「日本でモノを求める幸せは飽和状態。地球まで含めた『他者との共有感覚』や、お金では買えない経験こそが自分の人生に豊かさをもたらす」と語る植島氏

近年、国内外を問わず多くの研究機関が「幸福度調査」を実施している。

4月23日には国連の組織「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」による「世界幸福度報告書2015」が発表された。順位は1人当たりの国内総生産(GDP)、健康寿命、選択の自由などに基づき、国民の幸福度を算出したもの。

158ヵ国・地域中、1位はスイス、次いでアイスランド、デンマーク、ノルウェーと北欧勢が続き、米国は15位。日本は前回調査より3位落とした46位で、韓国は47位、中国は84位だった。物質的充足と幸福度が比例するわけではないことが日本の順位によって示されている。

宗教人類学者で、世界中の聖地に足を運び、多様な文化で生きる人間の営みを研究し続けてきた植島啓司氏は著書『きみと地球を幸せにする方法』にて、幸福度46位の国に住む我々に「モノや金ではない、多元的な幸福のあり方」を唱える。

―なぜ今「幸せ」という極めて主観的、かつ抽象的な感覚に着目されたのでしょうか?

植島 僕の主戦場は「宗教人類学」という学問で、ネパールやブータンといった、日本のように物質的には決して豊かではない場所で調査をしています。年がら年中、グローバリゼーションと正反対のベクトルに位置する場所に出かけているわけです。グローバル化はこの10~15年の間に経済活動を席巻しましたが、そのために地域性や気候、土地固有の場所の力などが平坦(へいたん)なものになってしまった。その結果、人類が幸福になったのかといえばそうは思えない。この状況をなんとかしたいと考えていたんですね。グローバルな経済活動とは異なった立場からの「幸福」の理解が必要になると思ったんです。

―植島さんは30代後半に日本のバブル経済を体験され、当時は5千万円の預金があったそうですが、それでも幸せではなかった?

植島 バブル時、家や車を買ったこともありましたが、それらは結局不要になって、みんな手放したんですね。車は値がほとんどつかず、涙がちょちょ切れそうでした(笑)。お金はあるに越したことはありませんが、お金がたくさんあれば単純に幸せかといったらそうではない。例えば、僕は一昨年は執筆に専念していたので年収は非常に低かったけど、学生や友人が自宅に酒を持って遊びに来てくれた。その時にあらためて、お金がなくても十分に楽しく過ごせることを実感したんです。

今はデフレだ、不況だといいますが、そもそも日本はモノがもう豊かすぎて飽和状態です。国の食料廃棄量が年間1800万t。毎日これだけの食べ物が捨てられるくらいの豊かな国であることは自覚しなくちゃいけない。しかし、多くの人は幸せと感じていない。それはやはり、お金やモノに幸せの照準を合わせているからだと思うんですね。

人同士のつながりにしか幸せはない

―特に日本は、食の選択肢は異常なくらいに豊富ですね。

植島 例えば、エジプトに行くとパンの選択肢は日本よりうんと少ない。でもその土地固有のパンの味がして、病みつきになる。日本では何百種類のパンが食べられますが、果たしてその選択肢の数が本当に必要かな、と。他にも若者の車離れが進んでいるように、幸せの尺度をモノで測っていた時代は終わり、ダンスを踊ったり、旅行に出かけたりと、価値は「モノからコト」へ移行している時期だと思うんです。

―本書でも、モノを独占するのではなく「贈与」や「共有」が重要とあります。モノそのものより、モノを通じたコミュニケーションが大切だと?

植島 そうですね。人間はモノではなく、周りの人間によって規定されています。人と人との交流こそが人間を人間たらしめている。「人同士のつながりにしか幸せはない」と言ってもいいですね。どれだけ素晴らしい人間に出会えるか、どれだけ良い友達がいるのか。そのためには、会社以外などコミュニケーションの場をたくさん持つ必要がありますね。クラブに遊びに行ったり、旅に出たり、あるいはナンパしたり(笑)。どんどん外に出ていくべきだと思います。東南アジア、南米、アフリカがオススメですが、別に国内だっていいし、青春18きっぷを使う旅だっていいんですよ。

―SNSを使ったコミュニケーションについてはどうお考えですか。「いいね!」といった共感の機能もあります。

植島 う~ん、基本的に「そうですね」と言い合っているだけで、コミュニケーションしているようには思えないんですよね。僕は人に対し「贈与する」「歓待する」という態度を持つことが豊かさにつながると主張していますが、「いいね!」の場合は自己の承認欲求ばかりが前面に出るような気がします。とはいえ、携帯が登場し普及してから約15年しかたってませんから、まだ試行錯誤の期間で、技術が人間の幸福にとって何ができるか右往左往してるような感じですね。

―ところで、コミュニケーション能力は個人差がありますよね。しかしお金は誰にとっても平等です。個人の能力を問わないという点では、お金は非常に平等なツールなのでは?

植島 「貨幣や貨幣経済がいけない」とは思っていません。お金や名声が欲しいという気持ちも否定しません。ただ、物質的な豊かさは上を見ればキリがない。常に自分の生活に満足できない状態は幸せなのだろうか?と疑問は感じます。それと、僕は「脳を中心とした人間観」を持つのも危険だと思うんです。

「脳を中心とした人間観」は危険

―脳科学は人気が高いコンテンツですが…?

植島 有名な実験に、ニワトリとウズラの脳を交換するものがあります。施術後、ニワトリはウズラと同じ行動をとる。しかし、ニワトリの免疫系がウズラの脳を「非自己」として認識するので、やがてそのニワトリは亡くなってしまう。つまり、脳が体のすべてを決定し、司る器官というわけではないんですね。科学ではまだ解明できない人体の不思議があることを知れば、科学万能主義に陥ることもありません。

―幸せになるための近道はあるのでしょうか?

植島 今、ココにある幸せを大事にすることですね。例えば今、小さくても幸せだと思うことを3つ挙げてみて、幸福を感じてみるとか。すでにあるものを実感してみること。人間の運命のサイクルは大きいですから、焦らず陰徳を積むような気持ちで生きるといいと思いますね。

(取材・文/赤谷まりえ 撮影/矢西誠二)

●植島啓司(うえしま・けいじ)1947年生まれ、東京都出身。宗教人類学者、京都造形芸術大学教授。東京大学大学院博士課程修了、シカゴ大学大学院留学を経て、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授など歴任。性愛に関する著作も多数。『突然のキス―恋愛で読み解く日本文学』(ちくま文庫)、『日本の聖地ベスト100』(集英社新書)、『官能教育 私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたか』(幻冬舎新書)、『処女神 少女が神になるとき』(集英社)など

■『きみと地球を幸せにする方法』 集英社インターナショナル 1200円+税経済のグローバル化が加速した現代社会において、真の幸せとは「モノ・金」以外の生活にあるとする筆者。古今東西のカルチャー事象、動物学、社会調査など多様な事例とともに「豊かさ」の意味を再定義する。共感・共有といった、他者との交わりこそが幸福を生むと述べる