現役バリバリの鳶職人である多湖弘明さんに話を聞いた

5年後の東京五輪開催に向け、メイン会場である新国立競技場の着工が目の前に迫ってきた。

建設予算やデザインをめぐる騒動はいまだ鎮火しそうにないが、いよいよ完成に向け始動…と思いきや、実は深刻な問題が囁かれている。「腕の立つ鳶職人が不足している」というのだ。

しかし、そもそも鳶職人の不足があれほど巨大な建造物の建設で問題になるのか…。それほど鳶職人は重要な役割を担っているの? そこで現役バリバリの鳶職人である多湖弘明さん(38歳)に話を聞いてみた。

鳶職人といってもその仕事は多様。どの業者よりも先に現場に乗り込み、工事現場の仮囲いを造るのがひとつ。次に、建物の要となる鉄骨を組み立てたり、職人が安全に働くために必要な足場を組み立てたり…と多岐にわたるのだ。

そして実は、鳶職人こそが工期の長短を決めるカギでもあるという。基礎工事は天候に左右され遅れが出やすい。仕上げ工事では職種や作業員の数が増えてくるので工程管理も複雑になり、やはり遅れやすい。

「その点、建物の主要構造部分を造る“く体”工事は、鳶職人の技術次第で工期を縮められる可能性があるんです」(多湖さん)

つまり、ただでさえ着工が遅れている新国立競技場は、鳶の活躍なしにはラグビーW杯どころか、オリンピックにも間に合わないかもしれないのだ。

現在、新国立競技場の建設に向け、鳶職人が募集されているが、これだけの大きな建築物、やはり現場ではイレギュラーなことが発生する可能性が高くなるのだろうか。

「巨大な2本の竜骨(アーチ状のキール)を現場で組み上げるのはかなり難工事になるでしょう。あの大きさですから現場に分割して運び込むしかありません。しかし屋根を支えるわけだから、ミリ単位の歪(ゆが)みも見逃せない組み上げ作業が増える。

それにもかかわらず、着工が遅れた分、く体工事で工期を短縮したいとの期待は間違いなく高いはず。現場の鳶には相当のプレッシャーがかかるのではないでしょうか。とはいえ、やはりオリンピックのメイン会場に関われるというのは、鳶として誇りに思う職人も多いはずです」

慢性的に不足している“高層鳶”

また、若い職人にとって新国立競技場は大きなチャンスになると多湖さんは言う。

「世界規模の建築物を造る技術をベテランの鳶が若手に継承できる場になるでしょう。若い世代は巨大建築の建設ラッシュ後に生まれたため、特殊建築物を造る機会がそもそも少なかった。でも新国立競技場は、鳶として一流の技術を求められる場です。

例えば、広い空間にドーム状の屋根をかけるのにも高層ビル建築の現場とは異なる工法が必要となりますから」

しかし、冒頭にも伝えたように鳶職人、特に若手の職人の不足は深刻だ。

まず現在、都内では高層マンションなどの建築ラッシュが続き、現場では慢性的に“高層鳶”(高層現場をメインに働く鳶)が不足している。さらに多湖さんは、若い世代と伝統的な鳶の世界との“相性”の問題もあるという。

「若い人たちはキツイ・キタナイ・キケンの3Kを嫌い、鳶の世界に入ってこない。入ってきたとしても『仕事は体で覚えろ、技術は盗め!』という昔ながらのやり方には耐えられず、去っていく。若い鳶のなり手は確実に減っています。

外国人を入れたらいいという声もありますが、それは不可能に近い。道具ひとつとっても海外にはない日本独自のものが多いし、何より高所での危険作業では、あうんの呼吸が必要ですから」

職人不足について、別の都内建築会社の社長にも話を聞いたが、賃金の問題も大きいと彼は言う。つまり、ゼネコンから1次下請け、2次下請け、3次下請けへと仕事が下りてくる際、そのたびに人件費の中抜きが行なわれ、鳶を含めた「現場の職人」たちに下りてくるお金がその仕事内容に比して少なすぎるというのだ。

「現場の人間にきちんとした手当が行き届かない労働環境は、若いコにとってはさらに魅力のないものに映るでしょうね」と彼は憂う。

しかし、腕の良い鳶の確保は威信をかけるというメイン会場建設のために不可欠。建設予算の議論も大切だが、現実問題としてこうした鳶の不足を解消する方法について、きちんと検討されているのかも大事なところだ。

(文/佐口賢作 構成/赤谷まりえ 写真/石川真魚)

●多湖弘明(たご・ひろあき)鳶職人。1976年生まれ、大阪府出身。高校卒業後、鳶の道へ。友人であった鳶職人の現場死亡事故をきっかけに、鳶の世界を広く伝えていこうと決意。著書に『鳶 上空数百メートルを駆ける職人のひみつ』(洋泉社)。