実は自らも「アイドルアナウンサーに憧れていた」と吐露する小島

TV局を舞台に女子アナの欲望を描いた小説『わたしの神様』(幻冬舎)を上梓(じょうし)するなど、現在はタレント、エッセイストとして活躍する小島慶子さん。TBS時代は局アナならではの苦悩もあったという。

■実は当時、彼氏と同棲していたのに!

―小島さんが入社した1995年は、女子アナブームが盛り上がり始めた頃でした。

小島 私が大学生の時は日本テレビのDORAさんが話題になっていましたし、TBSに入社してからは先輩の渡辺真理さんや雨宮塔子さんが大変な人気でした。

当時はメールなんてなかったので、レターボックスにファンレターがたくさん入っていたり、誕生日に山のようなプレゼントが届いたりと本当にスゴかったですよ。そういう光景を見ていたので、実は私もアイドルアナに憧れていたんです。

―ちょっと意外です。

小島 新人時代、報道の仕事に興味を持つ一方で、当時の私は「20代が女のピーク」だとも思っていて。その時期をアイドルのようにもてはやされながら過ごせたら、きっと楽しいに違いないって夢想していたんです(笑)。でも、だんだんと「私はそっち路線じゃないんだな」と気づき始め、さらにそれを認めざるを得ない状況もあって…。

―何があったんですか?

小島 私、とある絶大な人気アナウンサーの家から20mくらいの距離に住んでいたことがあったんです。その方は週刊誌にしょっちゅうハリコミをされていたのですが、実は当時、私は彼氏と同棲していたんですよ。でも、一向に報じられない。変装なんかせず、堂々とデートしていたにもかかわらずですよ(笑)。

ミスコン受賞歴も「手アカがついている」

―確かにそれは寂しいかも(笑)。当時を振り返ってみて、現在の女子アナと違うところはありますか?

小島 今は元タレントが多く入社するなど即戦力が求められるようになっていると思うんです。その点、私の時代はというと、まだ色のついていない、それこそ清廉性のある純朴な女のコが採用されていました。もしミスコン受賞歴なんてあろうものなら「手アカがついている」と敬遠されることもあったくらい。

私の時代って過渡期だったと思うんですよね。人気者になってほしいけど、それは本来アナウンサーの仕事ではないという建前もあり、その狭間ですごく苦労した世代でした。

―矛盾したことを求められていたんですね。

小島 あるスタッフからは「人気アナになれ、キャラをつくれ」と言われ、それを実践すると「アイツは調子に乗っている」と非難される。どうすればいいんだよ~って、みんな泣いていましたよ。

―今後、女子アナには何が求められると思いますか?

小島 今の女子アナは清廉な優等生ではなく、したたかな野心家だとみんな知っている。女子アナ幻想が崩れて、もう清廉性とキャラクターの「ギャップ」は売りにならないんです。今後はいっそガチの尻軽女子アナか、ブレずに永遠の処女を演じきる“女子アナコスプレの名手”の登場を期待します。

小島慶子(Kojima Keiko)1972年7月27日生まれ、オーストラリア出身。学習院大学法学部卒業。入社5年目の1999年に「第36回ギャラクシーDJパーソナリティ賞」を受賞。2010年に退社。現在、週プレでニュースコラムを連載中!