国際コラムニスト・加藤嘉一の本誌連載コラム「逆に教えて!」。今回は…。

***東アジアの地政学に重大な影響を及ぼす中国と台湾の関係。来年1月に総統選を控える台湾の野党党首の訪米が“対岸”に波紋を投げかけました。

ワシントンで僕が走るランニングコース沿いに台北経済文化代表処(大使館的な役割を担う台湾の駐米施設)と中国大使館があります。その距離はわずか1kmほど。ここを通るたび、僕は「両岸関係」(中国と台湾の関係)の未来に思いを巡らせます。

5月29日から12日間、台湾最大野党・民主進歩党の蔡英文(さいえいぶん)主席が訪米しました。台湾では来年1月に総統選挙が予定されていますが、米シンクタンクや大学などの有識者は蔡氏の当選が濃厚という見方をしばしば示します。

中国と国交のあるアメリカに台湾総統が公式訪問するのは非現実的。そのため、蔡氏は「野党党首」である今のうちに安全保障面などで依存するアメリカを訪れ、支持を得ておきたかったのでしょう。

驚いたのは、アメリカ側が用意した“厚遇”です。ワシントン入り直前の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙への寄稿。戦略国際問題研究所(CSIS)での講演(蔡氏は前東アジア太平洋担当国務次官補のカート・キャンベル氏と英語で対談)。そして台湾総統候補という政治的に敏感な立場にもかかわらず、国務省とホワイトハウスを訪れ、ブリンケン国務副長官やメディロス・アジア上級部長らと会談…。いずれも異例の扱いといえます。

今回の訪米で、蔡氏が繰り返し主張したのは以下の2点です。

まず「台湾は今後も自由民主主義を堅持し、より強化していく」こと。アメリカの信頼できるパートナーとして役割を担っていくという意思表明です。

もうひとつは「両岸関係を安定させる」こと。簡単にいえば、“台湾独立”というマターには手を出さないということです。

アメリカ側にとって、この2点は重要な意味を持ちます。自国の対アジア太平洋戦略を考えた場合、自由民主主義を実践する台湾は大切なパートナー。これまで武器輸出をしてきたように、安全保障面で中国を牽制するための重要なプレーヤーでもあります。ただし、その一方で台湾が「独立」を言い出した場合、米中関係を破綻(はたん)させるわけにいかないアメリカは、それを支持できません。

蔡氏の主張はアメリカにとっても重要

蔡氏の主張を総合すれば、民進党・陳水扁(ちんすいへん)前政権のように独立を主張して両岸関係を悪化させることはしない。かといって、現在の国民党・馬英九(ばえいきゅう)政権のように中国へあからさまに接近することもしない。蔡氏がアメリカの求めるバランス感覚を体現しようとする人物だからこそ、国務省やホワイトハウスへ入ることを許されたのでしょう。

蔡氏の訪米に際して6月2日、中国の崔天凱(さいてんがい)駐米大使は次のようなコメントを残しています。

「蔡英文はまず13億の中国人民の試験を通らなくてはいけない」

「言いたいことがあるなら対岸の同胞に言えばいい。なぜ外国人のところに来て面接を受けるのか」

強烈な皮肉ですが、裏を返せば、中国側が蔡氏への厚遇にショックを受けた証拠ともいえます。

興味深いことに、中台間の“政治対話”はしばしばアメリカを介して行なわれます。それだけ両岸関係におけるアメリカの存在感は大きく、ワシントンでは日々、中台双方の関係者が情報収集・発信を含めたロビー活動を活発に展開している。今回の蔡氏訪米は、まさに台湾側の働きかけが功を奏したのでしょう。

台湾の次期総統候補がこのようなバランス感覚の持ち主であることは、日本にとっても意義深い。例えば、台湾がどのような形でTPP(環太平洋経済連携協定)とAIIB(アジアインフラ投資銀行)にコミットメントするかという問題は、日本のアジア太平洋地域における戦略に切実な影響を与えるでしょう。そんな台湾の動向を注視する必要がないというなら、その理由を逆に教えて!!

●加藤嘉一(KATO YOSHIKAZU)日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。ハーバード大学フェローを経て、現在はジョンスホプキンス大学高等国際関係大学院客員研究員。最新刊は『たった独りの外交録 中国・アメリカの狭間で、日本人として生きる』(晶文社)。中国のいまと未来を考える「加藤嘉一中国研究会」が活動中!