2014年度アクション部門最優秀賞/ロバート・ゲレーロ(判定12R)亀海喜寛/カリフォルニア州カーソン 【福田氏コメント】この前の試合でメイウェザーと戦っているゲレーロと日本の亀海が、年間最優秀候補の死闘を展開。残念ながら判定負けでしたが、強豪ゲレーロに肉薄し続けた亀海こそが、この試合の主役だったと思います

本場アメリカで最も権威のあるボクシング写真賞を何度も受賞している日本人カメラマンがいる。ラスベガス在住の福田直樹氏(49)だ。

一瞬のパンチをとらえる福田氏の写真は、まるで芸術作品のよう。なぜ彼は世界一のボクシングカメラマンへと登りつめたのか?

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今月9日、全米ボクシング記者協会の2014年度フォトアワードの発表があり、福田氏の写真が「アクション部門・最優秀写真賞」に選ばれた。他の部門も含めれば2年連続、ここ5年間で4度、最優秀写真賞を獲得しており、まさに世界のボクシング写真界のトップに君臨している人物なのだ。

今回の受賞作は、昨年6月にカリフォルニアで行なわれた亀海喜寛(かめがい・よしひろ)vs元WBC世界ウェルター級暫定王者ロバート・ゲレーロの試合を撮ったもの。

「ずっと日本人選手の試合で賞を獲りたいと思っていたので、今回はその思いが叶って本当に嬉しいです」と福田氏は言う。

強烈なパンチを打ち込まれながらも相手を睨(にら)みつける亀海の形相が壮絶である。なぜ、これほどインパクトのある瞬間を捉えることができたのか?

「本当に物凄い試合だったんです。ゲレーロは一昨年、メイウェザーともやっている強豪ですが、亀海は打たれても前に出続けて反撃し肉迫していました。亀海は海外で結構試合をしていて、その経験が実り、この試合はショータイム(アメリカの2大ボクシング放送局のひとつ)のメインでした。

メジャーな試合で日本人が有名選手と互角に打ち合った。負けはしたけど、あの試合は亀海が主役でした。ファンも総立ちになってましたし、年間ベストファイトに選ばれてもいい内容だった。僕も感動しながらスゴくのめりこんで撮っていたんです」

2001年に家族とともにラスベガスに移り住み、本場のボクシングを撮り続けている福田直樹氏

ひとりだけ2階席から撮らされたことも

【福田氏コメント】後にパッキャオを破るブラッドリーの地元での試合です 2010年度アクション部門最優秀賞/ティモシー・ブラッドリー(判定12R)ルイス・カルロス・アブレグ/カリフォルニア州ランチョミラージュ

アメリカの試合では、リングサイドで撮れるカメラマンは12人ほど。うち10枠はAP、ロイターなど大手通信社や地元の新聞社、テレビ局、両選手のプロモーションのオフィシャルで埋まっている。残り2枠を数十人のカメラマンで争うことになる。

日本からやって来た外国人である福田氏には、特別な苦労があったようだ。

「比較的人数が少ない時でも、僕だけ2階席にされたこともありました。ベガスからニューヨークまでわざわざ来ているのに(苦笑)。そういう時はやっぱり頭にきましたが、メインの試合までに気持ちを切り替えて『上からでもリングサイドよりいい写真が撮れることもある。そういうのを撮ってやろう』って自分に言い聞かせていました」

今いる場所で全力を尽くす。そうすれば、いつか運をつかむことができる…。こうして少しずつステップアップしていった。

「今でも『今回の試合はリングサイドに入れるかな』って毎週末、受験の合格発表みたいな心境ですけどね」と福田氏は笑う。

そんな福田氏は1965年、東京に生まれた。ボクシングとの出会いはいつだったのだろうか?

【福田氏コメント】勝ったのは打たれているウイリアムスですが、内容的にはララが勝っていたという専門家、関係者、ファンが大多数で、論議を呼んだ一戦です 2011年度アクション部門最優秀賞/ポール・ウイリアムス(判定12R)エリスランディ・ララ/ニュージャージー州アトランティックシティ

香川照之氏と過ごした超マニアックな少年時代

【福田氏コメント】日本にも馴染みのあるふたりの一戦。KOオブ・ザ・イヤーにもなった痛烈なTKOでした。ストップ直後のドネアが喜びを爆発させているところです 2011年度フィーチャー部門2位/ノニト・ドネア(TKO2R)フェルナンド・モンティエル/ネバダ州ラスベガス

「5、6歳の頃からテレビで見てました。当時は柴田国明や輪島功一、ガッツ石松らの試合で日本中が盛り上がってましたからね。今のサッカー日本代表の試合みたいに。ボクシングの試合があるとテレビの前で身を清めて観ていました(笑)」

最初は日本人選手ばかりを応援していたが、ある試合でそれが変わったという。

「小6の時、ウイルフレド・ゴメス(当時、WBC世界Jrフェザー級王者)がロイヤル小林を物凄い左フックでKOした。それが目に焼き付いて、以降、海外の強豪に注目するようになったんです」

中学に上がると、香川照之氏と同じクラスになり席が隣になった。のちに俳優となり“芸能界随一のボクシング通”としても知られるようになる人物だ。彼と毎日ボクシングの話をし、一緒にボクシング雑誌を読み、香川氏が海外から取り寄せた試合ビデオを見ていたという。その頃から聖地・後楽園ホールにも通うようになった。

「一番後ろの席に香川と一緒に座って。そこからだと会場全体が見渡せるので、選手だけじゃなく関係者の動きとかをチェックして、ああだこうだと言ってましたね」

超マニアックな中学生! 高校に進学すると、自分自身もボクシングがやりたくなり協栄ジムに通い始めた。

「かなり本気でやってましたね。当時、協栄ジムにいたヘルマン・トーレス(当時メキシコ・ライトフライ級王者で、後にWBC世界王者)とスパーリングしたりして。でも僕は結局、根性がなくてダメでした。大学に入ったら飲みに行ったりするようになって…」

ボクサーとして芽は出なかったが、高校3年間で流した汗は決してムダにはなっていないはずだ。今、福田氏は“パンチを予見するカメラマン”と呼ばれている。試合の流れを決めるパンチ、その瞬間をまるであらかじめわかっていたかのように見事にとらえるのだ。

では、どのようにして決定的瞬間を撮っているのだろう…?

【福田氏コメント】フィニッシュブローのヒットの瞬間。たくさん試合を撮っていても角度等の関係で、フィニッシュブローはなかなか撮れません。しかも左のロングアッパーという、決まり手になり難いパンチですので、私にとっても印象的な一枚でした 2012年度アクション部門佳作賞/エイドリアン・ブローナー(TKO8R)アントニオ・デマルコ/ニュージャージー州アトランティックシティ

パンチの瞬間をとらえる秘訣

【福田氏コメント】次のスーパースター、現在最高の選手のひとりであるゴロフキンの防衛戦。この右の直後にダメージと出血のため試合がストップされました 2013年度アクション部門佳作賞/ゲンナディ・ゴロフキン(TKO7R)ガブリエル・ロサド/ニューヨーク州ニューヨーク

「選手にはリズムがあるんです。同じ選手でも試合ごとの波長があるので、それを読み取り、それに合わせながら撮ります。強い方の選手に同調して『次はこのパンチだ』と。子供の頃から『今、あれを打て!』なんて思いながら試合を観ていたのも役に立ってますね」

強者に乗り移るように同調し、次に何を出すかを感じながらシャッターを押すわけだ。

「一方、打たれる方を見ていると、隙とか無防備な瞬間が見えてくる。その瞬間、打つ方に合わせて撮ります。そして強烈なパンチが入った一瞬に両者の表情が見える形で撮りたい」

しかし、選手の動きによってはパンチの瞬間、背中を向けている場合もある。

「その時の自分の位置から何が撮りやすいか、何が撮りにくいかを考えて『この位置からだと、こいつの左は撮れないから右に的を絞って撮ろう』とか考えながら撮っています」

もちろん選手たちは写真のことなど頭になく、ひたすら相手を倒すことだけを考えてリングの中を縦横無尽に動き続ける。それを一枚の芸術作品のように切り取って見せるのだから、まさに職人芸だ。

福田氏が写真を始めたのは小学生の時、世界中に撮影旅行に行くほど写真が好きだった祖父に一眼レフをもらったのがきっかけだ。やがて、アメリカ在住で有名選手の写真をたくさん撮っているボクシングカメラマン・林一道(はやし・かずみち)氏の存在を知り、自身もその道を目指すようになった。

大学に入ると『ボクシング・マガジン』誌でアルバイトを始める。卒業後は同誌の発売元であるベースボール・マガジン社に就職しようと思っていたが…。

愛娘の大事故が人生の転機に

【福田氏コメント】新鋭アクベルバエフが番狂わせの失神KOで痛烈に沈められたシーンですが、フェランテが試合後、薬物検査で陽性になったため、後に結果がノーコンテストに変更されました 2013年「フィーチャー部門」最優秀賞/アンソニー・フェランテ(ノーコンテスト10R)イッサ・アクベルバエフ/ニューヨーク州ニューヨーク

「でも、『社員として入るとボクシング・マガジン以外の部署に行かされる可能性もあるよ』と言われたんです。ボクシング以外の仕事はしたくないから、それならフリーでいいやと思って。しばらく家業の漆器問屋を手伝いながらフリーライターとして記事を書いていました」

ライターの仕事は15年ほど続けたが、やはり試合の写真を撮りたいという思いが強まっていった。ボクシング・マガジンには会社の写真部のカメラマンがいるので、撮らせてもらえる機会は少なかった。そこで福田氏は渡米を決意する。

「海外に行けば、最初はライターとして行っても、だんだん撮るチャンスを掴めるんじゃないかと。それで2001年に渡米しました」

住むなら“ボクシングの聖地”ラスベガスしかない、と決めていた。貯金を切り崩しながらギリギリの生活だったが、大きな大会から小さな大会まで顔を出して関係者に顔を覚えてもらい、現地のカメラマンの仕事ぶりや機材を見て、プロの写真の技術を盗んでいった。

「最初はアメリカで取材しているだけで満足でした。ラスベガスで記者をしたり、カメラマンとして普通に写真を撮ってるだけで喜んでいたんです」

そんな福田氏に転機が訪れる。車を運転中に酔っ払い運転の大型車に追突され、後部座席に乗っていた一人娘が意識不明の重体となったのだ。

「リアシートがなくなってしまうほど潰れていました。病院で医者から『明日の朝まで意識が戻らなかったら開頭手術をする』と言われて…その晩は本当に辛い思いをしました。でも、なんとか明け方に意識が戻って、いい方向に向かっていったんですけど、3日間ICUにいて…」

試合後はほとんど脱水症状に

【福田氏コメント】骨肉種を克服したジェイコブスが世界王座を獲得した直後の写真。リングに上がってきた息子を抱き上げているところです 2014年度フィーチャー部門佳作賞/ダニエル・ジェイコブス/ニューヨーク州ブルックリン

退院後、何ヵ月間も様々な病院に通い、検査やリハビリを続けた。娘は順調に回復し、奇跡的に後遺症も残らなかったという。この事故をきっかけに福田氏の意識は変わった。

「自分の都合で家族をアメリカに連れてきて、娘がこんな目に遭って、自分はただ楽しんでるだけでいいのか。なんとかしなきゃな、と思いました。それまでもまずまずの写真を撮れてはいたんですが、ビッグマッチを撮れる機会がなかなか得られなかったり、いいポジションをもらえなかったりしていた。

でも、それからは自分をもっとアピールして、リングサイドをもらえるように最大限の努力をするようになりました。写真自体も、それまでよりももうひとつ上を目指し、自分の撮れる最高のものを撮っていこうっていう思いが強くなりました」

今、福田氏は前座も含めると年間約400もの試合を撮影しているという。

「トイレが近い」こともあって、試合中はほとんど水を飲まないが、「水を飲んだ瞬間に撮り損ねたり、ちょっとリングサイドから下がってペットボトルを取った瞬間に、隣のカメラマンに場所をふさがれて戻れなくなったりすることもありますから。試合が終わった後は、脱水症状に近い状態になってますね」

そんな過酷な思いをして撮影するボクシングの魅力とは?

「ボクシングはおそらく最も過酷かつ残酷なスポーツで、体力も精神力も強靭でないといけない。でも同時に繊細さや切れ味、センス、ある種の神経質さも必要だという二面性があって、とても奥が深いスポーツなんです。

そして勝者と敗者、成功している選手と下積みの選手のコントラストも非常に大きくドラマチックです。僕はその魅力にとり憑かれてしまったんです」

揺らぐことのないボクシングへの愛と情熱で、福田氏はこれからも世界が驚く一枚を撮り続けていくことだろう。

■福田直樹さんのオフィシャルHPはコチラ!→http://naopix.com/

(取材・文/稲垣 收)