高島容疑者がフィリピン滞在時に定宿にしていた一泊約2500ペソ(1ペソ=約2.7円)のホテル。このホテルには成人の女性を多数連れ込んでいたとみられる

フィリピンで1万2千人以上の女性を買春した容疑で逮捕された、横浜市の中学元校長、高島雄平容疑者の事件。しかし、これまでも日本のオジサンによる買春は問題視されてきたーー。

彼らはなぜ、海外で買春をしてしまうのか。フィリピンを拠点に活動する「開高健ノンフィクション賞」受賞作家、水谷竹秀氏が、その背景に迫る。

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高島容疑者がマニラの日本人学校に赴任した1988年当時、マニラ市内の繁華街エルミタ地区はゴーゴーバーがひしめくように立ち並び、大繁盛していた頃だ。特に80年代半ばは日本でフィリピンクラブが本格的に広まり始めた時期とも重なり、日本人男性の「買春熱」を高めることになった。

マニラにはまる男たちを描いた『死んでもいい マニラ行きの男たち』(浜なつこ・講談社文庫)によると、フィリピンにおける買春問題が日本で大々的に報じられたのは1979年5月。大手メーカーの招待客約200人が大阪と東京から相次いでマニラ入りし、その日の晩にホテルで集団見合いをした。女性はいずれも胸に番号札をつけ、男性客約100人がお気に入りの女性を連れて部屋に入ったという。

当時のことをよく知る関係者は言う。

「昔は日本人観光客に売春婦を紹介するガイドがたくさんいたよ。日本人専用の置屋もあって、大型バスが何台も置屋の近くに止まってたね」

この報道の影響で大規模団体客の買春ツアーはなくなったが、これに代わって小・中規模のツアー客、個人客がマニラに押し寄せるようになった。繁華街エルミタ近くのスラムで不法滞在を続ける日本人男性は懐かしそうに語った。

「当時のゴーゴーバーは24時間営業でした。繁華街の目抜き通りの両側にずらーっとバーが並び、女のコたちは何千人といたんじゃないかな」

おっさんたちが唯一輝ける場所?

ところが1992年から、マニラ市長が浄化作戦を実施し、ゴーゴーバーが一斉に閉鎖に追い込まれた。かつてのにぎわいは跡形もなく消え去り、現在はフィリピンクラブが立つ繁華街となっている。

一方、クラブで働くためにフィリピンから日本へ渡る女性たちが取得する興行ビザの発給件数は、過去最高を記録した2004年の約8万5千件をピークに減少し始めた。2005年3月に日本政府が入国規制を始めたためだ。この結果、日本のクラブも減少の一途をたどり、フィリピンに対するかつての負のイメージは薄れてきつつある。

ここ近年はフィリピンへの英語留学が盛んになっており、以前は中高年の男性乗客しか見られなかったフィリピン行きの飛行機に若い日本人男女の姿が散見されるようになった。しかし、高島容疑者の事件は、改善されたかに見えたフィリピンのイメージをぶち壊す結果になった。

私は前著『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で、フィリピン人女性を追いかけて渡航し、そこで散財して無一文になった中高年男性たちの悲哀物語を描いた。日本では女性に相手にされなかった男たちが唯一輝ける場所がここフィリピンだったということだ。

高島容疑者の事件についてはマニラの在留邦人社会から「迷惑だ」などと非難の声が上がる一方、それを笑えない人たちがいるのも事実だ。

40歳年下の女性と結婚したフィリピン在住の日本人男性(60代半ば)は言う。

「おっさんたちはよほどのお金持ちじゃない限り日本で女性に相手にされない。でもフィリピンは女のコたちがニコッと笑ってくれ、すぐに話をしてくれる。だから元校長先生がはまるのは理解できる。それにしても1万2千人はやりすぎだよな」

喪失感と寂しさで自滅する中高年

フィリピンに長年住み、これまでに数百人の女性を買春した中高年の日本人男性は自身の経験を交えてこう話した。

「3人とか4人の女のコが同時に部屋にいるともうハーレムですよ。建前は『買春はいけない』というけど、本音は誰だってハーレム気分を味わいたいんです。それに女のコたちだってお金に困っているんだから、援助交際によって助かっている部分はあるんではないでしょうか。元校長先生の気持ちはわかりますよ」

高島容疑者は神奈川県警に対し「仕事のプレッシャーが強く、倫理観のたがが外れたときの解放感を味わった」と供述している。一度、フィリピンで「ハーレム」を味わった男たちは、ダムが決壊するかのごとく本性がとめどなくあふれ出し、歯止めが利かなくなる。ある意味で、ここマニラは「魔の都」なのだ。

しかし日本に戻ればただの「オジサン」。年齢を重ねるごとに募るのは、人生に対する喪失感と寂しさだけだ。

今回の事件は、子供たちのお手本になるべき校長先生という社会的立場からも大きな話題にのぼったが、高島容疑者がもしフィリピンと出会っていなければ、「校長」という重い鎧(よろい)に押し潰され、とっくに日本で自滅していたかもしれない。中高年の男性に自殺が多い日本社会の一断面が、この事件の背後にちらついているような気がする。

●水谷竹秀(みずたに・たけひで)1975年生まれ、三重県出身。上智大学外国語学部英語学科卒業。ウエディング写真専門のカメラマンや新聞記者を経て、ノンフィクションライターとしてフィリピンを拠点に活動中。2011年、『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞