叔父の西村正雄氏は「晋三はしっかりとした自分の考えがない。戦争への実感や歴史に対する理解が欠けている」と苦言を呈しておられましたと語る松田氏

集団的自衛権の行使容認、憲法改正への意欲、そして、あたかも先の大戦における日本の侵略を否定するかのような歴史認識見直しへの執着…。

「戦後レジームからの脱却」を標榜(ひょうぼう)し、この国の形を大きく変えようとしている内閣総理大臣・安倍晋三を突き動かしているものとはなんなのか。

その源泉を祖父・岸信介から始まる「名門の血脈」に求めたのが『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』だ。著者の松田賢弥(まつだ・けんや)氏に聞いた。

―安倍首相といえば、自由民主党初代幹事長にして“昭和の妖怪”の異名を取る岸信介元首相が祖父である「政界のプリンス」。この本を読んで、彼を取り巻く「華麗なる一族」の解像度が一段とアップしました。

松田 安倍首相の政治姿勢を考える上で、「血脈」の問題を切り離すことはできません。しかし、岸一族の歴史を戦前の満州国時代までさかのぼって掘り下げるには、相当な分量の資料や学術書にあたる必要がある。

そこで、当時の岸首相が強い反対運動を押し切って改定を強行し、その後、退陣を余儀なくされた60年安保を頂点に、特に安倍晋三の人格形成に大きな影響を与えてきた母・洋子さんの存在を中心に据えてまとめれば、今の読者の興味にもつながりやすいのではないかと考えたのがこの本の出発点です。

―本書でも洋子さんは「父の岸信介に生き写し」と書かれています。安倍首相にとって、ゴッドマザー・洋子さんの存在はそれほど大きいのでしょうか?

松田 洋子さんは今、86歳。彼女は岸信介の娘として、戦中・戦後の日本の節目を父の間近で目撃してきた。60年安保の時には厳しい批判にさらされる岸信介首相の姿に「なんでこんな苦労をしなくちゃいけないのか、もう辞めたらいいのに…」と思ったといいます。

当時、晋三は5歳か6歳でしたが、そうした母の無念や悔しさがその後の彼の人格形成や物の考え方に大きな影を落としていることは間違いありません。もう一面で晋三はわかりやすく言えば相当なマザコンです。

安倍首相の戦争や歴史への実感の欠如

―一方、首相の座を目前にして病に倒れた安倍首相の父、安倍晋太郎の存在感が想像以上に薄いというのも印象的でした。

松田 晋三の父・安倍晋太郎は事実上、岸家の婿養子のような存在だったと思います。岸家は何度も養子縁組を繰り返しながら「選ばれた一族の血」に対する強いこだわりを見せている。今回、この本を書きながらあらためて「なんなんだ、この血の濃さは!」と感じずにはいられませんでした。

そうした独特な家庭環境の中で、晋三にとって父の晋太郎は「岸家の外側」にいるように映ったのではないでしょうか。そのため祖父・岸信介から母・洋子さんを経て自分が岸家の直系にいるという晋三の意識の中ではある意味、父は岸家の血脈になじめない不都合な存在だったのかもしれません。

彼にとっては偉大な祖父・岸信介が「父」であり、名門・岸家の正当な後継者であろうとする晋三にとって父・晋太郎の存在は「いてはいけない」、両立し得ないものだった可能性はあると思います。

―もうひとつ、興味深かったのが安倍晋三の叔父(父・晋太郎の異父弟)にあたる故・西村正雄氏(みずほ銀行の前身、元日本興業銀行頭取)の存在です。甥(おい)っ子である晋三の歴史観や戦争観を正面から批判し「偏狭なナショナリストと離れろ」と警鐘を鳴らし続けた肉親がいたという事実を初めて知りました。

松田 亡くなられる直前、2006年に何度かご本人にお話を伺いました。「晋三はしっかりとした自分の考えがない。戦争への実感や歴史に対する理解が欠けている」と苦言を呈しておられましたね。当時は、第1次安倍内閣が成立する前でしたが、わざわざ晋三に長文の手紙も送られていました。肉親のひとりとして心から心配してのことだったのだと思います。

―確かに、戦争に対する現実感の欠如や「言葉の軽さ」は安倍首相の大きな特徴ですね。

松田 岸信介という人物の評価については様々な議論がありますが、岸は少なくとも有能な官僚として出発し、満州国で後の政治家としての強力な基盤をつくり上げ、戦前・戦中・戦後の日本を生き抜いてきました。GHQにA級戦犯容疑で捕らえられ絞首刑寸前で釈放されるという経験もしている。

それに対し晋三は、偉大な祖父のイメージを追いかけているだけで、肝心の戦争や歴史への実感が決定的に欠けているように思います。岸も「日本の侵略」を認めない立場でしたが、時と場所を考えず安易に口にするようなことはしませんでした。

多様性、柔軟性を急速に失いつつある自民党

―この一冊を通じて、この国の政治やその未来が安倍晋三の「極めて私的な家族の問題」に影響されているのではないか、という恐ろしさをあらためて感じました。「選ばれた一族」という意識や「血脈へのこだわり」なんて一般人にはなかなか理解しづらいものがあります。

松田 以前は多様性があり、党内での議論でしのぎを削ることができた自民党がその柔軟性を急速に失いつつあります。

そうした中で、自民党が岸信介とその孫・晋三に一種の「原点回帰」というか、戦後の歴史を背負った「名門の血」を求めたようなところがあるようにも思いますね。

歴史の変わり目というのは、古来、そんな一族の血脈から動くことがある。本来は、今こそ自民党内でも集団的自衛権や憲法改正などについて活発な議論が行なわれるべきですが、残念ながらそうはなっていません。

安倍晋三という人は、外から「極右」みたいなレッテルを貼って批判されるといっそう身を固くして意固地になるところがありますから、もっと深いところで解析する必要があります。そのためには祖父・岸信介や彼に大きな影響を与えた母・洋子さんを中心とした「名門の血脈」に踏み込んで考える必要があると思うのです。

洋子さんは高齢でいらっしゃいますから、彼女を失った後、晋三がどうやってアイデンティティを保っていけるのか…、大変心配ではありますね。

(取材・文/川喜田 研 撮影/岡倉禎志)

●松田賢弥(まつだ・けんや)1954年生まれ、岩手県北上市出身。業界紙記者を経てジャーナリストとなる。『週刊現代』『週刊文春』『文藝春秋』などを中心に執筆活動を行なう。故・小渕首相秘書官(当時)のNTTドコモ株疑惑をはじめ、政界について多くのスクープ記事を執筆。小沢一郎について20年以上取材を続け、その後、「陸山会事件」追及の先鞭をつけた。妻・和子から小沢一郎への「離縁状」をスクープしたことで、第19回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞大賞を受賞

■『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』 (講談社 1500 円+税)戦後レジームからの脱却を掲げ、憲法改正に異様なほどの意欲を燃やす安倍晋三首相。本書は、その原動力を解き明かすべく安倍ファミリーの血脈を解剖していく。第2次大戦後に戦犯としてGHQに逮捕されるも、自由民主党の初代幹事長に就任した祖父の岸信介。その岸の悲願だった憲法改正への執念と、政治権力の表と裏を間近で見続けた母の洋子。その思いは洋子から孫に受け継がれ―。名門一族をひもとき、今の日本の政治を支配するものの正体を明らかにする!