「今はSNSで誰でも自分の言葉を発信できる。だからこそ、その言葉が本来どれほどのバリエーションを持ち得るのかに目を向けてほしい」と語る武田氏

新聞やネットニュースを見ても、我々の身の回りには様々なフレーズがあふれているーー。

でも、ちょっと待ってほしい。ともすれば機械的に使われがちな常套句(じょうとうく)のおかげで、“それ”についてちゃんと考える作業を怠ってはいないだろうか? 

昨今の社会を「紋切り型のフレーズに閉じ込められている」と批評する『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』著者・武田砂鉄氏に、言葉で固まりがちな現代の処方箋を聞いた。

―副題の「言葉で固まる現代」とは、具体的にどのような状態を指すのでしょうか?

武田 例えば3・11の震災・原発事故の直後を思い返してみると、「希望」や「絆」といったフレーズを連発して無理やり気持ちを鼓舞させるような働きかけに対し、日に日に懐疑的な見方が強まっていきました。きれいな言葉を並べているだけでいいのだろうか、と。

ところが数年後、東京五輪を招致する際には「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」というスローガンが採用され、時の都知事は「これで希望をつくることができる」とコメントし、安倍首相は「(原発の汚染水の影響は)完全にブロックされている」と言った。デリケートに問うべき問題がフレーズひとつで簡単に済まされてしまったのです。

―世の中は、言葉にごまかされてしまいがちである、と。

武田 言葉というのは、常に膨大な選択肢を持ちます。ところが、ありきたりの定型句を使い回すことによって、選択肢が極端に狭められ、それについて深く考える機会が損なわれてしまう。友人、知人とのコミュニケーションの中でも“この言葉を出しておけばそれでOK”というフレーズはたくさんありますよね。

最近の安全保障法制に関する議論を見ていても、国家の枠組みを変える議論だというのに国会で飛び交っている言葉は「レッテル貼り」「一般的には」などバリエーションに欠けた言葉ばかりです。

―しかしその半面、政治の世界ではワンフレーズのインパクトが重視されますね。

武田 小泉純一郎元首相のワンフレーズ・ポリティクスには一定の効果があったのでしょうし、橋下徹大阪市長にしても同様だと思います。しかし、わかりやすいスローガンに翻弄(ほんろう)されているだけでいいのだろうか、といよいよ疑わなければならない。「日本を、取り戻す。」と言われたところで、一体どこから何をどのように取り戻すのかという肝心な点に関しては説明されることがありません。

“サラダバー”のようなフレーズが蔓延している

―なるほど。また本書では「全米が泣いた」や「誤解を恐れずに言えば」など日常レベルでもなじみ深いフレーズが20個収録されています。

武田 視点の問題でもあると思うんです。「全米が泣いた」時、南米は怒っているかもしれないじゃないか、と。でも実際には大抵の人は南米のことを考えない。この例は極端にしても、こうした視野と言葉の狭さは身の回りのあらゆる場面で生じているはず。

今はSNSの浸透もあり、誰でも自分の言葉を発信できます。だからこそ、その言葉が本来どれほどのバリエーションを持ち得るのかに目を向けてほしい。届けられるツールがあるのに、使われる言葉が限られているのは皮肉です。

―結婚式での花嫁の手紙などに見られるありきたりな文例集を指して「大学のレポートならば単位を失効するほどのコピペ」と断ずるなど痛快な指摘も目立ちます。

武田 僕はそれをこの本の中でサラダバーにたとえました。用意された材料(言葉)を組み合わせているにすぎないのに、あたかもオリジナルのように錯覚してしまうことが往々にしてあります。ドレッシングを選んでかけただけで、自分なりのエッセンスが出せたかのように。これは結婚式のテンプレートに限らず、多くのジャンルに蔓延(まんえん)している現象だと思います。

―しかし、こうした紋切り型なフレーズを次々に斬ることで、ご自身の文筆活動が窮屈になる側面もあるのでは?

武田 そうかもしれません(笑)。僕もメールで「取り急ぎ失礼します」とか普通に使っていますから。この本を読んだ友人は「おまえだって普段使ってるフレーズじゃないか」と思っているでしょうね。ただ誤解しないでほしいのですが、僕は何も言葉のパトロールをしているわけではないんです。

例えば、週プレのグラビアページに「ピチピチ」とか「フレッシュ」と添えられていたとしても、それが悪いと言いたいわけではありません。問題はそれを用いる際に他にも選択肢があったかどうか。多彩な表現があることを無視して「とりあえずこのフレーズを使っときゃいいだろう」となってしまうと、そのグラビア写真自体の魅力や可能性がしぼんでしまいますよね。

“若手論客”を目指しているわけではない

―やみくもにケチをつけたいわけではない、と。

武田 はい。政治家が謝罪会見を開いて、とりあえず「極めて遺憾」で済まそうとする、その言葉って貧相じゃないですか。その手の定型句で封じ込めてしまうことで問題を見えにくくさせようとする働きかけを許すべきではないだろう、と。

―つまり、私たちひとりひとりがもっと考えて、自分ならではの言葉を使えるようにならなければなりませんね。

武田 ところが発信する側の新聞ひとつをとってみても、スタンスというのはだいたい決まっていますね。例えば安倍政権の見解に対して、朝日は常に批判的に報じ、読売は常に寛容な受け止め方をする。これがもはや最初から定まっている。別に読売だって、安倍首相の発言がおかしいと思ったらそう指摘すればいい。

もちろん逆もしかりです。これは言葉で議論することを諦めている状態だといえます。熟考すれば意見なんて変わります。考えた上で流動的ならばそれで構わないはず。誰しも火曜日の帰り道と木曜日の帰り道では考えていることが違っていて当たり前なのですから。

―あとがきでは自ら「偏屈な本」と表現しています。発売からたちまち3刷に達するなど処女作にして大きな反響を得ています。新たな言論人の登場を世間が歓迎しているようにも思えますね。

武田 どうなんでしょうか。若手論客が登場するたびにTVが目ざとく拾い上げて使う傾向がありましたが、特にそういう方向に進みたいという希望はありません。“あの論壇の人”みたいにくくられことなく、逃げるように自分なりの考えをその都度、記していきたいです。

(インタビュー・文/友清 哲 撮影/村上宗一郎)

●武田砂鉄(たけだ・さてつ)1982年生まれ、東京都出身。ライター。大学卒業後、出版社で書籍編集に携わりながら文筆活動を始め、2014年に独立。『cakes』『CINRA.NET』『Yahoo!ニュース個人』『beatleg』などで連載を持ち、多くの雑誌、Web媒体に寄稿。今回の『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』が初めての著書となり、その独特かつユニークな批評眼が注目されている

■『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』朝日出版社 1700円+税結婚式で花嫁からの手紙に見られる「育ててくれてありがとう」、映画の広告に躍る「全米が泣いた」、ある人が口にした「会うといい人だよ」……。日常的に使われる、決まりきったフレーズの連発が、自分と世の中を硬直させている!? 新たな視点で言葉を見つめ直し、発想を解きほぐす!