新プロジェクト「ニコニコドキュメンタリー」を仕掛けるエクゼクティブ・プロデューサーの吉川圭三氏

戦後70年を迎える2015年夏、ドワンゴ及びニワンゴが新プロジェクト「ニコニコドキュメンタリー」を開始した。

同プロジェクトは「本当のことを知りたい」をテーマにオリジナル企画から国内外のドキュメンタリー番組、映画を「ニコニコ動画(以下、ニコニコ)」上で放送していくもの。第一弾は「日韓問題」をテーマにドワンゴが企画し、英BBCワールドワイド推薦の国際的にも有名なプロダクションが制作したドキュメンタリー『タイズ・ザット・バインド~ジャパン&コリア』を配信。

また、話題となった韓国・朴槿恵(パク・クネ)大統領の妹・朴槿令(パク・クンリョン)氏の独占インタビュー動画を公開するなど注目を集めている。

同プロジェクトを率いるのは、同社会長室直属エクゼクティブ・プロデューサーの吉川圭三氏。日本テレビで「世界まる見え!テレビ特捜部」などのヒット番組を多数手がけ、国内外のドキュメンタリーにも精通する人物だ。そんな吉川氏にニコニコがドキュメンタリーを手掛ける意図について話を聞いた。

■英BCC制作のスタッフに日韓問題をぶつけた意図

―なぜニコニコが「日韓問題」をテーマにオリジナル・ドキュメンタリーを作ることになったのでしょうか?

吉川 国のトップレベルでは朴大統領と安倍首相との関係性、民間レベルでは日本の「ネトウヨ」などによる嫌韓運動、韓国の反日運動と日韓関係はこのところうまくいっていません。間違いなく日韓問題はネット上での最大の関心事のひとつになっている。

一方で、この問題はある種のタブーでもあり、地上波のTVなどで取り上げられること自体が少ない。結果として「本当のこと」がすごく見えづらくなっていると思うんです。今回、ニコニコドキュメンタリーを始めたのは日韓問題に関するユーザーの「本当のことを知りたい」という思いに応えたいという気持ちがあったからです。

―なるほど。

吉川 ただ、何が「本当のこと」なのかは当事者だからこそ冷静に分析できない部分もありますよね。私は日テレ時代に1万本近くのドキュメンタリーを見てきましたが、当事者国が作るものにはどうしてもバイアスがかかる傾向が強い。ですから、日韓問題のドキュメンタリーを作るなら日本人でも韓国人でもない国際的な第三者視点から作られたものにしたいと考えたのです。

―その国際的な第三者視点として、英BBCのドキュメンタリー制作を多数手がける「Blakeway(ブレークウェー)社」を選んだ理由は?

吉川 やはり質の高さですね。BBCドキュメンタリーを作るスタッフは学者、研究者、ジャーナリストなど世界中の専門家とのネットワークがあり、リサーチ力が群を抜いている。イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学の歴史専門家に聞きにいったり、米カルフォルニアのバークレー大学まで行ってインタビューを取ったり、とにかくフットワークが軽い。

また、日本のメディア、ジャーナリストが近寄らないようなところにも彼らはガンガン突っ込んでいきます。今回、従軍慰安婦だったという韓国人女性や軍艦島で強制労働をしていたという韓国人男性、韓国の反日活動組織、あと発行部数が累計100万部を超えるという漫画『嫌韓流』の作者まで。竹島への潜入、日本のネトウヨの嫌韓運動…と、まさに縦横無人にインタビューしています。

―それはイギリスのスタッフだからできたことなのでしょうか?

吉川 その側面は大きいでしょう。彼らは紛争国や危険地帯、不正組織での取材で多くの経験を積んでいますから。この企画が通り、今年2月にリヴァプールでBBCのスタッフに向けて、参考までに現在の日韓問題について話す機会を持ちました。そこで驚いたのは、私たちが思っている以上にヨーロッパの人は日韓の現状について知らないということです。イスラム国やギリシャ含め、EUの中の経済問題など周辺だけでニュースになる話題に事欠きませんから日韓のいざこざまで目が届いていないのかなと。

―逆に言うと“まっさら”というか、バイアスがない証でもある。

吉川 その通りです。それでいて、領土や民族の問題というのは本来、地続きの大陸でずっと生きてきたヨーロッパ人の得意分野でもあります。初めは日韓問題への知識が浅かった彼らも、調査を進めるうちにどんどん興奮して深い興味を持ってきたようで。当初は1時間のドキュメンタリーになるはずが最終的には前・後編の2部構成2時間の気合の入ったコンテンツとなりました。「平和そうに見える極東のこの地域でこんなことが起こっている」…これは国際的にも伝えなければならない!という風になったんです。

今回の製作スタッフは、裏取りの精度を含め、信頼性が担保できるメンバーと自負していますが、それでも「このイギリス人たちは勉強不足だ」という御意見もあるでしょう。それを含めて、日韓問題の現時点における国際的な立ち位置、特にヨーロッパから見たニュートラルな視点というものがリアルに浮き上がってくるのではないでしょうか。

日本のTV放送は成熟度が低い?

―そもそもの話ですが、日本のTV局ではBBCのようなドキュメンタリーは作れない?

吉川 正直、難しい状況です。日本のTV放送では今、社会派の問題に斬り込むドキュメンタリーにスポンサーが付きにくいという問題があります。例えば「エボラ出血熱と病原体の国際的拡散」をテーマに作ろうとしても、それにスポンサーが付くわけではないからリスクを冒してまで取材には行かない。しかし、ヨーロッパだと社会派ドキュメンタリーはかなりの規模の興味対象や大きな映像コンテンツビジネスになっているんです。

―ビジネスになる?

吉川 ええ。日本に比べるとドキュメンタリー市場が成熟しているんです。今回のように外国のTVプロダクションと仕事してみてわかるのは、自国だけでなく世界中―欧米のケーブルTV、インターネット放送、衛星放送など有料放送―に向けてコンテンツを売ったりしているので、スポンサーが付く付かないに関わらずビジネスになるんですね。

また、ドキュメンタリー映画を映画館で上映する機会も増えています。そうやって“世界商品”を目指して作られていますから自ずとクオリティも磨かれる。音楽の入れ方、画面の作り方、編集の仕方などドキュメンタリー制作の質が高いのは、そうした背景もあるのだと思います。

―日本とは随分と状況が違うんですね。

吉川 こう言ってはなんですが、欧米に比べると日本のTV放送はまだ未成熟です。最近ある時、ヨーロッパから日本にやって来た友人に「どうして日本は夜11時まで子供番組やっているの?」と聞かれたことがありました。「いや、あれは子供番組じゃないんだよ」と言っても「パンとライスとどっちが太るとか言って出演者が大騒ぎして放送しているけど自分の国ではあり得ない」と。

向こうでは、夜9時以降は“大人の時間”で経済危機・多民族問題などをテーマに討論番組と国内外問題、歴史・科学に関するドキュメンタリー、大人のためのエンターテイメント番組、あるいはティーン以上の視聴に耐えるドラマばかりやっています。そういう視聴環境に加え、日本でやりづらいのはコンプライアンスの問題も非常に大きい。今、地上波でドキュメンタリー番組を作ろうとしているTVマンは皆、この制約に苦しんでいるのではないかと思います。テーマもかなり限定されてきますし、国際商品にならないから予算も時間も手間もかけられない。

―結果、いつまで経っても“子供向けのもの”ばかりになっていると。

吉川 子供向けばかりとは申し上げませんが、歌舞音曲やコメディ、クイズ、ドラマなど気の置けないエンターテインメント番組もあってもいいと思います。ただ、英米はネットでもケーブルでもジャーナリスティックなモノ、知的なモノをどんどんやります。社会派ドラマや公序良俗に反するギリギリのドラマもガンガンやります。

アメリカでは、やや乱暴なところもありますがネットメディアのような「VICE(ヴァイス)」が政府の放送法に縛られず、できる限り制約をかけずにニュースを配信したりしています。ただし、いくら制約が少ないからといって過激に衝撃映像的な“エロ・グロ・ナンセンス”を見せていっても仕方ない。ドワンゴがやるべきは、そういう制約の少ないところで「本当の話」を伝えることが役割だと思います。

―ある意味、従来のサブカルチャー路線から舵(かじ)を切ったということでしょうか。

吉川 サブカルチャーについては引き続き、さらに力を入れていきますが、同時にニコニコドキュメンタリーのようなプロジェクトも行なうということです。ラインナップにドキュメンタリーという問題提起型のジャーナリズム路線が新たに加わったと言い換えてもいい。

多種多様なユーザーの要望にできるだけ応える。そして、あくまで「判断材料を提供する」のがニコニコの役割であり、判断は見る人に委ねるというのが一貫したスタンスです。私たちは新聞ではないので「社説」は持ちたくないのです。

「社説」は持ちたくない

―今回のプロジェクトでは、日本公開で上映中止になったドキュメンタリー映画『靖国』や映画『南京!南京!』など問題作も放映しますよね。これもひとつの「判断材料」ということでしょうか。

吉川 そうです。これらの作品は今、コンプライアンスの問題で地上波では放送されません。映画館での上映にもいろいろな問題が絡みます。だからといって、その存在に蓋(ふた)をしたままでいいものなのでしょうか? これらの作品を実際に鑑賞していただき「これが本当に上映中止にするほどなのか?」など、皆さん自身で判断していただきたいと考えています。

また、上映の前後に作品に関する丁寧な解説も加えますし、解説・討論番組も用意して、問題作品とその作品が製作された背景についても考えます。万が一、ユーザーが明らかに「反日作品」であると判断なされたとしても、この製作国・製作者は当時こういうものを作った、作る状況にあったと感じていただくのも重要であると考えます。その国の対日感情の一部や政治的意図も感じられるでしょう。

―ネットの場合、左右双方に大きく振り切れた人の声が大きかったりしますよね。例えば、ニコニコが「靖国問題」を取り上げただけで右翼的であると言われたり、反対に「スタジオ・ジブリ」と川上会長の関係が密接だから左翼的だと言われたりする可能性だってあるわけじゃないですか。

吉川 確かにそこにはジレンマがありますし、そういった誤解が生じる余地があります。少し前に、ニコニコチャンネル内にある自民党が制作・運営する「自民党チャンネル」内で5日間にわたって、安倍首相が「安保法案」について解説するということがありました。

これもいろんな考え方を示したいというニコニコのスタンスの表れですが、報道では「安倍首相、ニコニコ動画で語る」というような切り取られ方になってしまい、もしかしたら「ニコニコって右翼的だな」という印象を持った人もいると思います。でも放送実態を見ずに「一方的なレッテル貼り」をする態度には異議を唱えたいですね。

―確かに、安倍首相が安保法案を語るだけで右翼的、というのもすごい偏見ですからね。

吉川 とにかく、我々はなんのバイアスもかけずに「判断材料を公開すること」が何より大事だと考えます。『タイズ・ザット・バインド~ジャパン&コリア』の内容についても、川上個人としては本当は修正したい部分がいっぱいあったと思うんですよ。制作過程でニコニコ側は一切の口出しはしませんでしたが、実は出来上がったドキュメンタリーにひとつだけ歴史的にみて明らかに間違っているところが出てきました。

その部分を私が修正したいと申し出たところ、川上と大きな議論になりました。「その誤解も含めてイギリス人の視点によるドキュメンタリーだ」と彼は言うのです。最終的には修正することにしましたが、それぐらいニコニコというメディアは“議論の場所”という意識が強固なんですね。

“議論の場所”でありながら、オールドメディアがコンプライアンス上、避けているタブーやアンタッチャブルな問題に真正面から取り組む。もちろん、できる限り信頼性の高い調査による裏付けを行った上で、です。非常に高いバランス感覚が要求される試みですが、ニコニコしかできないことは今この部分にあると信じています。これからも物議を醸し、議論の種になる作品を世に出して行きますので御期待ください。

●吉川圭三 よしかわ・けいぞう1957年東京生まれ。1982年、日本テレビ入社。「公開・演芸」班を皮切りに『世界まる見え!テレビ特捜部』『恋のから騒ぎ』『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』『特命リサーチ200X』など多数のヒット番組を手がける。現在、日本テレビ在籍のままドワンゴ会長室直属のエグゼクティブプロデューサーとして勤務http://documentary.nicovideo.jp/

(取材・文/皆本類)