。主な代表作は『王様のレストラン』『ショムニ』『29歳のクリスマス』『HERO』など

河野圭太1957年生まれ。共同テレビ所属。主な代表作は『振り返れば奴がいる』『警部補 古畑任三郎』『王様のレストラン』など

木下高男1961年生まれ。共同テレビ所属。主な代表作は『ハッピーマニア』『ファイティングガール』『鈴子の恋』など

(取材・文/高篠友一 撮影/本田雄士)