『はだしのゲン』が『ジャンプ』で連載を開始したいきさつを、ミサヨ夫人が明かす

『はだしのゲン』は1973年、『週刊少年ジャンプ』で連載が始まった。

戦後70周年となる今年、今こそその世界を読み返したい!と『週刊プレイボーイ』33号では第1話&衝撃の原爆投下シーン、計47ページ分を特別掲載。

さらに特別企画として、作者の中沢啓治先生の夫人である、中沢ミサヨさんにインタビューを行なった。(聞き手:森健)

(前編記事⇒ 「『はだしのゲン』作者夫人・中沢ミサヨさんが語る、40年間読まれ続けてきた理由」

■母の死と、連載の開始

中沢氏が原爆を作品に描こうと決心したきっかけは母の死だった。長く原爆症を患っていた母は65年10月、脳内出血で亡くなった。失意の中、火葬場で母の骨を拾おうとすると、台座には小さな破片しかなかった。自著『わたしの遺書』でそのショックを記している。

「原爆投下から二十一年。おふくろの骨は放射能が侵入して食いつくし、スカスカの骨になっていたのでした。はらわたが煮えくり返りました」

おふくろの弔い合戦をやってやろうと決心し、1週間で描き上げたのが、原爆漫画第1作の『黒い雨にうたれて』という劇画調の短編だった。反米色の強い内容だったためか、掲載を断られて1年半、日の目を見たのは68年5月だった。

原爆をテーマにした短編連作は1年ほど連載。その後は反戦、人情、少年ものの連載作品に取り組んだ。そんな中、原爆と自分の体験を題材に執筆依頼があった。『週刊少年ジャンプ』からだった。

 * * * 

―『ゲン』が『ジャンプ』作品と知った時には驚きました。知らない人は多いのではないでしょうか。

中沢 はい。よく驚かれます。でも『ゲン』の前に数作品『ジャンプ』で描いているんです。中でも、70年の『ある日突然に』という短編が大きかった。テーマが被爆二世の白血病だったのですが、これを読んだ初代編集長の長野規(ただす)さんが強く反応してくれたんです。読後、長野さんは泣いて鼻をかみながら、こう言ったそうです。

「中沢さん、あと20ページ足します。80ページにしますから、こことここのシーンをもっと描き込んでください」

驚いたのは、その指摘は主人も同じく気になっていた部分だったこと。「俺が思っていたことをすべて指摘してくれた。一発で見抜くとはすごい」と感服していました。

ジャンプ初代編集長との出会い

―いい編集者に出会えたんですね。

中沢 なかなかそういう編集者はいないですからね。その長野さんの企画で、漫画家自叙伝を単発で書いたのです。『おれは見た』という短編です。その後、長野さんが持ちかけてくれたのが長期連載で、それが『はだしのゲン』となりました。73年6月のことで、連載は1年3ヵ月続きました。

主人は原爆の実態を伝えたい気持ちはありましたが、自分の話は書きたくなかった。あまり自分を語りたいタイプではなかったからです。私自身、原爆がどういうものだったか彼から聞いたことはなかった。でも、自叙伝シリーズの短編、そして『おれは見た』で初めて彼がどういう体験をしたのか知ったんです。

―ミサヨさんは中沢さんのアシスタントをしていましたが、そこで絵を見て理解した。

中沢 そう。水を求めて水がめの中に飛び込みそのまま死んでいる母子といった悲惨な状況や、せっかく生き延びたのに顔にケロイドを負ったばかりに差別された女のコの話など、私も漫画を手伝いながら知っていきました。

ただ、体験だけでは描いていません。連載を始める前は神保町に通って必死に資料を探して読み込んでいました。政治的なこともあるし、間違ったこと描いたら大変なことになっちゃうでしょ?

―しっかり時代考証もされていたわけですね。

中沢 そこは徹底的に調べていました。事実だとしても、難しい問題もたくさんあったからです。例えば、米国が被爆者を対象に傷害の度合いを調査していたABCC(原爆傷害調査委員会)。被爆の度合いを診るといって被爆者を集め、調査をしていました。当時、実際に主人の母は受診しています。そして何ひとつ治療らしい治療はしてもらえず、帰されたそうです。このことも資料と照らし合わせながら漫画に描いています。

―戦中に軍を礼賛していた人が、戦後いきなり平和主義だったと嘘をついたりする挿話も印象的です。

中沢 人間は長いものに巻かれてしまうんです。自分を守るために…。ただ、主人はそれでいいのか、と説いています。自分を守るために相手を傷つけていいのかと。真の正義は、どんな時でも間違ったことは間違っていると否定する勇気が必要だって。

―ただ、戦争孤児がヤクザの鉄砲玉にされたりとひどい話が続く一方、その悪い連中にも事情があるという多面的な描き方をされていますね。

中沢 そう。ひどい話が多いんだけど、根っから悪い人というより、原爆や戦争で人生が変わらざるを得なくなったということなのね。で、結局のところ、その責任は誰のせいなんだと主人は言いたかったんだと思います。

でも、何より一番力を注いでいたのは、いかに子供たちに読んでもらえるかということ。ストーリーの面白さ。面白くない漫画は読まれないし、読まれなかったら意味がないわけだから。何より「次どうなる?」と面白く思ってもらえることに一番力を注いでいましたね。やはり漫画家ですから。

*このインタビューの続きと漫画は、発売中の『週刊プレイボーイ33号』でお読みいただけます!

●森 健1968 年生まれ。ジャーナリスト。2012 年『「つなみ」の子どもたち』『つなみ 被災地の子ども80人の作文集』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。ほかに『グーグル・アマゾン化する社会』など

■週刊プレイボーイ33号(8月3日発売)「大人になった今こそ『はだしのゲン』を読み返す!」より