今年6月に日本球界復帰をした藤川球児が週プレだけに心境を語った

今年6月、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの『高知ファイティングドッグス』で日本球界に復帰をした藤川球児

ようやく故障も癒え、メジャーでの復活も期待されたところで、一体何を思い、その決断に至ったのかーー。今回、インタビュアーである野球解説者の橋本清氏を通じ、「週プレなら、全部話しますよ」と事の経緯、心中を吐露してくれた。

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■人生を上手に使えてるか考えた時にしんどいなと…

橋本 なんかパッと見、若返ったんちゃう?

藤川 いやいや兄さん、何言ってるんですか(苦笑)。若くはないですけどね。

橋本 いや、向こう行く前よりさっぱりしてね。手術もしてデトックス効果やな。

藤川 あかんあかん、そういうのやめて(苦笑)。ほんまこう見えて、アメリカもいろいろ大変やったんですよ。

橋本 まぁ今日はそれをね、週プレやったら話しますよって。帰国して連絡取ったら、自分から言うてくれてね。

藤川 それは前から好きやったし。まじめなこともちゃんと書いてくれるんでね。野球に関して僕自身もしっかり書いてもらった記憶あるんで。

橋本 メジャー行く前も球児の本音は!?いうて、インタビューさせてもらったもんね。…ほんで、戻ってきてオープン戦でも登板したわけやけど、今はどんな感じなの?

藤川 正直楽しいというか、家族と一緒におられるし。それがもう一番最高ですね。今までずっと離れてて、夏休みとか遊んだ記憶もないですから。親父したらなあかんというのもありましたし。ずっと一緒に動いてます。

橋本 高知と関西と行き来してね。練習は兄貴に手伝ってもらってオフは家族と過ごして。それで若返ったんや。

藤川 それはそうかもしれないですね。メジャーでケガして、あと何年野球できるかと考えた時、レンジャーズが契約で僕を外さなきゃってなって。他の球団探すんだろうと思われてたけど、自分の頭の中でそれはなかったんで。その理由でもありますし。

MAXでどんだけ勝負できるかな?

兄さんと呼ぶほど懇意の橋本氏と兵庫・芦屋にある自宅近くのホテルでリラックスムードの対談。「昼も近くで子供と食事してきたんですよ」

橋本 一番は家族と過ごすのを優先したいと? メジャーへの未練はなかったんや。

藤川 ベースボールに対する未練はないと言えばないというか…。向こう行って人生観変わりましたね。それまでは野球という仕事があって、そこに家族とか生活がついてくるスタイルやったのが逆になって。アメリカの選手はみんなそれで、家族の時間がしっかりある中で野球は野球で集中してやるっていう。

もちろん彼らのレベルもものすごい高いからできるんですけど。それ考えた時、ずるずるメジャーでやっても、一回しかない人生を上手に使えてないことになるのが自分でしんどくなってたんですよ。

橋本 こっからパフォーマンス戻して、そのレベルで戦っていくのも厳しいぞと。

藤川 カブスの時もですけど、チームでも年齢はトップなワケで。手術して、そこから上がっていくにはどうしても時間が足りないと。メジャーの選手がみんな100%発揮できるよう毎日努力してるとこで、よほどの向上心がないと厳しいなと思いました。

橋本 やっぱ向こうはそんなスゴかった?

藤川 ものすごいですよ。誰がとかじゃなく全員。マイナーリーグでも個々の持ってるポテンシャルで勝負したら自分のMAXでどんだけいけるかな?って感じです。日本ならある程度ごまかしてできても、そんなレベルじゃないんで。とんでもないですよ。

橋本 どうしても手術してから戻すのに時間かかるしね。

藤川 まぁ自分も竹を割った性格というか、ぐじゅぐじゅしてるのがイヤなんで。悩んではいても、いざとなると決断は早いし人に相談もしないんですよ。妻もそれでいいって言うんで日本に戻ろうと。

■このインタビューの全文、阪神との交渉も報じられる中、マスコミ不信を募らせた理由、今の日本プロ野球に思うことetc.は発売中の『週刊プレイボーイ』30号でお読みいただけます!

(撮影/五十嵐和博)

●藤川球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年生まれ、高知県出身。高知商から98年、ドラフト1位で阪神に入団。球界を代表するストッパーに。2013年にメジャー移籍、カブス~レンジャーズを経て今年6月に独立リーグの高知で日本球界復帰

インタビュアー●橋本 清(はしもと・きよし)1969年生まれ、大阪府出身。PL学園時に甲子園優勝。87年、ドラフト1位で巨人に入団。セットアッパーとして活躍するもホークス移籍後にケガで引退。現在、評論ほかで活躍

■週刊プレイボーイ30号(7月13日発売)「藤川球児 独占告白! なぜ独立リーグを選んだのか、メジャーで何を考えたのか、ほんまのこと話しますよ」より