豊島区、ドワンゴ、アニメイトなどの共催・運営で開かれた「池袋ハロウィンコスプレフェス2014」にて本気のコスプレを披 露していた阪下實代表取締役社長

4月25日、島根県松江市にある大型ショッピングセンター「イオン松江」内で、人気声優やアニメキャラクターの着ぐるみが登壇するセレモニーが行なわれた。アニメイトの新店舗「アニメイトイオン松江」の開店記念イベントである。

アニメイトは、このイオン松江店をもって47都道府県すべてに出店を果たした。

現在、日本のアニメ市場は、過去最高の1兆4913億円を記録(*)。そんななか、アニメイトはアニメグッズの小売り最大手として存在感を発揮している。ネットでなんでも買える時代にもかかわらず、アニメファンにとってアニメイトで買い物をすることはステータスになっており、年2回のコミケ開催時には、会場から直行バス「アニ店特急」に乗って多くのファンが池袋本店や秋葉原店に押し寄せる。

(*)日本動画協会「アニメ産業レポート2014」より、2013年のデータ

アニメイトが創業されたのは、第1次アニメブームを起こしたといわれる映画『宇宙戦艦ヤマト』(1977年公開)から遅れること6年後の83年。アニメグッズ専門店としては後発ながら、いかにして業界の巨人になったのか?

そして、“地方消滅”が叫ばれる時代にあって、セブン-イレブンやスターバックスといった超有名チェーンでさえ成し遂げていない全国出店を実現した原動力とは一体何か?

それを知るべく、同社への取材を打診。なんと、一般誌での取材はほとんど受けたことがないという阪下實社長のインタビューが実現した! 朗らかな関西なまりで氏が語った、創業32年の“秘話”、その前編をお届けする。

最初の秋葉原店は川沿いのビルの5階だった!

■最初の秋葉原店は川沿いのビルの5階

―なぜ今回、週プレのインタビューを受けていただけたのでしょう?

阪下 やはり、全国出店は私どもの目標のひとつでしたから、それが実現したタイミングでお声がけいただいたという部分が大きいです。今は若い方が普通にアニメを見る時代になりましたが、アニメイトに行ったことがないという方もまだまだ多いと思うので、少しでもわれわれのことを知っていただきたくて。それと……私も若い頃は週プレさんにずいぶんお世話になりましたから(笑)。

―ありがとうございます(笑)。今回のイオン松江をはじめ、ここ数年、地方や郊外のショッピングモールへの出店が続いていますね。こうしたファミリー層も来る場所に店を出しているのには、どういった戦略があるんですか?

阪下 いやいや、戦略というほどのものはございません。今回も、イオンさんからお声がけいただいたものですし。こういうのはご縁と、賃料・売り上げの兼ね合いで決まるものですので(笑)。第1号店の池袋本店も、全国のファンに知っていただくために、知名度のある池袋サンシャイン……の“前”に出しました。秋葉原店も今でこそメインの中央通り沿いにありますが、最初に店を構えたのは駅の反対側の神田川沿いにある、ビルの5階(笑)。そこだと賃料が安かったもんでね。

―現在と比べると、隔世の感がありますね。

阪下 ただ、私自身は、今でも「まだまだやなぁ」と思ってるんです。本音を申すと、日本全国のすべてのアニメファンが「家から1時間以内で行ける」所にアニメイトを作りたい。そして、アニメが好きなすべての人がアニメの世界に浸れる場所を作ってあげたい。でも現状は、日本海側の米子市(鳥取県)から福井市や、新潟市から秋田市の間にはお店がないので、理想には程遠いです。

―阪下社長は入社当時、関西の店舗にいらっしゃったとか?

阪下 はい。90年に32歳で書店からアニメイトに移りました。当時、関西のアニメイトはすべて、書店の軒先を間借りして営業していたんですよ。その頃にはやっていたのは、『ドラゴンボール』であるとか、ジブリの『魔女の宅急便』、声優のNG5(『鎧伝(よろいでん)サムライトルーパー』の声優陣によるユニット)さん。キャラクターグッズだけじゃなく、羽ペンや原稿用紙、セルなど、マンガやアニメを作りたい方のための画材も売っていました。

―当時から、多種多様な商品を扱っていたんですね。

阪下 とにかく、アニメが好きな方の要望を聞いていった結果、ビデオ、CD、コスプレと、取り扱うグッズの幅が広がっていったんです。私はこの会社で、新しいお店を出すための店舗開発の仕事をしてきたんですが、昔はテナントを借りようにもオーナーさんの理解が得られなくて困りましたよ。「本もグッズもビデオも売ってる? いったいどんな店や」と(笑)。

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●商品選びからお店作りの哲学まで、さらに興味深い秘話が明らかになる後編は明日配信予定!

(取材・文/西中賢治)